深夜の東京の繁華街のはずれ、夜の店もあらかた営業を終え暗く静まりかえった路上に、重々しい足音が響き渡る。
電車の高架下の歩道で段ボールにくるまって寝ている二人のホームレスの男たちが顔をしかめて顔を出した。
「うるせえな、何だこんな夜中に?」
もう一人が相槌を打つ。
「俺は明日夜明け前に缶拾いに行かなきゃなんねえのに、眠れやしねえ」
その地面をゆるがす足音は徐々に男たちの方へ近づいていた。男たちの目の前の交差点に、巨大な金属の脚が姿を現した。
きょとんとして見上げるホームレスの男たちの視界に、高さ18メートルの人型ロボットの姿が入った。そのロボットは目の辺りにあるセンサーを赤く瞬かせ、男たちの方へ近づく。
ロボットは体をかがめて鉄道高架をくぐり、男たちに向かって5本指の右手を伸ばした。明らかに男たちを狙っている。
危険を察した男たちは逃げようとするが、あまりの突然の出来事に足がすくみ、這うようにして後ずさる事しかできなかった。
ロボットの手が手前の男の体を鷲づかみにしようとする直前、背後から駆け付けた警察官が彼の体を後ろから抱えて引きずり、からくもロボットの手から逃げる事ができた。
もう一人のホームレスの男も別の警察官に体を引き起こされた。警官は男たちに大声で言う。
「早く逃げなさい。あそこの公園の前に護送車が停まっている」
ホームレスの一人が警官に震える声で訊いた。
「な、何なんだよ、あの馬鹿でかいのは?」
「この辺りのホームレスが無差別に襲われているんだ。急げ!」
警官に引っ張られてホームレスの男たちはよたよたと走って、護送車にたどり着いた。一人また一人と、警官に付き添われたホームレスがその場所へやって来る。
護送車の脇にはスーツ姿の警察官が立って避難状況を見守っていた。制服警官が一人、彼の側へ走って来て敬礼した。
「公安機動捜査隊の丹波巡査ですか?」
丹波がうなずくと制服警官は周りを見回しながら早口で告げた。
「この一帯のホームレスは全員保護しました。護送車を発車させます」
「ご苦労さまです。行って下さい。僕はこのままロボットの追尾に移ります」
再び制服警官が敬礼し走り去って行った。エンジンの始動音が響き、大勢のホームレスを乗せた護送車が走り出した。
丹波はそれを見届け、獲物を見失ったロボットがゆっくりとした足取りになり、方向を変えて歩いて行くのを言葉もなく見つめていた。
ロボットがたてる工事現場の杭打ちのようなズシンズシンという足音を聞きながら丹波はつぶやいた。
「どうしてこんな事になったんだ。あの時は何の異常もなかったのに」
それは8時間ほど前だった。お台場の広場には人だかりができて、高く張り巡らされた覆いが外されるのを今か今かと待っていた。
広場の隅のテントの下で、丹波は大型コンピューターのスクリーンを見つめながらキーボードを操作していた。
ラフな服装の30代の社長が近寄って来て、愛想笑いを浮かべながら丹波に訊く。
「どうでしょう? 何か問題は見つかりましたか?」
丹波は首を横に振りながら答える。
「特にないようですね」
「では、警察の許可は下りたという事で?」
「はい、書類の手続きは済んでますし、僕が来たのはあくまで念のための最終確認ですから。ま、テロリストに乗っ取られる心配はないと判断します」
社長は巨大な覆いの前の壇上に立ち、マイクを持って集まった見物人たちに呼びかけた。
「みなさん、お待たせしました。では遂に、わが社が開発した、自立型人工知能を備えた実物大人型ロボットの登場です」
テント生地の覆いが下へ降ろされ、往年の人気アニメの人型ロボットが姿を現した。全高18メートルの戦闘用ロボットをそっくり再現した全身が見えると、見物人からどっと歓喜の声が響き渡った。
人気の若い女性アイドルが歩いて来た。社長は壇上にそのアイドルを招き、マイクを彼女に向けた。
「このロボットの最大の特徴は実際に人が内部に搭乗できる事です。ミルナさんはこのアニメシリーズのファンだったそうですね」
そのアイドル、ミルナは満面の笑顔で答えた。
「はい! レプリカでも、これに乗れるなんて夢のようです」
「まあ、操縦はAIが全てやりますから、ミルナさんは座っているだけでいいんですけどね。このロボットにはもう一つ画期的な特徴があるんです。インターネットに常時接続されているんですよ」
「マネージャーから聞いてはいるんですけど、具体的にはどういう事ですか?」
「ネットの情報、特にSNSですね。それに常時接続して、行く場所とかを自分で判断するんです。ネットを通じて人々の要望を自動的にかなえるという実験のための仕組みです。太陽光発電パネルと大容量全個体電池が組み込まれていて数日はエネルギー補給なしで稼働し続けるという優れものなんですよ」
「わあ、すごいですね。コクピットから見える街のながめがどんな風なのか、楽しみです」
ロボットの胸の位置にあるコクピットにミルナが乗り込み、胸の装甲板が取り付けられて、彼女の姿は中に隠れて見えなくなった。
「ではみなさん、ご覧ください! 記念すべき、完全自立型AIロボットの第一歩を!」
社長の絶叫と同時に、ロボットが右足を踏み出す。ズシンという足音と振動が辺りを揺るがす。
そのままロボットは広場を横切り、交通規制が敷かれた道路へ出た。女性アイドルを乗せて、広場の周りを一周し、30分ほどで元の場所へ戻ってデモンストレーションを終える。そのはずだった。
ロボットの動きをモニターしている広場のテントに下では、ロボットの開発会社のエンジニアが驚きの声を上げていた。
「おい、変だ! コースを外れている!」
「中止コマンドを……どういう事だ? コマンドを受け付けない!」
「ハッキングか? 警察の人、何か異常は?」
丹波が自席のコンピューターを操作して首をかしげる。
「AIには何の異常もない。ネットへの接続も通常モードだ。どういう事だ?」
ロボットはそのまま北上し、警察が設置した道路封鎖の柵を足でなぎ倒し、幹線道路をのし歩いた。
コクピット内のアイドルとは連絡が取れなかったが、中の人間の体調を確認する各種センサーのデータは、彼女が無事でいる事だけは確認できた。
日が沈む頃になって、ロボットは突然進行方向を変え、住宅地へ入り込んだ。狭い住宅地の道を、様々な物を蹴散らしながら進み、ある一軒の大きな家屋の前で止まった。
ロボットの背後では警官に誘導された付近の住民たちが避難していた。その家屋の住人もその中にいた。
ロボットはその家屋に近づき、足で生け垣を踏みつぶし、腕を振って家屋の屋根に拳を突き立てた。屋根は紙細工のようにひしゃげ、ロボットはさらに壁を突き崩し、その家屋を叩きつぶしていった。
その様子をスクリーンで見ながら、丹波はコンピューターで情報を検索していた。やがてロボットが破壊した家屋の情報が表示された。
「シェアハウス? NPOが運営している、生活保護受給者のための一時滞在施設か。しかし、なぜこんな所を襲った?」
その家屋を跡形もなく破壊し終わったロボットは、住宅街を突っ切って再び幹線道路へ入り、やや西寄りに方向を変えてまた歩き始めた。
ロボットの進行方向にあたる各地では、警察が交通規制を敷き付近の住民の避難誘導を行った。繁華街、商店街は逃げ惑う人たちの列ができ、大混乱に陥った。
警視庁内部ではロボットへの攻撃が検討されたが、内部コクピットに女性アイドルがまだ生存している状態で閉じ込められているため、人命第一の観点から攻撃はできないという結論になった。
完全に暗くなった渋谷の街へロボットはたどり着き、高層ビルが立ち並ぶ一角に侵入した。
ロボットは高層ビルの一つに近づき、両手両足を外壁にかけてよじ登り始めた。ガラスで装飾されたビルの外壁に次々と穴が開き、まるでボルダリングのようにロボットはビルをよじ登った。
途中でロボットは動きを止め、右腕を大きく後ろに引いて、パンチをビルの内部に叩きこんだ。そのビルの区画はオフィススペースで、内部を完全に吹き飛ばされた。
この頃には、開発会社のテントに詰めている丹波からの報告で、ロボットが襲撃している場所の共通点が浮かび上がっていた。
ネット上のSNSで、激しい言葉遣いで攻撃されている属性の人物、企業などがその攻撃対象である事が推測された。
警視庁の臨時対策本部では、渋谷のビルの一角に穴が開き、ロボットがまた地上へ下りて行く様子が特大のスクリーンに映し出されていた。
幹部たちが口々に部下に詳細を尋ねる。
「建造物の特定は?」
「渋谷ピカリエと判明しました」
「破壊されたのは一か所だけか?」
「21階のオフィススペースだけが攻撃されたようです。IT系企業が入居している場所ですね」
「何の会社だ?」
「いわゆる小説投稿サイトの運営会社のようです」
「何かネット上で逆恨みでも買ったのかな? 気の毒に」
その後、ロボットは繁華街の路地に入り込み、人間の目にあたるセンサーで付近をスキャンし、高架下や公園の隅にいるホームレスの人たちを襲い始めた。
さすがにアニメのような高速の動きはできないため、ロボットに襲われたホームレスたちはかろうじて逃げる事ができた。
それでも、特定の人間たちを追いかけ回す巨大な人型ロボットの姿は、東京中を恐怖のどん底に陥れた。
丹波は警視庁本庁に呼び戻され、先輩刑事が待っている部屋へ通された。小会議室の椅子には、公安機動捜査隊の先輩である宮下という女性警部補が座っていた。
宮下は向かい側に座った丹波に缶コーヒーを手渡しながら言った。
「お疲れさま。とんだ事に巻き込まれたわね」
丹波は缶を手に持って訊いた。
「あの社長の事情聴取を先輩がやったんですか?」
「ええ。結論から言うわ。彼はシロね。テロリストと関係があるとは考えられない。今回の件はおそらく、純然たるAIの暴走のようね」
その時、丹波のスマホが鳴った。ロボットの開発会社の社員から、データの分析結果が出たという知らせだった。
丹波は急いでノートパソコンを開き、データの転送を頼んだ。あのロボットのAIがアクセスしたSNSや動画投稿サイトの一覧が表示された。その一つを再生してみる。
動画の中では、かつて一世を風靡した美人ユーチューバーがこう熱っぽく語っている。
「あたしはさあ、生活保護で無駄に生きてる人たちを食わせるために高い税金払ってきたわけじゃないのよねえ。みんなもそう思いません? ね、そう思うでしょ?」
別のSNSの炎上したコメント欄には、こんな言い合いが記録されている。
「ほんとホームレスなんて消えて欲しいよな」
「あんな連中に支援する金があんなら、犬の殺処分減らす事に使って欲しいよな」
「そうそう。俺的には、ワンちゃんの方が生きる価値高いと思うんだよな」
それらのコメントや動画の内容をしばらく見た後、丹波はバンと机に掌を叩きつけた。
「あのロボットのAIは、これに反応していたのか! 確かにネットにあふれている、普通の人たちの要望と言うか、願望だ」
宮下が眉をひそめながら言う。
「だからって、AIが悪事を働くものかしら」
「AIに事の善悪なんて分かりませんよ。その判断がつくのは人間だけです。いや、その判断がつかない人間が増えたから、こうなっていると言う事なのか?」
それから夜明けまで、ロボットは東京の街を移動しながら、あちこちで破壊を行った。
障碍者が集団生活をしている施設が襲われた。学習障害のある子どもへの教育支援をしている学習塾の本部が破壊された。貧困家庭に食品を配布しているフードバンクの倉庫が襲われ配達用のトラックが踏みつぶされた。
いずれも直前に警察が住民や関係者を避難させていたたため、人命の被害は一件も起きずに済んでいたが、コクピットに閉じ込められている女性アイドルの体調が懸念された。
丹波と宮下はロボットの開発会社の本社内に移動し、会社のエンジニアたちと一緒にロボットを停止させる方法を模索していた。
何度目かの試みの後、エンジニアの一人が沈痛な表情で丹波に言った。
「ダメです。何度やっても外部からのコマンドを受け付けない。ネットから学習したものと思われます」
丹波が声を荒げた。
「学習したって、どういう意味だ? 君たちがプログラミングしたAIだろう」
「最近のネットの炎上見てませんか? 自分の意見とちょっとでも違う事言われると全否定するじゃないですか。そういう、情報をシャットアウトするやり方を、AIが学習してしまったんじゃないですか?」
「だったら、どうすりゃいいんだ? 今はまだ何とかなっているが、このままじゃ死人が出るのは時間の問題だ」
宮下がエンジニアたちに訊く。
「AIがこちらの指定するサイトにアクセスするよう誘導する事はできませんか?」
別のエンジニアが腕組みをしてつぶやいた。
「それなら可能かもしれません。セッティングしてみますか?」
「お願いします。丹波君、ちょっとパソコン使うわよ」
宮下はネット上のいくつかのサイトをブックマークし、丹波に示した。
「ここにあるサイトにAIをアクセスさせてみて」
画面を見た丹波は悲鳴のような声を出した。
「先輩、気は確かですか? こんな物が効果があると本気で思ってます?」
「やってみなけりゃ分からないでしょ? ダメで元々よ」
丹波は顔をしかめながら、エンジニアたちにアクセス先を指示した。やがてスクリーンの画面上に、AIがアクセスを始めた事を示すデータが表示され始めた。
「成功です。AIが指定のサイト群にアクセスしている!」
エンジニアに一人が言う。すると次々に、他のエンジニアたちも大声で報告し始めた。
「ロボットが移動を停止しました!」
「コクピット内部との回線回復! アイドルは無事です。衰弱しているようですが、生きてます!」
「コクピットの開閉コントロール制御可能! 彼女を外に出せます!」
宮下がスマホで現場の警察部隊に連絡し、丹波と一緒にロボットのいる場所へと向かった。
空が明るくなり始めた頃、動きを停止したロボットの胸部に梯子がかけられ、細心の注意を払いながら、救助専門の警察官があの女性アイドルをコクピットから外へ運び出した。
彼女は救急車で病院に運ばれ、停止しているロボットのあちこちにロープをかけて特殊隊員たちがよじ登り、ロボットの駆動系、通信系のケーブルを切断した。
一度だけロボットがかすかに身動きし、全員が緊急退避したが、それ以上の危険な兆候は観察されず、作業は再開された。
夜が明けきる頃には、ロボットは行動不能になったと判断された。
その様子を少し離れた場所で見ていた丹波は、ノートパソコンをじっと見ながらつぶやいた。画面には宮下がブックマークしたサイトが多重に表示されていた。
それらは、様々な宗教団体のPRサイトだった。アクセスしてきた人のためのメッセージ欄にはこんな言葉が並んでいる。
「汝の敵を愛せよ」
「善人なおもって往生を遂(と)ぐ、いわんや悪人をや」
「真理は主の下し給う物。信じたくない者は信じなければよかろう」
「人を裁いてはならぬ。あなたが裁かれないためである」
丹波はため息をついてしゃがみ込んだ。
「最先端科学のトラブルを解決したのが、宗教だなんて。じゃあ一体何のための科学なんだ!」
宮下は立ったまま、すっかり明るくなった空を見上げていた。
「今の時代、多くの人が何かに怒りを感じているんでしょうね。その怒りをネット上でぶつけ合う事で、かろうじて心の均衡を保っているのかも」
「しかし、AIが特異的に反応したのが、なぜよりによって怒りの感情だったんでしょう?」
「よりによって、というのは違うかもよ。むしろ自然というか、必然の事だったのかもね。怒りというのは人間だけでなく、ほとんどの高等動物が持っている原始的な感情だと聞いた事があるわ」
宮下は丹波に顔を向けて付け加えた。
「ネット上で表現されている喜怒哀楽の感情の割合を一度分析してみたら? 一番多いのは、その怒りかもしれないわよ」