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アイドル×一般人 「本日、推しがご来店しました。」 ~a×s~
Side佐久間
「どうしてあんなに、綺麗に笑えるんだろう」
初めて見た時から、ずっと気になってる。
どこかつかみどころがなくて、けれど圧倒的に輝いていて。
それはもう“テレビの中の人”だったはずなのに——
今、目の前で、俺の椅子に腰掛けてる。まるで、夢みたいな現実。
開店前のサロン。
白と木目が基調の空間に、ほんのりとコーヒーとワックスの香りが混ざる。
大きな鏡に映る自分の姿を確認しながら、ちょっとだけ深呼吸をする。
——よし、今日もいい一日にする!
俺は、佐〇〇〇介。
入社してまだ2年目の若手美容師だけど、ありがたいことに最近は“指名”してくれるお客様が増えてきた。
最初のころはそりゃもう大変で、
カットモデルの練習で夜遅くまで残っては、泣きそうな顔で鏡に向かってたし、
営業中に失敗して、先輩にフォローされながら謝り倒した日もあった。
でも、諦めたくなくて。
“好き”って気持ちひとつで、ここまできた。
「佐久間さん、予約入りました〜!新規です!」
アシスタントの声に反応して手を挙げる。
はいはーい!といつものテンションで応えるけど、胸の奥はちょっとだけビビってる。
だって、指名のお客様が増えてきたとはいえ、まだまだ「新人」の肩書きは外れてない。
いつだって“次”の施術で評価が変わるこの仕事に、慣れるなんてことはない。
でも——
毎日、ちゃんと向き合いたいと思う。
目の前の人が、鏡越しに笑ってくれるその瞬間を、何より大事にしたいから。
最近、リピートしてくださる方が増えてきたのは、ちょっとした転機だった。
30代のOLさんが「カットの後、気持ちまで軽くなった」って言ってくれたときは、
ほんとに泣きそうになった。
おしゃれに敏感な大学生の子が「インスタで褒められました!」って笑って報告してくれたときは、
マジで拳を握った(声には出さないけど)。
美容って、見た目だけじゃない。
少しの変化が、自分を信じる力になったり、日常をちょっとだけ好きになれたりする。
だから俺は今日も、
“髪を切る”んじゃなくて、“その人の明日”を少しでも明るくするつもりでハサミを握る。
大きな鏡に、今日の俺が映ってる。
真っ直ぐ立って、胸を張って、笑ってる。
ちょっとだけ大人になった気がする。
でもきっと、まだまだ“これから”だ。
この日、まだ俺は知らなかった。
次にやってくる新規のそのお客様が、
自分の人生を、少しずつ変えていく存在になるなんてことを。
——これは、美容師として一人前になりたくてあがいてた俺が、
名前も知らない“あの人”に出会ってしまう、そんな物語のはじまり。
――――――――
風鈴の音みたいな、静かなドアベルの音が鳴った瞬間、
なんとなく空気の密度が変わった気がした。
視線をそちらに向けた途端——
思わず、ほんの一瞬だけ動きが止まった。
「……めっちゃ、カッコいい人……芸能人、みたい……」
第一印象は、それだった。
いや、そんな生易しいもんじゃない。
本当に、鏡の中から抜け出してきたみたいな人だった。
背は高すぎず、けれどすっとした立ち姿が妙に印象的で、
淡いベージュのニットに細身の黒のパンツ。どこかラフなのに、全部が“完成”されてる。
帽子を目深にかぶってマスクもしていたのに、輪郭の美しさと目元の涼しさが隠しきれてなかった。
あれは……まじで、“選ばれた顔”ってやつだ。
(やば……なんか、めっちゃ緊張する……)
(でも担当するの、俺なんだよね……!!)
心の中ではぐるぐると大騒ぎしていたけど、
それでも接客モードのスイッチはちゃんと入る。
深呼吸、ひとつ。
「こんにちは!本日ご来店ありがとうございます〜!ご案内しますね!」
いつもの調子を保ちつつ、少しだけテンションを抑え気味にして声をかける。
ドキドキしてるの、絶対バレたくない。
でもなんかもう、目の前にいるだけでこっちが正されるような……そんな空気感のある人だった。
「担当の佐久間です。よろしくお願いします!」
笑顔は、自然に出せた。たぶん、ちゃんと出せたと思う。
案内してる途中も、ちらちらと横顔を見てしまう自分がいて——
「見すぎ!」って心の中でツッコミ入れつつも、
いや、これは仕方ないって思うくらい、隙のない美しさだった。
でも、ふとした瞬間に目が合ったその時だけ、
彼の目の奥に、ほんの少しだけ“疲れ”のようなものが見えた気がした。
(……あ。たぶん、この人……ちょっとだけ、無理してる)
思わず、笑顔の温度をひとつ柔らかく変えた。
声のトーンも、ちょっとだけ静かに落として。
「今日はどんな感じにしましょう? なりたいイメージでも、おまかせでも大丈夫です」
俺は、ただ髪を整えるだけの人じゃない。
そう思ってる。
“その人の今日”に、少しでも寄り添えたらって——いつも、そう思ってる。
相手が誰だって関係ない。
目の前にいる人を、いちばん素敵にするのが、俺の仕事だ。
だからこそ、いつも通りでいこう。
内心ではバクバクしてても、外側はいつもの佐〇〇大介で。
(よし、落ち着け、俺……これはたぶん、いい意味での勝負だ)
心の中で、そっと気合を入れ直す。
大丈夫。いつも通り、いつも通り——。
「じゃあ、まずシャンプーからご案内しますね」
「お願いします」
落ち着いた低めの声。
静かだけど、柔らかくて、耳に残る。
たぶんこの人、怒ったり大声出したりしないタイプだ。
シャンプーブースに案内して、タオルをふわっとかけながら、
ほんの一瞬だけ目が合う。
「お湯加減とか、強さとか、気になるとこあったらすぐ言ってくださいね〜」
「はい、大丈夫です」
目を閉じた阿部さんの顔は、どこか無防備で、
でも眉間にはほんのわずかに力が入ってるようにも見えた。
(……やっぱり、少し疲れてるのかな)
シャワーの音にまぎれて、そっと力を込めた指先で、
いつもより少しだけ丁寧に、時間をかけて頭皮をマッサージする。
「お仕事、忙しいですか?」
「……ああ、そうですね。ちょっと、バタバタしてて」
「そっかぁ。じゃあ、ここにいる間くらいは、ゆっくりしてくださいね〜」
「ありがとうございます。……なんか、落ち着きます」
その一言が、妙に心に残った。
カットチェアに戻って、ケープをかけるとき。
鏡越しに、阿部さんが少しだけ笑った。
「美容室って、苦手なんですけど……今日みたいな雰囲気、安心します」
「えっ、本当ですか? それ、めっちゃ嬉しいです!」
反射的に声が弾む。
すぐ調子に乗っちゃうの、俺の悪い癖かもしれないけど——
だって、嬉しかった。
「なんか、佐久間さんって……話しやすいですね」
「えへへ。たぶん、自分がすごい喋るからだと思います(笑)」
「ふふ、なるほど」
笑ってくれた。
その笑い方がすごく自然で、
さっきまでの整った印象とはまた別の、素の優しさがにじみ出てた。
(……いや落ち着け、俺)
「最近、お仕事以外でハマってることとかあるんですか?」
カットに入る手元を集中させながら、自然なトーンで尋ねてみる。
「うーん……あ、音楽はよく聴きます」
「おっ、音楽! 僕も好きです〜!」
「ジャンルはバラバラなんですけど、ピアノが入ってる曲とか、よく聴きますね」
「うわ、それちょっと意外かも。なんか、バンド系とかじゃなくて?」
「バンドも聴きますよ。でも……静かなのも、いいですよね。夜とか」
「めっちゃ分かります! 夜に聴く音楽って、なんか沁みますよね〜」
テンポが少しずつ合ってきた。
会話のキャッチボールが自然に続いて、
気がつけば、緊張もどこかへ吹き飛んでいた。
「佐久間さんは、最近どんなの聴いてます?」
「えっ、僕ですか? えーっと……最近、K-POPにまたハマってて!」
「おお、K-POP」
「はい! あと、ちょっと疲れた時に聴くのは、ジブリのサントラとか……」
「あ、それは分かる気がする。あの静かな世界観、癒されますよね」
「ですよね〜!“風の通り道”とか、もう……泣けます!」
笑いながら、阿部さんが鏡の中でほんの少し頷いた。
その表情が、ふわっとほどけたように見えて——
ああ、今日はきっと、いい時間になってるって思えた。
カットの最中、ハサミの音がリズムよく響く中で、ふたりの会話は、ゆるやかに続いた。
映画の話、最近行ったカフェ、好きな季節。
どれも“普通”の話なのに、なんだか特別に感じるのは、
きっと彼の言葉にどこか、やさしい温度があるからだ。
プロとして、きちんと施術に集中しながらも、
心の奥では、少しずつほどけていくような感覚があった。
(また来てくれると、いいな……)
そう思ったのは、接客の手応えとかじゃなくて、
ただ、もう一度この空気の中で話したいって、純粋にそう思ったから。
――――ハサミの音が、一定のリズムで空気を切っていく。
耳元でふわりと髪が落ちるたび、鏡越しに彼の表情が柔らかくなっていくのがわかる。
それが心地よくて、嬉しくて、
俺は自然と、いつものように会話のタネを探していた。
「音楽、聴くのもいいですけど……実は俺、歌うのも好きなんですよね」
カットの手元はそのまま、でも心の奥からふいにこぼれた言葉だった。
阿部さんが、少しだけ視線を動かした。
鏡越しに目が合う。
「……歌、うたうんですか?」
「はい。あ、趣味レベルですけど! カラオケとか、友達とライブごっこしたりとか……」
少し照れくさくて、でも嘘じゃないから、ちゃんと目を見て笑った。
「ダンスも好きで。高校の時とか、クラスの出し物でセンター張ってたこともあって」
「へえ……意外かも。でも、似合いそうですね」
「ほんとですか!? いや〜、そう言ってもらえると嬉しい!」
ちょっと声が大きくなってしまって、思わず手を止めて苦笑する。
そのリアクションに、阿部さんが小さく笑った。
その笑いが、あまりにも自然で、
まるで“受け入れられた”ような気がして、心がふわっと軽くなる。
「アイドルとか、すごく憧れるんです。歌って踊って、キラキラしてて。自分には無理だろうな〜って思うけど、ああいうステージに立つ姿、やっぱり夢ありますよね」
髪をすく指先に少しだけ力がこもる。
だけど、声はゆっくり、心の奥をなぞるように。
「美容師っていう道を選んだからには、もちろんプロになりたいし、今は全力でここに立ってるけど……時々思うんですよ。もし違う人生だったら、自分はあっち側にいけたのかなって」
言ってから、自分でちょっと笑った。
そんなに簡単な世界じゃないってことくらい、わかってる。
それでも、憧れっていうのは時々ふと、胸の奥で静かに灯るものだ。
「……そうなんだ」
ふいに返ってきた阿部さんの声は、
想像よりも近くて、優しかった。
短いひと言なのに、変な気遣いも、適当な相槌もなくて。
ただ、ちゃんと聞いてくれてるってことが伝わる響きだった。
「でも、いまの佐久間さんの話、すごくいいと思いました。目の前のことに本気になりながらも、夢をちゃんと覚えてるのって、素敵ですよね」
「えっ……」
あまりにも想定外の言葉に、思わず手が止まりそうになる。
でも、彼の表情はまっすぐで、からかう様子なんてひとつもなかった。
(この人……どこか、俺の“中身”をちゃんと見てくれてる気がする)
ふだんなら、話して終わりの雑談。
だけど今は、その何気ないやり取りが、心に残る会話になっていた。
「そしたら、また何かの機会に、歌声聴けたりするのかな?」
「え!? うわ、それは……ちょっと練習してからじゃないと無理かもです!」
「あはは。楽しみにしてますよ」
軽く交わされただけの冗談まじりの言葉。
だけどそれすら、なぜか特別に思えてしまう。
今日、初めて会ったはずの人。
それなのに、こんなにも自然に心が動いてしまうのは、
きっと——彼が纏っている“温度”のせいなんだろう。
(……また、会いたいな)
口には出さないけれど、
カットを終えたあと、そっと心の奥で、そう思っていた。
最後のひと束を整え、スタイリング剤をほんの少し指先になじませて、
前髪の流れを整える。
鏡の中の彼は、ゆっくりと目を開けて——
ほんの数秒、じっと自分の姿を見つめた。
「……あ」
そのひと声は、まるで息を飲むような、静かな驚きだった。
「どうですか? 重くなってたラインをちょっと軽めにして、耳まわりと襟足はすっきりめにしてみました!トップも少し動きが出るようにしてあるので、セットしやすいと思います」
自分でもわかるくらい、少し声が高くなってる。
でも、それくらい気持ちが乗っていた。
今日の彼の雰囲気を感じ取って、
この髪型が一番“似合う”と思った。
そういう感覚を信じて、切った。
だからこそ、鏡の前の彼の反応が——
気になって、目を逸らせなかった。
阿部さんはしばらく、自分の姿をいろんな角度から眺めたあと、
ふわっとした笑みを浮かべて、ぽつりと言った。
「……すごい。別人みたい」
「え、いい意味ですか!? いい意味のやつでお願いします!!」
慌てて返すと、彼はくすっと笑った。
「もちろん。すごく……軽くなったし、なんか……気持ちまでスッとした気がします」
その言葉に、胸がじわっとあたたかくなる。
「あ〜〜それ、めちゃくちゃ嬉しいです……!」
「ほんと、来てよかったなって思いました。髪って、こんなに気分を変えてくれるんですね」
「うわあ、今の録音しとけばよかった……! それ、明日からのモチベにします!」
思わず冗談交じりに言ってしまったけど、
本音は、ただただ——嬉しかった。
自分の手が、少しでも彼の明日を変えるきっかけになったのなら。
この仕事を選んで、続けてきて、よかったって思える。
会計を終えたあと、帰り支度をしている阿部さんが、ふと立ち止まって言った。
「……また、来るよ」
その言葉は、まっすぐで、さりげなくて、だけど深く響いた。
「えっ、ほんとですか!? いや、めっちゃ嬉しいんですけど!」
「ふふ、そんなに驚かれたら照れるな」
「いやいや、嬉しいんですって! もう今、心の中で万歳してます」
「じゃあ、次は……また、違う雰囲気でお願いしようかな」
「おおっ、それめっちゃ燃えます! 任せてください、絶対似合うやつ見つけますんで!」
「楽しみにしてます」
その笑顔が、少しだけ柔らかくなった気がして——
胸の奥がきゅっと締まる。
彼がサロンのドアを開け、静かに出て行くその背中を、
俺はしばらく見送っていた。
ほんの短い時間だったのに、
彼がいた場所だけ、空気がまだやわらかく残っている気がした。
指先に残る髪の感触と、
鏡越しの笑顔。
そして、
——「また来るよ」って言葉。
それだけで、今日はたぶん、いい日だ。
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