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初秋の満月の夜空の下、銀色の刺繍が一面に入ったショールを肩にゆるく巻いたその女は、数メートル離れた場所で白人の男から突きつけられた拳銃の銃口を全く怯えた様子もなく見つめ返していた。
男は外国語で何かをしきりに女に向かってまくし立てていたが、女は意に介する様子を見せず、ワンピースの肩のショールの端を指で弾いた。
そのショールはひとりでに宙に舞い、目にも止まらぬ速さで男の体の周りを取り囲むように漂った。男が腕を振って力任せにその布を払いのけようとした時、青白い電撃がショール全体から男に向かって走り、男は鈍い悲鳴を上げてそのまま前のめりに地面に崩れ落ちた。
女は息絶えた男の姿を無表情に見下ろしながら、宙を飛んで戻って来たショールを再び肩にかけた。
そして女は煌々と輝く満月を見上げながら、口元にかすかな笑みを浮かべて独り言を言った。
「名残り惜しいけど、どうやら、お迎えが来てくれたようね」
同時刻、岐阜県飛騨市、旧神岡鉱山の地下深くにあるKAGRA(カグラ)の観測室内では宿直の研究員が興奮した表情でコンピューターのキーボードを操作していた。
緊急招集の放送で呼び出された他の研究員たちが次々に部屋へ飛び込んで来る。やや年配の室長が宿直の若い研究員の肩口からスクリーンをのぞき込む。
「エネルギー指数は?」
「今計算中です」
部屋の隅で2台の固定電話が数秒の間隔を空けて鳴った。近くにいた他の研究員たちが受話器を取る。その二人の研究員は英語で相手と早口でやり取りを始めた。
スクリーンからピッという音がして数字が画面に映し出された。宿直の研究員が室長に告げる。
「出ました。え? 87.69」
室長は体中の力を抜いて、笑い顔で言う。
「やれやれ、計器の誤作動か。そんな重力波があるわけはない。今までに観測された重力波の最高でも3.0だ。だからもっと試験運用をやるべきだと言っていたのに、政府の素人どもが急かすから」
宿直の研究員も、気が抜けたという顔で室長に訊く。
「エラーなんですか?」
「当然だ。こんなエネルギー指数の重力波が出ているなら、とてつもないガンマー線バーストでとっくに地球全体がローストビーフみたいになってるよ。とは言え、一応規則だからな。おい、君たち」
室長は固定電話の受話器を握っている二人の研究員に向かって言った。
「その通話が終わったら、米国のLIGO(ライゴ)とイタリアのVirgo(ヴィルゴ)に連絡を取れ。このデータが誤作動の結果だと確認しなきゃならん」
うち一人がやや青ざめた顔で室長に告げる。
「その米国のライゴからの電話なんです。理論上あり得ない数値の重力波を示すデータが出た。装置の誤作動だと思うので、こちらの観測記録を送れと言ってます」
もう一人の受話器を持った研究員も唇を震わせながら室長に言った。
「こっちはイタリアのヴィルゴからの緊急連絡です。全く同じ事を訊いて来ています」
室長の顔が青ざめた。そして部屋にいる全員に叫んだ。
「地上の様子をメインモニターに出せ! 誰かネットのニュースサイトをチェックしてくれ!」
部屋の大型モニターに映し出された地上の様子は特に変わった様子はなかった。ケーブルテレビやネットのニュースでも、何も特別な事が起きているという情報はなかった。
室長は呆然とした顔でメインモニターを見つめながらつぶやいた。
「こんな事があるはずがない。宇宙空間で一体何が起こっているんだ」
室長の目に見えるのは、メインモニターに映し出された夜空の中で、満月が静かに輝いている光景だけだった。
警視庁公安機動捜査隊の隊長室のドアがノックされ、「入れ」という返事に続いて宮下警部補が入って来た。
ネイビーブルーの女性用パンツスーツをきりりと着こなし、毛先を肩の上で切りそろえたボブカットの女刑事は、20代後半にも関わらず少女っぽい雰囲気の残る顔をまっすぐに隊長に向け、素早く敬礼した。
「お呼びでしょうか」
50代の隊長は机の向こう側からかすかにうなずいて言った。
「二日前、奥多摩の別荘地で外国人の不審死があった」
立ったままの宮下警部補の方へ、プリントされた写真を隊長が指で弾いて渡す。宮下は首を傾げて写真をのぞき込んだ。40前後とおぼしき白人の男が地面に横向きに倒れているのが映っている。
「他殺ですか?」
「死因は感電死だ。だが、現場の周辺に送電線などはない。そして厄介な事に、ガイシャの身元はロシア大使館の駐在武官だ」
「スパイの線ですか? ですが、それなら、外事課か公安本部の管轄では? なぜ公安機動捜査隊が出て行くんですか?」
「諜報活動がらみの事件かどうか、まだ不明な段階で外事課や公安本部が動いたら面倒な事になるんだ。ガイシャがテロリストに殺された可能性があるという話にして、うちが非公式に動く。そういう建付けさ」
「承知しました。それで私は具体的に何を?」
隊長はもう一枚写真を取り出して今度は宮下に手渡した。そこには20代半ばとおぼしき若い女性が映っていた。栗色の長い髪、顔立ちは彫りが深く、日本人のようにも白人とのハーフのようにも見える。
「ガイシャは死亡する直前までその女性をつけ回していた形跡がある。彼女に接触してさりげなく、事情を探れ」
宮下は女性の写真を手に取り、スーツの上着の内ポケットにしまった。
「では、さっそく調査にかかります」
「聞き分けが良くて助かるよ。外事課に売れる恩は売っておけ。それが公安部門で出世するコツだからな」
宮下が部屋を出て行ってすぐ、隊長のデスクの固定電話が鳴った。隊長が出ると、相手は国家公安委員長だった。
「手配は済んだかね?」
その問いに隊長は背筋を伸ばして答えた。
「秘密保持に最適任の者を今派遣したところです。はい、はい、その点は万全を期しております。はっ! 承知しております」
電話線の向こう側では、通話を終えた国家公安委員長が部屋のソファに座っている外務大臣と防衛大臣に向き直って言った。
「今のところ手筈通りです。あくまで警察による、不審死事件の捜査の形を取りました」
防衛大臣が手元のタブレットに映る画像を見つめながらつぶやいた。
「しかしよく中国がこれを提供してくれたものだな」
外務大臣が言う。
「中国も事の重大さを理解しているという事でしょう。月の裏側にカメラ付きの探査機を置いているのはあの国だけですからな」
タブレットの画面には、月探査機のカメラの視界全体をふさぐ形で、明らかに人工物である何かの、鈍い銀色の巨大な丸みを帯びた一部分が映し出されていた。
宮下が地元の警察署を通じてあの写真の女性に面会を求めると、相手はあっさり了承して日時を指定してきた。
東京都の一部とは思えない、深い緑と澄んだ小川に囲まれた小高い丘の上に、しゃれた外観の石造りの大きな洋館があった。
高い石塀に囲まれた一角のインターホンで宮下が名乗ると、玄関のドアが開き、あの写真の女性が出迎えに出て来た。
宮下が身分証明のバッジを広げて名乗ると、その女は宮下を屋内に案内しながら自分も名乗った。
「私は杉本マリヤと申します」
「あの、日本語でお話させてもらってかまいませんか」
マリヤは口元に手をあてて笑った。
「私はれっきとした日本人ですのよ。日本国籍も持っています。確かに生まれたのはロシアですけど」
「それは失礼しました」
「いえ、昔からよくそう言われましたから。父が白系ロシア人、母が日本人なもので」
内装は豪華そのものだった。応接室までの短い廊下の壁にも、高価そうな絵が何枚も飾ってあり、壁自体にもおそろしく手の込んだ複雑な模様が直に施してあった。
「素敵なお屋敷ですね。童話の世界に入り込んだみたいだわ」
宮下が本心からそう言うと、マリヤはまた笑った。
「両親が残した家なんです。見た目はいいかもしれませんけど、古い建物ですから手入れも大変だしお金もかかって、けっこう大変なんですよ」
応接室に入ると、テーブルの上に既に紅茶のポット、カップなど一式が用意してあった。
ひじ掛け付きのこれまた豪華そうな椅子に、テーブルをはさんで向かい合わせに座り、勧められた紅茶を一口だけ飲んだところで、宮下は本題を切り出した。
「先日、このすぐ近くで男性が一人、亡くなった事はご存じですね?」
「はい、驚きました。この辺りは静かで落ち着いた場所ですからね。両親が他界してから何年もここに住んでいますが、あんな事件は初めてで」
「亡くなった男性もロシア人だったのですが、何か面識のある方だったとか、そういう事は?」
「いいえ、全く。怖いですわ。自宅のすぐ近くでおかしな事が起きるなんて」
口調は突然の事件に怯えている若い女性のそれだった。だが、宮下の刑事としての勘が、それは演技だと告げていた。
この若い女は全く怯えてもいなければ、怖がっても不安がってもいない。つまり普通の反応ではない。宮下はそう確信した。
その日は引き上げる事にして、宮下が椅子から立ち上がるとマリヤも玄関まで見送ると言って立ち上がった。その時宮下はそれに気づいた。
「あら、素敵なショールですね。キラキラ銀色の刺繍がきれい」
「母の形見なんです。私はけっこう冷え性なので、この季節になると手放せませんの」
翌日、宮下が公安機動捜査隊に出勤すると、情報分析担当の後輩に呼び止められた。入庁してまだ2年目のその丹波という若い男は、宮下を自分のデスクへ手招きした。
「先輩から頼まれていた防犯カメラの顔認証の結果が出ましたよ」
手近にある空いた椅子を引き寄せて、宮下を隣に座らせて、丹波はパソコンの画面に画像フォルダーを表示した。
「あの杉本マリヤという女性ですが、怪しい場所に出入りしている様子は見つかりませんでした。それどころか、意外な場所にいましたよ」
画面に映し出されたのは、病院の一室だった。医師、看護師の控室らしき場所で半透明の防護ガウンを脱いでいる別の医師たちのすぐ側に、マリヤが医師の服装で映っている。
「彼女は医師だったの?」
そう訊く宮下に丹波は別の文字ファイルのフォルダーを開きながら答えた。
「医師免許の登録名簿に、その女性の名前があります。ただ、医師としての活動記録は見当たりません」
「これはどこの病院?」
「政府がオリンピック会場跡地に一時的に設置していた新型コロナウイルス軽症者用の臨時病棟です。ほら、野戦病院なんて揶揄されてたのがあったでしょ」
「意外と言えば意外ね。でも今回の事件と関係あるかしら?」
「それがあるんですね。患者の脱走に備えて監視カメラを所轄の警察が設置してたんですが、外部からの侵入者があったんです。それが、この男」
次の画像に映っていたのは、奥多摩で感電死した、あのロシア人だった。
「ガイシャが同じ施設に? 患者ではなかったの?」
「そこは確認しました。この臨時病棟に外国人が入っていた記録はありません。入院患者以外は家族といえども立ち入り禁止でしたから、不法侵入以外あり得ませんね。当時の関係者にも確認済みです」
「これで二人の間に接点が出来た。ちょっと電話借りるわよ」
宮下は内線電話で隊長と話し、丹波を同行させる許可を取った。丹波に出かける用意をさせるよう言い、今度は自分のスマホを取り出す。丹波がいぶかしそうに訊く。
「同行するのは光栄ですが、どこへ行くんです?」
宮下はスマホの通話ボタンをクリックしながら答えた。
「帝都理科大学へ。あそこの画像映像データベースと、うちのカメラ記録の顔認証システムを連結させて欲しいの。これは私ひとりじゃできないからね」
翌日の午後、宮下と丹波は帝都理科大学の渡教授の研究室に座っていた。渡が顔をしかめてあごひげをしごきながらぼやいた。
「まったく、うちは国立大学だから協力しろと言われれば嫌とは言えんが、刑事さんとの腐れ縁は御免こうむりたいもんだ」
宮下は座ったままペコリと頭を下げた。
「無理を言って申し訳ありません。AIを使った過去の画像管理システムを持っている研究機関と言うと、ここしか思いつかなかったものですから」
渡のデスクの固定電話が鳴った。内線で照合結果が出たと告げられる。渡が電話を切って宮下と丹波に言った。
「情報工学部の連中が結果を出したようだ。紹介してやった礼と言ってはなんだが、立ち会わせてもらえるか?」
宮下は丹波とともに椅子から立ち上がりながら言った。
「はい、よろしいでしょう。では、案内をお願いします」
情報工学部のラボの一つに入り、研究員のメインフレームコンピューターの周りに円陣を作るように並んで座る。研究員が言う。
「そこの丹波さんからいただいたデータを使ってAIで検索をかけました。その女性は過去にいろんな医学研究の場に、一時的にですが関わってますね。まずこれです」
研究員が表示した画像にはマリヤが数人の科学者と一緒に、何かの実験室にいる様子が映っていた。研究員が言う。
「これは重症急性呼吸器症候群、いわゆるSARS(サーズ)の臨床研究の公開写真です。日時は2004年1月21日、場所は香港」
宮下が思わず大声を上げた。
「丹波君、データを間違えてない? 20年ぐらい前じゃない。彼女はまだ幼児の頃よ」
丹波が研究員の横からキーボードを操作し、中身を確認する。
「いえ、間違いありません。一致率99.8%。間違いなく同一人物です」
研究員が素早くファイルを手繰りながら言った。
「ついでにとんでもない画像がひっかかりましたよ。これを見て下さい」
古いモノクロの写真が表示された。6人の科学者の端っこにマリヤの顔があった。宮下が訊く。
「これは何の写真ですか?」
「ツングースカ大爆発を知っていますか? 1908年6月30日にロシアのシベリアで起きた謎の爆発現象です。当時のロシアは政情が混乱していて、1921年になってようやく調査団が派遣されたんですが、その時のソ連科学アカデミー調査団の報道写真です」
宮下は思わず椅子から立ち上がり、画面に顔を近づけた。
「百年以上も前? 同一人物であるはずはないわ。親子、あるいは祖母と孫という事じゃないの?」
丹波が添付されている文字ファイルを見て首を横に振った。
「元の写真が古いので少し数字は堕ちますが、一致率96.84%。一卵性双生児でさえ、一致率が90%を超える事は稀です。同一人物に間違いない、としか言いようがありません」
ラボを出て、渡、宮下、丹波の3人は大学の学生食堂の喫茶スペースで、休憩を取った。
宮下はまだ信じられないという表情で、宙を見つめながらつぶやく。
「こんな事あるはずがない。百年以上もの間、同じ人物が若い姿のまま、この世に存在し続けたなんて」
渡が丹波のタブレットを借りてインターネットで何かを検索しながら、皮肉そうな口調で言う。
「もう一つ接点があるかもしれんぞ。ツングースカ大爆発の原因が大型の隕石の地表への衝突だった事は近年の研究で分かっている。ツングースカ大爆発が1908年。それから10年足らず後の1918年3月に、人類史に残る大事件が起きた。正確には始まった。何だか知っているか?」
宮下と丹波が首を横に振った。渡が言葉を続ける。
「スペイン風邪の世界的流行だ。今で言うパンデミックだな。そして、これに見覚えはないか?」
渡がタブレットの画面上にSNSに投稿された動画を再生する。空を巨大な火球が横切る映像が映し出された。
「ロシアの辺境地帯、チェリャビンスクという地方で目撃された大型隕石の落下シーンだ。2013年2月15日。それから7年弱経った時、何が起きた?」
宮下がコーヒーの紙コップを取り落としそうになった。
「新型コロナウイルスのパンデミック! 渡先生は、隕石と新型感染症のパンデミックに関係があるとお考えなんですか?」
「それだけなら、ただの偶然という事もある。だが、百年以上も同じ若い女性の姿を保っている『何か』が両方に関わっているというなら、単なる偶然とは言い切れんかもしれんな」
丹波が茫然とした顔で力なく反論する。
「宇宙人が地球を観察しているとでも言うんですか? そんな勝手な事は許されないでしょう」
渡はタブレットを丹波に返しながら言う。
「我々地球人類だってあの手この手で宇宙を観察しているだろう? 探査機を飛ばしたりしてな。その時、宇宙のどこかに許可を願い出たりしてきたか? 宇宙を観察する者は宇宙からも観察されているかもしれん。少なくとも、こちらが文句を言える筋合いではないだろうな」
翌日の日没後、宮下と丹波はマリヤの家を訪ねた。あの死んだロシア人が彼女をストーカーしていたかもしれないという筋書きをでっちあげて、情報を探ろうとした。
そのためにわざと夜間に突然訪問する形を取った。だが二人が屋敷の門にたどり着くと、門扉は開け放たれており、庭の方からプシュッという音が何度も響いた。
宮下はスーツの上着のボタンを外し、腰のホルダーから拳銃を引き抜いた。目を丸くした丹波に押し殺した声で告げる。
「銃声よ! サイレンサーを付けた、拳銃の発射音だわ」
二人が門扉を抜けて直接広い庭に出ると、マリヤが拳銃を構えた3人の白人の男に囲まれていた。
だが、焦って恐怖の色を顔に浮かべているのは襲撃者たちの方だった。マリヤの体の周りには、あの銀色の刺繍のショールがフワフワと宙に浮かび、発射された銃弾を包み込むように受け止め、そしてポトリと地面に落とした。
マリヤが指を鳴らすと、ショールの銀色の部分から青白い電撃が次々と走り、襲撃者の3人はひとり、またひとりと地面に倒れた。
「まるで天(あま)の羽衣(はごろも)……」
思わずそう声に出してつぶやいた丹波めがけて、ショールが飛んで来た。それは直前で宙に停止し、マリヤの元へ戻った。
マリヤは宮下の方を向いて、ショールを肩にまとい、かすかな笑みを浮かべて言った。
「迎えが来ましたので、私はもう去らねばなりません。宮下さん、あなたにならできるかもしれないからお願いするわ。この星の指導者にこう伝えて下さい。地球人類に危害を加える意図はない、私たちは単なる観察者なのだと」
突然彼らの真上の夜空に巨大な光が出現した。それは厚みのある円盤のように見えた。
マリヤの体はショールをフワフワと宙に舞わせながら、そのまま浮き上がり、上空の光の中に飲み込まれて行った。
数時間後、世界各地の重力波観測装置が再び強力な重力波を観測。月の裏側の中国の月面探査機の観測カメラの視界を塞いでいた巨大な何かは、突如として姿を消した。
数日後の夜、勤務を終えた宮下と丹波は繁華街を歩いていた。彼らの報告書は極秘扱いとなり、二人は守秘義務宣誓書にサインさせられた。
丹波は憂さ晴らしに飲みに行こうと言ったが、宮下はその気になれず駅の近くで別れた。
宮下のすぐ横で、光る刺繍の入った布が舞い上がり、彼女を身構えさせた。だが、それは通りすがりの若い女性のショールが突然の風で舞い上げられただけだった。
宮下ははっとした。最後のあの時、マリヤは確かにこう言った。
「私たちは単なる観察者なのだ」
宮下はつぶやいた。
「一人だけじゃないのかもしれない」
そして飲み屋街へ歩いていく丹波の背中に向かって心の中でつぶやいた。
気を付けなさい。あなたの隣の家に住んでいる知り合いが、宇宙から来た観察者なのかもしれないのだから。