テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第5話「エルフの元彼が会社に来た」
月曜日。
午前八時四十七分。
相沢直人は自分でも認めたくないことを考えていた。
神崎レオン。
土曜日、エルフの集会の帰りに会った男。
長身。
整った顔。
落ち着いた話し方。
そしてエルフ。
森野リリカの昔の知り合い。
おそらく。
元彼。
「どうでもいい」
相沢は小さく言った。
「何がですか?」
「うわっ」
隣に森野が立っていた。
「おはようございます」
「お、おはよう」
今日も髪はきれいに巻かれている。
耳は完全に隠れていた。
「何がどうでもいいんですか?」
「何でもない」
「怪しいですね」
「仕事のこと」
「まだ始業前ですよ」
「今日の仕事のこと」
森野は疑わしそうに相沢を見る。
相沢はパソコンを起動した。
聞きたい。
ものすごく聞きたい。
神崎レオンは元彼なのか。
しかし。
聞けば気にしていると思われる。
それは嫌だった。
「森野さん」
「はい」
「土曜日の」
そこまで言った瞬間。
森野の耳が髪の中で動いた。
ぴく。
相沢は黙った。
「何ですか?」
「いや」
「土曜日の?」
「天気よかったね」
「……そうですね」
森野が自分の席へ戻った。
相沢はため息をついた。
午前十時。
部長が営業企画部へ入ってきた。
「ちょっといい?」
全員が顔を上げる。
「今日、取引先から急に来客があるから」
部長が資料を見る。
「十一時。先方は新規事業開発部の神崎さん」
相沢の手が止まった。
森野の手も止まった。
「会社名は?」
同僚が聞く。
部長が答える。
その会社は有名な大手企業だった。
相沢も知っている。
「神崎レオンさん」
森野が立ち上がった。
「え?」
全員が森野を見る。
「あ……」
森野はゆっくり座った。
「すみません」
部長が笑う。
「知ってる人?」
「いえ」
ぴく。
耳が動いた。
相沢だけには分かった。
嘘だ。
「神崎さん、最近向こうの会社に移ってきた人らしい」
部長が続ける。
「海外事業が長かったそうだ」
相沢は森野を見る。
森野はパソコンの画面を見ている。
しかし。
明らかに動揺している。
午前十一時。
受付から電話が入った。
「神崎様がお見えです」
部長が立ち上がる。
「相沢君、森野さん。会議室お願い」
「はい」
「はい」
最悪の組み合わせだった。
三人で会議室へ向かう。
森野が小声で言った。
「聞いてません」
「俺も」
「どうして会社に」
「仕事だろ」
「偶然でしょうか」
「本人に聞けば?」
「聞けません」
「昔の知り合いなんだろ?」
森野が相沢を見る。
「まだ気にしてるんですか?」
「別に」
「気にしてますよね」
「気にしてない」
今度は相沢に耳があったら動いていたかもしれない。
会議室の扉が開く。
神崎レオンがいた。
スーツ姿。
土曜日よりさらに整って見える。
「お世話になります」
神崎が立ち上がる。
部長と名刺を交換する。
相沢とも。
そして。
森野の番。
二人が向き合った。
「初めまして」
神崎が言った。
森野も答える。
「初めまして。森野です」
完璧だった。
まるで本当に初対面だ。
ただし。
神崎の耳は普通だった。
特殊メイクなのだろう。
会議が始まった。
神崎は仕事ができた。
説明が簡潔。
質問も的確。
数字にも強い。
そして何より。
余裕がある。
相沢は面白くなかった。
「こちらの販売計画ですが」
相沢が説明する。
神崎が資料を見る。
「面白いですね」
「ありがとうございます」
「ただ、この予測値は少し強気では?」
「根拠があります」
相沢は説明した。
神崎がうなずく。
「なるほど」
何だ。
いい人じゃないか。
それがさらに面白くない。
会議は一時間ほどで終わった。
部長が立つ。
「では、今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ」
神崎が言った。
そして。
「森野さん」
「はい」
「少しよろしいですか?」
空気が止まった。
「追加で確認したい点があります」
仕事の顔だった。
「分かりました」
部長が言う。
「森野さん、対応お願い」
「はい」
相沢には何も言えない。
部長と一緒に会議室を出た。
五分。
十分。
十五分。
森野は戻ってこない。
相沢はパソコンを見る。
数字が頭に入らない。
二十分。
「相沢」
隣の同僚が言う。
「さっきから同じセル見てない?」
「見てない」
「見てるよ」
三十分後。
森野が戻ってきた。
一人だった。
相沢はすぐ聞いた。
「長かったね」
「そうですか?」
「三十分」
「仕事の話です」
ぴく。
「嘘」
「何がですか?」
「耳」
森野が慌てて髪を押さえた。
「会社でそれ言わないでください!」
「じゃあ何の話?」
「仕事です」
ぴく。
「また動いた」
「相沢さん」
「はい」
「監視役は私です」
「そうだね」
「私があなたを監視するんです」
「うん」
「あなたが私を監視する制度ではありません」
「なるほど」
「だから詮索しないでください」
森野は席へ戻った。
しかし。
午後零時十五分。
昼休みになった瞬間。
相沢のところへ来た。
「お昼行きます」
「俺と?」
「監視です」
「社員食堂まで?」
「監視です」
二人で社員食堂へ行った。
向かい合って座る。
今日は二人とも日替わり定食だった。
森野は黙って魚を食べている。
相沢も黙って食べる。
一分。
二分。
三分。
森野が箸を置いた。
「聞かないんですか?」
「何を?」
「さっきのこと」
「詮索するなって言ったから」
「そうですけど」
「じゃあ聞かない」
「……」
森野の耳が少し動いた。
「聞いてほしいの?」
「違います」
ぴく。
「じゃあ聞く」
「どうぞ」
「神崎さん、元彼?」
森野が水を飲んだ。
ゆっくりコップを置く。
「正確には」
「うん」
「婚約者でした」
相沢の箸が止まった。
「……婚約者?」
「昔の話です」
「いつ?」
「六十八年前です」
情報量が多すぎた。
「六十八年前?」
「はい」
「森野さん、そのとき七十五歳?」
「そういう計算をすぐしないでください」
「婚約してたの?」
「はい」
「神崎さんと?」
「はい」
相沢は魚を見た。
急に味がしなくなった。
「何で結婚しなかったの?」
「いろいろありました」
「いろいろ?」
森野は少し考えた。
「私が逃げました」
「結婚式から?」
「違います」
「じゃあ?」
「エルフの里から」
相沢は森野を見る。
初めて聞く言葉だった。
「エルフの里?」
「あります」
「日本に?」
「それ以上はまだ秘密です」
「森?」
「その質問やめてください」
「ごめん」
森野は少し笑った。
「レオンとは、家同士が決めた婚約でした」
「そんな制度あるの?」
「昔は」
「好きじゃなかった?」
森野はしばらく答えなかった。
「嫌いではありませんでした」
耳は動かない。
本当なのだろう。
「でも、結婚したくなかった」
「どうして?」
「決められるのが嫌だったんです」
森野は味噌汁を見る。
「誰と暮らすか。どこで暮らすか。何をするか。全部」
いつもの明るい森野とは違った。
「だから逃げた?」
「はい」
「それから?」
「いろんなところで暮らしました」
「人間社会にも?」
「はい」
「会社員になったのも?」
森野は笑った。
「それはずっと後です」
相沢は少しだけ分かった気がした。
森野がなぜ人間の会社を楽しそうだと言ったのか。
満員電車も。
会議も。
仕事も。
自分で選んだ生活だからなのかもしれない。
「今日、神崎さんは何て?」
森野の表情が曇った。
「戻ってこないか、と」
「どこへ?」
「里へ」
相沢は黙った。
「それだけ?」
「もう一つ」
「何?」
森野は相沢を見る。
「婚約を、もう一度考えてほしいと言われました」
相沢は完全に固まった。
午後一時。
仕事が再開した。
しかし。
相沢は仕事にならなかった。
婚約。
六十八年前とはいえ婚約。
そして復縁。
いや。
復縁という言葉でいいのか。
そもそもエルフの恋愛事情が分からない。
六十八年ぶりの元婚約者。
人間ならほぼ一生だ。
エルフならどうなのだ。
六十八年は長いのか。
短いのか。
「相沢さん」
森野の声。
「はい」
「この資料」
「うん」
「間違ってます」
「え?」
見る。
数字が一桁違う。
「珍しいですね」
「ごめん」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「本当に?」
「大丈夫」
森野が相沢を見る。
相沢も見る。
数秒。
「何ですか?」
森野が聞く。
「いや」
「言いたいことあるでしょう」
「ない」
「あります」
「ないって」
「顔に出てます」
「森野さんに言われたくない」
森野が少し笑った。
午後六時二十分。
仕事が終わった。
相沢が帰ろうとすると。
「相沢さん」
森野が立っていた。
「一緒に帰ります」
「監視?」
「はい」
「便利な言葉だな」
「何がですか」
「何でもない」
二人で会社を出た。
駅へ向かう。
「相沢さん」
「何?」
「今日、変です」
「普通だけど」
「普通じゃありません」
「何が?」
「午後からずっと機嫌が悪いです」
「悪くない」
「悪いです」
「気のせい」
森野は少し考えた。
そして。
「レオンのことですか?」
相沢は答えなかった。
森野が歩きながら相沢の顔をのぞき込む。
「気になります?」
「別に」
「本当に?」
「森野さんの自由だろ」
森野が止まった。
相沢も少し先で止まる。
「何?」
「それだけですか?」
「何が?」
「私がレオンと結婚するかもしれなくても」
相沢の胸がざわついた。
「結婚するの?」
「まだ決めてません」
「じゃあ俺が言うことじゃない」
「そうですね」
森野の声が少し冷たくなった。
歩き始める。
相沢も後を追う。
何だ。
この空気。
昨日までは普通だった。
いや。
普通ではない。
エルフと人間だ。
それでも楽しかった。
「森野さん」
「はい」
「結婚したいの?」
森野が止まる。
「分かりません」
「神崎さんのこと好き?」
沈黙。
耳は動かない。
森野は答えた。
「昔は、好きだったと思います」
相沢の胸が痛んだ。
「今は?」
森野が相沢を見る。
「分かりません」
そのとき。
ぴく。
耳が動いた。
相沢は気づいた。
「今、動いた」
「何がですか」
「耳」
「動いてません」
ぴく。
「嘘ついた」
「知りません」
「今好きな人いる?」
森野の顔が赤くなる。
「またその質問ですか?」
「いる?」
ぴく。
「いるんだ」
「耳で尋問するのは禁止です!」
「誰?」
「言いません!」
「神崎さん?」
耳は動かない。
森野は黙っている。
相沢はさらに聞く。
「会社の人?」
ぴく。
「会社だ」
「相沢さん!」
「営業企画部?」
ぴく。
森野が両手で耳を押さえる。
「最低です!」
「ごめん。でも」
「もう知りません!」
森野が早足になる。
相沢は追いかける。
「待って」
「嫌です」
「森野さん」
「監視終了です!」
「勝手に終了できるの?」
森野が振り返る。
「できます!」
「規則違反じゃない?」
「うるさいです!」
その瞬間。
強い風が吹いた。
森野の髪がめくれる。
長い耳が完全に出た。
「あ」
通行人がこちらを見る。
相沢はすぐ森野へ近づいた。
森野を自分の胸元へ引き寄せる。
自分の体で耳を隠す。
森野が固まった。
相沢も固まった。
近い。
ものすごく近い。
森野の額が胸に触れている。
「……」
「……」
数秒。
風がやむ。
「もう大丈夫」
相沢が言った。
しかし森野は動かない。
「森野さん?」
「少し待ってください」
「何で?」
「耳が」
「耳?」
「ものすごく動いてます」
相沢は笑った。
「見たい」
「絶対見せません」
「どのくらい?」
「過去最大です」
「そんなに?」
「誰のせいですか」
森野は相沢の胸元に顔を隠したままだった。
相沢も動けなかった。
通行人が不思議そうに二人を見る。
「森野さん」
「はい」
「これ、別の意味で目立ってない?」
「……」
森野が勢いよく離れた。
顔が真っ赤だった。
「帰ります!」
「一緒に?」
「監視です!」
「終了したんじゃなかった?」
「再開しました!」
二人は駅へ向かった。
改札前。
森野が言う。
「では明日」
「うん」
「それから」
「何?」
森野は相沢を見た。
「今日のことは忘れてください」
「神崎さん?」
「違います」
「じゃあ抱きしめたこと?」
「抱きしめてません!」
「似たようなものじゃ」
「耳を隠しただけです!」
ぴくぴく。
相沢は笑った。
「分かった」
「絶対ですよ」
森野は改札へ向かった。
だが途中で振り返る。
「相沢さん」
「何?」
「レオンの話」
「うん」
「返事はまだしてませんから」
「そう」
「それだけです」
森野は去っていった。
相沢はしばらく立っていた。
なぜわざわざそれを自分に伝えたのか。
答えは。
たぶん。
考えないほうがいい。
翌朝。
午前九時三分。
相沢が出社すると。
営業企画部がざわついていた。
「どうしたんですか?」
同僚が言った。
「人事異動」
「誰の?」
「今日付で一人来るって」
「急だな」
「出向らしいよ」
部長が入ってくる。
その後ろに。
一人の男。
相沢は固まった。
森野も固まった。
「今日から半年間、うちの部署で一緒に仕事をすることになった」
部長が紹介する。
「神崎レオンさん」
神崎が笑った。
「よろしくお願いします」
森野の耳が。
髪の中で。
ぴくりとも動かなかった。
相沢は思った。
どうやら。
面倒なことになった。
コメント
1件
うわ、これはまた面白いことになってきましたね…(笑) 六十八年前の婚約者って、もう人間の人生がまるまるひとつ分ですよ。エルフの時間感覚と寿命の長さを感じさせる設定がじわじわ効いてます。森野さんが「決められるのが嫌で逃げた」って言ったところ、すごく彼女らしくて好きです。全部自分で選びたいっていう意志が、今の人間社会での生活にも繋がってるんだなって。 そして相沢さんの嫉妬っぽい反応、すごく人間らしくて微笑ましい。耳で嘘を見破るシステム、面白すぎます。 最後の引き、まさかの同部署異動…これは面倒というか、むしろ話が加速しそうで楽しみですね!