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それからルツィエたちは皇宮に戻った。
ルツィエとヨーランは二人とも放心状態で、アンドレアスだけが上機嫌だった。
アンドレアスは離宮までルツィエを送る気遣いはない代わりに、別れ際にまたヨーランに見せつけるようにキスをした。
ヨーランは何も言わずにそれを見つめると、彼もまた離宮まで付き添うことはなく、生気のない顔で俯いたまま皇子宮へと帰っていった。
ルツィエは呆然としたまま離宮に戻ったあと、力なくソファに腰かけ、アンドレアスに奪われた唇に手を触れた。
強引で乱暴な口づけ。
アンドレアスとのキスなのに、全く嬉しくなかった。
だってあれはいつもの彼ではないから。
(さっきの彼は、洞窟で豹変したときの彼だった……)
彼は一体何者なのだろう。
いつものアンドレアスとはまるで違う、尊大で傲慢で残酷な男。
(そういえば、ヨーランも豹変したアンドレアス殿下に怯えていた……。今まではアンドレアス殿下を格下扱いして目の敵にしていたのに、さっきは蛇に睨まれた蛙のようだった)
もしかしてヨーランは、あのアンドレアスが誰なのか知っているのだろうか。
(ヨーランに聞いたら教えてもらえるかしら……?)
すると、扉をノックする音が聞こえ、侍女が部屋に入ってきた。
「皇太子殿下がルツィエ様を晩餐にお招きです」
「アンドレアス殿下が……?」
「皇后陛下もご一緒のようです。これからお支度させていただきます」
「……分かったわ。お願いね」
それから身支度を済ませて皇宮におもむくと、大きなテーブルに豪華な料理が並ぶ部屋で、デシレア皇后とアンドレアスが待っていた。
「晩餐にお招きいただきありがとうございます。お待たせして申し訳ございません」
「ああ、よく来たわね。そこに掛けなさい」
ルツィエが勧められた席に腰掛けると、皇后はルツィエを品定めするようにじろじろと眺めた。
「まあ、見目も血統も悪くはないけれど……。それじゃあ、この娘とヨーランの婚約を解消させればいいのね、アンドレアス?」
「ええ、お願いします」
「あなたまでこういう娘が好みだったなんて……。そこまでして妃に迎えたいの?」
「いえ、そういうわけではありません。俺を陥れようとした愚弟には罰を与えないといけないので、あいつが最も嫌がりそうなことをしただけです」
「ああ、そういうことね。まったくヨーランは、劣等感の強い子だとは思ってたけど、まさかあなたを殺そうとしただなんて……。本当に愚かだわ。今回は結果が良かったから許すとしても、身の程は弁えさせないといけないわね。1か月程度は謹慎させないと」
皇后は赤いワインをひとくち飲むと、ルツィエを一瞥してからアンドレアスに視線を移した。
「それで、もしかしてもう神宝花は不要になったのかしら?」
「いいえ。残念ながら、まだ不完全なようです。やはり神宝花の力は必要でしょう」
「そうなのね……。ルツィエ、神宝花の手がかりは何か思い出したかしら?」
「……申し訳ございません、まだ……」
ルツィエが恐縮した様子を見せると、皇后は大袈裟に溜め息をついて見せた。
「はぁ、使えないわね。こんな外見だけの娘、やっぱりアンドレアスには相応しくないわ。あなたには帝国出身の由緒正しい令嬢を用意してあげましょう」
「では彼女と同じくらいの美人をお願いします。それと、抱き心地のよさそうな女がいいですね」
「まったく、あなたは仕方のない子ね。分かったわ、あなたが気に入りそうな娘を探してあげるから待ってなさい」
「ありがとうございます。では、それまでルツィエを俺の愛人にします。……敵国の王女を玩具にするのは楽しそうだ」
アンドレアスがルツィエに絡みつくような視線を送る。
ルツィエはそれに気づかないふりをしながら、一刻も早くこの不愉快な晩餐が終わることだけを願った。
◇◇◇
ようやく悪夢のような晩餐が終わり、ルツィエがお辞儀をして挨拶する。
「素晴らしい時間をありがとうございました。晩餐をご一緒できて光栄でした」
「神宝花のことで何か思い出したら、すぐに知らせるのよ」
「はい、もちろんでございます」
挨拶を済ませて廊下に出たルツィエは、周囲を確認すると、離宮側の方角ではなく、別方向へと歩き出した。ヨーランの居所である皇子宮の方角だった。
(明日になればヨーランには謹慎が言い渡されるはず。そうしたら簡単には会えなくなるかもしれない)
その前にアンドレアスについて問いたださなければ。
しかし、その途中でルツィエは足を止めざるを得なくなった。
「ルツィエ、どこへ行く? そっちは離宮とは逆方向だ」
「あ……失礼いたしました。うっかり間違えてしまったようです、アンドレアス殿下」
背後から現れたアンドレアスにルツィエが謝罪の礼をする。
するとアンドレアスはにやりと笑ってルツィエの手を取った。
「それはいけないな。俺が案内してやろう。ただ、俺もうっかりして寝室に連れていってしまうかもしれないが」
「……お戯れはおやめください」
ルツィエが軽く睨むと、アンドレアスは気にも止めていない風に鼻で笑った。
「意外と気の強いところもあるんだな。だが、本当はお前も俺を求めているんだろう?」
「はい?」
「だって俺たちは夜の離宮で何度も逢瀬を重ねた仲じゃないか」
「……!?」
アンドレアスの言葉にルツィエは衝撃を受けて固まった。
(……そうか、彼は穏やかだったアンドレアス殿下の記憶も持っているんだわ)
たしかに、今思えば洞窟のときも落馬のときも、彼は切り替わる前の記憶を持っているような発言をしていた。
「なあルツィエ、ヨーランの婚約者だったくせに他の男と逢引するなんて、お前もとんだ悪女だな。どうせ第二皇子妃なんかより皇太子妃になりたくて浮気してたんだろう?」
「ち、違……」
「さっきは愛人にすると言ったが、身体の相性がよければ妃にしてやってもいい。だから意地を張らずに、俺に全てを捧げろ。……ああ、もしかしてこうやって誘えばいいのか?」
そう言ってアンドレアスは、ルツィエの頬にそっと触れ、穏やかな笑みを浮かべた。
「ルツィエ王女、そなたを愛している。どうか俺に身を委ねてほしい」
ルツィエが知っている彼の優しく落ち着いた声、気遣いを感じる触れ方、そしてルツィエを愛しているという言葉。
「……っ!」
まるであの穏やかな彼自身に言われているようで、ルツィエは泣き出したいような気持ちになった。
(……いいえ、泣いては駄目。それにこの人は彼じゃない……)
声音も触れ方も話し方も彼そのものだったが、ひとつだけ彼とは違うところがあった。
(彼の眼差しは、こんなに欲にまみれていなかった)
ルツィエが愛する彼の瞳は、宝石のように透き通っていて美しく、こんな風にぎらついてはいなかった。
だから勘違いなどしない。
ルツィエはアンドレアスに向かって、気品のある笑みを作ってみせた。
「私も愛しています、アンドレアス殿下。あなたの地位も顔も身体もとても魅力的です」
「そうだろう、じゃあ──」
「ですが、今日は都合が悪いのです。乗馬から帰ったあとに月のものが始まってしまって……。初めてを捧げるのは、もう少しあとにさせていただけますか?」
「なんだ、ヨーランの奴、まだ手を出してなかったのか。笑えるな」
アンドレアスが愉快そうに笑い声をあげる。
どうやら断られたことを不快には思っていないらしい。
すると廊下の奥から皇宮の侍従がやって来た。
「皇太子殿下、皇后陛下がお呼びでございます。今後のことについてお話があるそうです」
「ああ、分かった。……じゃあルツィエ、また誘うからな」
アンドレアスはそれだけ言い残して、侍従とともに去っていった。
「……ヨーランのところへ行かなければ」
ルツィエは今度こそヨーランのいる皇子宮へと早足で向かったのだった。
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