小話集

ロウソク/🟦🏺

頭を撃ち抜かれた。

「あっ」

目の後ろを弾丸がかき混ぜる感覚がはっきりと分かった。鬼のヘルメットが衝撃で吹き飛ぶ。脳みその大事なところが壊されたのだろう、視界がグラグラ明滅とする。斜めになった視界の端で下手人が逃げるのが見える。青空が白黒に見える。と思えば濁るように黒く染まって、市長の人影だけが白く浮かぶ。アスファルトが肉の色に発光する。

継ぎ接ぎの風景を処理している間に、青井の体は地面に倒れた。得体のしれない虹色の液体が広がって、あとから血液が溶け混ざる。いや、視界が正常ではないのだから、広がったものが血なのかも判別できない。

「アラララ。大丈夫？」

市長が軽い口調で青井を覗き込んだ。青井の舌は鉛のように重く、「えぅ」という不明瞭なうめき声が鳴る。

「痛そうだね。直してあげよう」

そうは言いつつ、市長は同情の一つも見せなかった。飄々とした顔色を変えないまま、ぐちゃぐちゃの傷口に手をかざす。途端、銃弾でえぐれた内側が満たされる。

青井の体が生まれ変わったように軽くなる。

「うおっ。⋯⋯あ、あー。おお、喋れる。ありがとうございます」

「いやいや。いつも世話になっているからね、ほんのお礼だよ」

「そう？ まあ、仕事ですから」

「仕事にしては無茶をさせていると思うよ」

頭に風穴を開けられた直後なので否定できなかった。塞がったばかりのこめかみをさすり、黙って頷く。

市長は顎に手を当てていたが、ふいに「あ、そうだ」と指を鳴らした。

「何か欲しいものとかあるかい？」

「欲しいもの？」

「うん。ボーナスだ。金でもモノでも、出来る限り融通しようじゃないか」

青井は首を傾げて唸る。真っ先に思い浮かんだのは『つぼ浦』だった。あのピカピカ明るくて、見ているだけで楽しい気持ちになる男。青井に迷惑ばかりかける特殊刑事課の厄介男。素敵で、不安定で、閃光のように走り抜けるあの姿。

「⋯⋯うーん。流石に無理かな⋯⋯」

「何だい」

「人間って可能ですか」

「ど、ど、ど、奴隷！？」

「イヤイヤイヤイヤ！ 違う、そういうのではなく！」

「あぁ、ビックリした。一応この街にも人権はあるからね、あまり無理は言わないように」

「はい、勿論ですよ。そりゃあもう」

青井はごまかすように「あ、そうだ！」と両手を打った。

「市長の秘密を教えてください」

「秘密かい。ものによるね」

「今、俺のこと生き返らせたじゃないですか。アレどうやってるんですか？」

「ふむ」

「ていうか、そう、この街って何で人が死なないの？」

「うーん。教えてもいいかなぁ」

「知りたーい。冗談抜きで、このー、生死観？ で色々あったじゃないですか。市長としてはどう思ってるか知りたいな〜って」

「うーん。他言しない？ 悪用もしない？」

「しないしない」

「じゃあいいか。ついておいで」

市長はふらと歩きだした。真夏のゾッとするほど濃い影の道を歩き、市役所の裏手へ手招きする。少しも風が吹かず、空気が淀んでいるようだった。

「どこに行くんですか」

「こっち。おいで」

ぎい、と重たそうな扉を開く。しばらく閉じたままだったのだろう、苔を押し上げて、冷たい鉄の扉が外側に開いた。

中は洞窟のようだ。ヒヤリと湿った風が足元を通り抜け、奥から低い耳鳴りのような音がした。

「なんですかこれ」

「歩きながら説明するよ」

市長は壁からランプを手に取り、マッチで火をつけた。ガラスの中で白いロウソクが瞬く。どこか奇妙な黄色い炎がすうっと伸びた

「ドアを閉めてくれるかい。明かりが消えたらいけない」

「あ、すいません。今」

鉄扉を閉めると、辺りが真っ暗になる。市長のもつ光源だけが人魂のように辺りをぼんやり照らしていた。

「足元に気をつけて」

「はい」

「さて、どこから話そうかな。青井くん、死神って知ってる？」

「死神。えぇと、人物名？」

「いや。落語の」

「えー、知らないかも」

「面白いから、一度聞いてみるといいよ。でもそうか、知らないか。知っていたら早かったんだけどなぁ」

「どういう話なんですか」

「うーん。死神とロクデナシがいてねぇ、それはもう色々あるんだが」

「はぁ」

「それにサゲ、あ、オチのことね。オチも人によってちょっと違う」

「へー」

「あんまり興味ないね？」

「すいません。どう繋がってるのかよく分かんなくて」

「ええっとね。こういうことかな」

フッと、市長の息を吹く音が聞こえた。明かりが消える。真っ暗闇の中で、重たいものが倒れる音がした。

「市長？」

驚いて振り向くと、何かが足に当たった。ガラスの転がる音がして、それきり静かになった。

「え、え、ちょっと待って。ナニコレ」

その場にしゃがんで、地面を探る。すぐ、布をまとった、まだ柔らかいものを見つけた。真っ暗闇の中で形をたどると、口の穴に指先が沈む。息をしていない。死んでいる。

この場にいたのは青井ともう一人だけだ。つまり、この死体は市長だ。

ロウソクを吹き消した市長が死んでいた。

「は！？ どういうこと、怖ー！」

青井は見えないながら必死に市長をまさぐった。死体は濡れも乱れもなく、ただ突然心臓が止まってしまったかのような妙な有様だった。

「え？ ドッキリですか、趣味悪い。勘弁してください、俺こういうのダメなんだよ〜！ 助けてーっ！ ママ〜！ ぐちつぼ〜！ 誰だぐちつぼって」

焦りに口がべらべら動く。嫌な汗が止まらない。

そうして喋っていると、だんだん暗闇に目が慣れて来た。洞窟の凹凸が青黒い影が見えた。影は時々微かに揺らめいて、伸びたり縮んだりする。青井が目を細めてじっと目を凝らすと、道の奥にぼんやりオレンジ色の光が見えた。

「明かり⋯⋯、あそこ行けってこと？ 怖⋯⋯」

おっかなびっくり立ち上がり、亀よりも遅い動きでゆっくりと近づく。光が揺らめく度、ひゅっと息を呑んだ。唸るような耳鳴りは増々大きくなる。ゴオオオ、というような音だ。

ふと、青井はこの音がガスバーナーの音に似ていることに気がついた。空気を送りこむ時に発生する、擦れるような低い音。そうだったとして、どうしてこんな洞窟の奥で、何のために。

額に汗を浮かべながら、背中をぴったり壁に貼り付けジリジリ光に近づく。光は小さな空間から漏れていたようで、角で止まればオレンジ色はもう眩しいほどだった。

意を決して、ヤッと飛び込む。途端、光がぶわりと揺らめいた。

ロウソクだ。十や二十ではきかない。何百、もしかしたら千に近いかもしれない。長いの、短いの、よく燃えているの、もう赤い導線だけがロウの中に沈んでいるもの。壁中、おびただしいほどのロウソクに火がついて、青井を照らしている。

「なんだ、これ⋯⋯」

「死神だよ」

「うわっ！」

耳元で市長が囁くので、青井は飛び上がってエルボーをキメた。現役警官の肘が鳩尾にめり込み、市長はグワと悲鳴を上げた。

「ここで暴れないでよね！ 火が消えちゃうから」

「び、び、びっくりした」

「驚いた？ それはすまない。まあ、こういうことだよ」

「え？」

「人が死なない理由。火が消えないからさ」

市長が改めてロウソクを指さした。

「ジッポライターも、バーナーも簡単に消えないだろう。そういうことだよ」

「えぇ、と。つまり、この火は」

「寿命だよ」

「寿命⋯⋯」

「見てみるかい。ほら、これは馬ウワーくんだ。そっちはキャップだね。これは⋯⋯、誰だったかな」

灯火の一つに目を向ける。

馬ウワーと言われたロウソクは中ほどまで燃えていた。所々に飾りが施されていて、溶けたロウの中にはビースが泳いでいる。酸いも甘いも知った署長らしい、まっすぐなロウソクだった。

かえって、キャップのロウソクは長かった。グルグル螺旋を描き、カラフルな模様が斑に溶けている。ロウソク自体は派手なのに、炎は小ぶりで優しい光を放っている。身内に甘いキャップらしい、近くであればあるほど温かな火だ。

「⋯⋯俺のもあるんですか」

「あるよ。ほら、そこ」

市長の声に振り向くと、青いロウソクがあった。苗字通りの色になんだか可笑しくなってしまう。

「君の周りではね、炎が優しく燃えるんだ。だけど時々驚くほど燃え上がる。だからかなぁ、惹きつけたれたみたいに、君の周りには沢山のロウソクがあるんだ」

「へぇ⋯⋯」

改めて見ると確かに、青井のロウソクの周りには随分沢山の火が揺らめいていた。緑、黄色。あのやけに豪華な装飾のロウソクはもしかして皇帝だろうか。ピンク色のロウソクはきっと成瀬だろう。細身のロウソクは猫くんかもしれない。なら、少し遠くにあるあの灰色は⋯⋯。

影の一つもない、温かな光の群れ。美しい完成された世界がそこにある。

「⋯⋯綺麗ですね」

「うん。素晴らしいものだと思うよ。憎たらしいほどだね」

「⋯⋯」

「冗談だよ？」

「分かってますよ。そうじゃなくて、確かになって」

「ん？」

「なんか、こう、うーん。足りなくないっすか」

「えぇ〜。何、不満なの？ こんなに慕われといて」

「不満⋯⋯、っすね。うん、不満です。足りないですよこれ」

「何が足りない？ 真っすぐで優しい先輩、寄り添う同輩に慕ってくれる後輩たち。ちょっと離れてるけど心は側にある人もいる。君の光に焦がれてそっと近づく、いじらしいロウソクまでよりどりみどり」

「いやー」

「ワガママだなぁ。何、もっと折れ曲がった形がいいの？ ネジ曲がった人生を送りたいなら、今ちょっと弄ってもいいよ」

「いいんですか」

「いいよ。せっかくだからね。でも火は消さないように」

「はーい」

青井は両手を後ろに回して、周囲のロウソクを一本一本丁寧に見た。きっとこれは知り合いだな、これは知らない人だな、ババア割とロウソク長いな、と静かに観察していく。

そうして、青井と離れた壁にひとつ、消えかけたロウソクを見つけた。オレンジ色の胴体はもうほとんど溶けてしまって、芯の底が見えている。だが、炎はまだ煌々と燃えていた。

「これ」

青井はそっと手を伸ばし、揺らさぬよう持ち上げた。熱い炎だった。誘蛾灯のような、光の中にあってなお明るい、尋常ではない炎であった。

「⋯⋯つぼ浦」

答えるように、導線がパチパチ火花を零した。火花は溶けたロウに落ちて、増々その身を崩していく。

光のような男の命は、終わりかけでも美しかった。

「あぁ、もうすぐだね」

市長が静かに言った。

「火が消えるとどうなるんですか」

「さっき見せただろう。もう一度やってみようか」

「やめて。丁度いいからってこのロウソク消しそう」

「おや、バレた。でもまあ良いだろう？ 君、随分手を焼いていたじゃないか。これで清々するだろうね」

「しません」

「え？ しないの」

「市長、これください」

「え？ ほしいの」

「はい。俺のロウソク、折ってもいいんでしょう。これがいい。この炎で、俺の人生メチャクチャにしたい」

「えぇ。正気？ 戻れないよ」

「恋なんか正気でやってられません」

「へえ。えっ？ そうなの」

「そうなの」

「えー！ びっくりした」

「言ってないからね。で、良いの？ これ貰っても」

「まあ良いんじゃない？」

「やったー」

青井は自分のロウソクの隣にピッタリくっつけてつぼ浦のロウソクを置いた。2つの炎が揺らめいて、不思議と１つの光になった。つぼ浦のロウソクはこれ以上溶けず、青井の炎はパチパチと小さな火花を散らした。

お互いに寄り添い、溶けて、混じり合う。グニャリと形を崩して、崩されて。

これで完璧な人生になったな、と青井は思った。

「満足した？」

「しました」

「これ思ったんだけどさぁ」

「はい？」

「たぶんつぼ浦くんの方が人生の予定狂ってメチャクチャにされてるよ」

「えぇ〜？ そうかなぁ」

「そうでしょ。まさか、だって、ねぇ」

「なんですか」

「命を分けあうなんて、幸せだね」

ドボン。ぐるりと視界が回った。真っ暗闇の中に落ちて、意識が途切れる。

青井が目を覚ますと光が見えた。朝日だ。波の音が聞こえて、ここが海だと気づく。

「⋯⋯あお、せ」

青井の前にはつぼ浦がいた。天辺まで濡れて乱れた髪には砂がまばらにくっついている。

「つぼ、ゲホッゴホ」

急に体を起こしたせいで咳がこみ上げてくる。胸の中心を拳で叩くと、肺の奥から海水が出た。体温で温められた不快な塩味だった。

シャツで雑に顔を拭って、息も絶え絶えつぼ浦の頬に触れた。

「⋯⋯生きてる」

「おう、たぶんな」

生きた男の体温は熱いほどだった。唇に手のひらを寄せると、確かに呼吸を感じる。

「何が、おきたっけ」

「アオセンが、おれ追っかけて」

「あー」

客船強盗だった。真夜中で銃弾が飛び交う最中、つぼ浦が飛び出したのだ。前線を押し上げる一条の光。ヘリのライトに照らされた、バットの銀色。それが直ぐ様ひっくり返って、海に落ちるのを見たものだから。

青井は海に沈んだつぼ浦を助けに行ったのだ。

「⋯⋯無茶してすいません」

「いいよ。惚れた弱みだから」

「えっ」

「つぼ浦さぁ、聞いてほしいことがあるんだけど」

「な、なんすか」

「死神って知ってる? 落語らしいんだけど」

「分かるぜ。消える〜、消えるよ〜。フッ、だろ」

「いやだろって言われても俺知らないんだけどさ」

「おいテメエ」

「まあまあ。それでさ。俺、お前とロウソクくっつけちゃった」

「えっ？」

「だから、お前が無茶するのはしょうがないけど、俺のことも巻き込んでね」

「何の話っすか」

「お前が好きだよって話」

「え！？ は？ えっ」

「もうちょっと寝ようつぼ浦。どうせ救急くるでしょ。なんか疲れちゃった」

「や、いや。寝れないですアオセン。てか寝るな」

「なんで？」

「また夢になったらいけねえ」

「えー。俺眠い」

「寝るな！」

「じゃあ、絶対夢にならないおまじないしてあげようか」

「なんすかそれ。そんなのあるんですか」

「あるよ。目閉じて」

「ん」

つぼ浦が素直に目を閉じた。サングラスも上着も海にやってしまったせいで、苛烈な光を持つはずの男は年相応の若者に見える。青井は普段とのギャップを記憶してから、薄く開いたオレンジ色の唇にキスをした。海の味がした。

「！！！？？？ あ、アオセ、！？」

つぼ浦の顔色がポポポポ、と赤く染まっていく。ロウソクの炎のような色だった。青井が何度でも灯せる愛しいロウソクだ。

これこそ完璧な人生である。