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しかし、そんな会話の最後は決まって、
『でもいつ迫ってみても彼女いるもんね〜。 女切れないのかな』で、締め括られていたことをよく覚えていたのだ。
(だって、恋愛に憧れてたし……)
そんなキラキラした気持ちが、遠いものに思えてしまった。
「なんだ? んなことか、今いねぇわ。 いたらさすがにここまでお前に手ぇ貸せんだろが」
「え、じゃあ今は迫られ時では……? 皆さん、迫りたがってましたよ」
思い返した記憶のままを真衣香が口にすると、ぺちんと額を叩かれる。
「アホか、なーにが迫られ時だ。大して意味わかってねぇくせに、いっちょまえに言ってんなよ」
「だ、だって、みんな、噂してましたもん。 いつ狙えばいいかわからないほど彼女が切れない的な……」
バカにされたように聞こえた真衣香は、涙目で八木に食らいつく。
その様子に「ぶ!」と吹き出した八木が、そのままケラケラと愉快そうに笑い声をあげた。
「ま、そーいうことだから、ちょっとの間つきあっとくぞ」
(そーいうことって、何が!?)
「そ、そんな簡単に……」
「だから固く考えんなって、フリだっつってんだろ。 マジで女にするならお前はもうちょい色気つけてもらわねぇと無理だから、安心しろ」
言い終わった途端に、バシン!と強めに背中を叩かれて、真衣香は弾みで立ち上がった。
「い、痛いです、八木さん私を叩きすぎです」
「おう、ほれシャキッとしろ。 もう帰れるんだろ? 一緒に帰るぞ、それらしくして」
ニマニマとやはり愉快そうにしている。
これは完全に飼い犬と遊んであげている飼い主様の目に違いない。
ぐぬぬ……、と真衣香は唇に力を込めた。
しかし助けられているのは事実なのだから、いつものように文句など出て来るはずもないのだけれど。
***
八木を待たせている為、更衣室に駆け込んだ真衣香は急いで制服を脱ぎ、着替える。
月曜日に置いて帰った私服、人事部の女性から受け取ったライトグレーのお気に入りだったコート。
全部を手に持ってみれば、意外と大荷物になってしまった。
エレベーターの裏にある自販機に、もたれ掛かるようにして立っている八木を見つけた真衣香は走って近づく。
「お、お待たせしました……!」
「お前な、別に急いで来いなんて言ってねぇだろ」
呆れたように言って、真衣香の乱れた髪をぺしぺしと乱暴に整え、手に持っていた紙袋を取り上げさっさと歩き出してしまう。
「じ、自分で持てます!」と声を張り上げながら、後を追いかる。
(それらしく……って、いつもと変わらないけど)
なんて。
もう既に先ほどの話を忘れているのではないかと思った真衣香だったが。
その読みはどうやら外れたようで……。
八木は、ごく自然な様子で真衣香の手を包んで、指を絡めていく。
「え、えぇ!?」
「おい叫ぶなよ、それらしく見えねぇとお前いつまでも二股女呼ばわりだぞ、いいのか」
(それは嫌だ……)
「……だ、黙ります!」
勢いよく返事をしてみたものの、緊張だけはどうしようもない、コントロールなどできはしないのだから。
「手繋ぐくらいで固まんなよ、アホ」
「し、仕方ないじゃないですか……。 男の人と手を繋いだのなんて、ついこの間が初めて……で…………」
言葉にした後で、しまった、と。真衣香は思った。
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