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ハワイ沖から移動したクラーケンは太平洋を北上し始めた。おぼろづきと空母エヴィータは約百キロメートルの距離を取りつつそれを追跡。エヴィータから定期的に発進したF-22が上空からクラーケンの動向を監視した。
クラーケンは数回、やや東よりに進路を変えようとした。そのまま東へ向かえばアメリカの西海岸、カリフォルニア州かワシントン州に向かう危険があった。
その都度エヴィータはB-3ステルス爆撃機を発進させた。それははるか前方を進むおぼろづきの艦橋のモニターで眺めていた雄平たちにも迫力満点の光景だった。エヴィータの飛行甲板の左右四分の一ずつが唸りを上げて前に展開していき、艦体の前で合体する。上から見ると真四角に見えたエヴィータの飛行甲板は全長七百メートル超の長方形に変形し、艦尾近くの飛行甲板の下からB-3を乗せたエレベーターがせり上がって来る。
飛行甲板上の作業クルーがB-3の車輪脚を甲板上に二列にまっすぐに伸びた溝のような部分から突き出たフックで固定。作業クルーが甲板下のピットに入るとB-3はジェットエンジンを吹かし、同時に甲板の上の二列の溝に沿って赤いランプが一斉に点滅する。
溝の中には超電導電磁石がずらりと埋め込まれていて、B-3の機体に付いている電磁石と呼応、甲板上を滑走する機体をさらに加速する。エンジンと超電導カタパルトの加速力によって大型爆撃機であるB-3が七百メートル程度の距離でも確実に発艦出来るのだ。
B-3は二機一組で発進し、アメリカ大陸西海岸とクラーケンの間に割って入る位置を取り、そこから精密誘導爆弾、空対艦ミサイルなどでクラーケンの動きをけん制した。東に進路を変えかけたクラーケンはそのたびに海側へ押し戻された。
任務を終えたB-3は通常の空母の場合とは逆に艦首側から飛行甲板に着艦する。これは甲板上の超電導電磁石を今度は機体をはじき返すよう作用させるためで、機体の磁石と機体前方に位置する甲板上の電磁石を同じSあるいはN極同士になるよう同期させて、その反発力で急激に減速させる。
飛行甲板を畳んだ状態では艦首にあたる部分、その辺りには太いワイヤーロープが三列に張ってあり、B-3の機体下部から降ろされたフックがそれをひっかけて最終的に機体を静止させる。着艦したB-3は直ちに甲板クルーの牽引車によって艦尾のエレベーターまで運ばれ、甲板下のハンガーベイに移動される。
これを五日は繰り返していた。時は二月の終わり。米国ワシントン州の沿岸まで来ると海上でも猛烈な雪が舞う事も多くなった。アラスカ州が近くなると海の上でも一日の最高気温が氷点下を優に下回るようになった。
パールハーバーを出航した直後は半袖の夏服でも汗ばんでいたのが、わずか数日で冬服、さらに防寒コートを着ていても甲板上では凍りつくような寒さへと激変し、おぼろづきの乗員は衣替えにおおわらわだった。
そして六日目、水中を音波で監視するソナーの担当である航海課の乗員が異変をキャッチした。彼はソナーのデータをおぼろづきの艦橋の大型スクリーンに映し出しながら守山艦長に緊迫した口調で告げた。
「ソナーに感あり! 本艦前方約三キロ、十二時の方向、海中に移動物体を確認」
守山艦長は自分の席から身を乗り出してスクリーンを見つめた。クラーケンのいる方角から赤い点がおぼろづきに向かって進んでくる。
「潜水艦か?」
「いえ、艦長。全長十メートルほどの大きさですので、潜水艦である可能性は低いと思います」
ペンドルトン提督が守山艦長に言った。
「キャプテン・モリヤマ、アクティブソナーを使って下さい」
守山も他の乗員も一瞬驚きの表情を顔に一斉に浮かべた。守山が遠慮がちに提督に言う。
「お言葉ですが提督。アクティブは……」
だが提督は右の掌をまっすぐ前にかざし、それを大きく横に振って守山の言葉を遮った。
「私も海軍軍人ですから知っています。あれが潜水艦なら味方です、今は世界のどこの国の物であろうと。クラーケンから分離してきた物体だとすれば、その配慮は無用のものです。そうでしょう?」
守山は無言でうなずきソナー担当に命じた。
「アクティブソナー発信! 物体の位置と形状その他のデータを収集せよ」
「了解! アクティブソナー、打ちます!」
海面下にあるおぼろづきの艦体底部には丸く前に突き出した構造があり、その中にはソナー機器が収納されている。海中には電磁波がまっすぐ伝わらないため、通常のレーダーは海中の物体に対しては探知が効かない。
そこでおぼろづきの様なタイプの軍艦は、艦首、艦体側部の海中部分にソナーという機械を複数搭載し、水中を伝わってくる音波をモニターする。通常は艦体に向かって来る音波を受信して解析するだけの、受け身の探査モードであり、これをパッシブソナーと言う。普通の場合軍艦はパッシブソナーしか使わない。
必要な場合は軍艦のソナーから音波を発射して相手から反射して来た音波を解析するモードもある。これをアクティブソナーという。アクティブモードは相手の位置をより正確に知ることができ、場合によっては形状なども分かるが、軍艦にとっては諸刃の剣だ。もし相手が敵の潜水艦であった場合、アクティブソナーは相手の位置を正確に知る事ができる代わりに、こちらの正確な位置も相手に知られてしまう。敵の潜水艦であった場合、自殺行為になりかねない。守山たちが一瞬躊躇したのはそのためだった。
計三回おぼろづきからアクティブソナーが発射され、コンピューターが解析した海中の物体の形状がCGで艦橋のスクリーンに映し出された。ペンドルトン提督以外のブリッジの全員が驚愕の声を上げた。
それは一瞬イルカのように見えた。だが胸鰭が妙に大きく、また口の先がまるでカジキマグロのように鋭く尖って長く前に突き出している。生物ではなく金属の塊である事も解析データは示していた。
「魚竜ですね」
ペンドルトン提督が誰にともなくつぶやいた。守山が思わず聞き返す。
「魚竜?」
「これを見て下さい」
提督は自分の席のコンピューターから数枚の画像を艦橋のスクリーンに転送した。最初の二枚はぼやけた水中写真で、似たような物体の影が映っていた。三枚目はくっきりしたカラーイラストで、今おぼろづきに接近しつつある物体とそっくりな物だった。
「これはユーリノサウルス。ジュラ紀、つまり恐竜時代に生息していた海生爬虫類の一種です。クラーケンは海底の地層から古代生物の情報を得たのかもしれませんね」
「やはり、あれはクラーケンから分離した物とお考えですか?」
そう訊く守山に提督は大きくうなずいた。
「金属でできた恐竜なんかいるはずありません。今後、クラーケンから分離した海中移動物体を、便宜上『魚竜』と呼称します!」
それを聞いた守山は席から立ち上がり提督席に大股で歩み寄りながら大声で指示した。
「操艦指示、艦長から副長へ! 日野三佐、私は提督とCICに移動する。戦闘準備、それとヘリを発艦させろ!」
「了解!」
急いで敬礼を返した雄平は艦内放送のマイクを手に取った。
「総員、第一級戦闘配置、対水中戦闘用意! 繰り返す! 総員、第一級戦闘配置、対水中戦闘用意!」
守山艦長とペンドルトン提督は艦橋部を離れ、船体の中央部、一番奥まった場所にある戦闘指揮所、通称CICに向かった。分厚い鋼鉄の扉を開けて入ると既に砲雷長はじめ武器管制要員がそろっていた。中央のモニタースクリーンの前に守山と提督が並んで座り、提督はすぐに無線で空母エヴィータに連絡を取った。
音声のみの通信で提督はフィツジェラルド艦長に魚竜の件を知らせ、おぼろづきの真後ろに位置するよう指示した。そこへ艦橋から緊急通信が入った。雄平の声が、赤いランプの光だけで照らされた薄暗いCICの中に響く。
「ブリッジよりCICへ。魚竜さらに五体を確認。本艦へ接近中!」
おぼろづきの艦尾部のシャッターが開き、対潜哨戒用装備を積み込んだMCH101ヘリコプターが発着用甲板に引き出された。飛行科のクルーと共に玉置一尉はヘリに乗り込んだ。肩には記録用のビデオカメラを担いでいた。彼女の任務には重要な戦闘時の記録も含まれているからだ。
身を切るような冷たい風の中をヘリは発進しおぼろづきの前に出る。はるか遠くに細長い島影が弧を描くように並んでいる光景がかすかに見えた。アラスカからロシア極東地域にかけて伸びるアリューシャン列島のようだった。だとすればもうベーリング海、そして北極海は近い。
おぼろづきのCICでも、ペンドルトン提督がいち早くその懸念を口にしていた。
「まずいですね。今北極海は分厚い氷に閉ざされているはず。海氷の下に潜って逃げられたら、このおぼろづきとエヴィータでは追跡できない」
MCH101は上空から計六体の魚竜を目視で確認。ただちに無線でデータをおぼろづきとエヴィータに送った。提督はおぼろづきに魚竜をエヴィータに近づけないよう命じた。
「エヴィータの魚雷は近距離用、それも合計八本しか装備していません。空母であるエヴィータは水中からの攻撃には無力同然なのです」
それを聞いた守山は砲雷長に命じた。
「アスロック、六基発射。距離が開いている今のうちに叩け!」
「了解しました! 対潜ゼロヒトからゼロムツ、用意」
火器管制担当の女性CIC要員が復唱する。
「対潜、ゼロヒト、ゼロフタ、ゼロミツ、ゼロヨツ、ゼロイツ、ゼロムツ、用意完了」
「発射せよ!」
おぼろづきの艦橋前の鉄の四角い蓋が一つまた一つと開き、細長いミサイルが次々とオレンジ色の炎を吹きあげながら垂直に空中に飛び上がる。数十メートルまで上昇し方向を変え、水平飛行に移るとおぼろづきからの誘導信号に従って海面上を猛スピードで飛び去る。
魚竜の少し手前でミサイルの先端の部分がパカッと二つに割れて落下、中から魚雷がパラシュートで水面に落下。そしてパラシュートが切り離され分離した魚雷はスクリューを回転させ海中を進む。一番先頭にいた魚竜を金属磁気探知で自動的に追い、そして命中した。
海面に爆発音と共に高く水柱が上がった。MCH101の対潜哨戒モニターからその魚竜の影が消えた。副操縦士が無線のマイクに向かって叫ぶ。
「目標ヒト番、反応消失。アスロック命中!」
他のアスロック対潜ミサイルも全て首尾よく魚竜に命中し、六体の魚竜は次々に排除されていった。クラーケンはその隙にさらに北上、アリューシャン列島の間を通り抜けてベーリング海に入った。
おぼろづきとエヴィータも全速力でそれを追い、アリューシャン列島の間を抜けようとした。その時、おぼろづき艦橋でソナー担当の乗員が真っ青な顔色で雄平に叫んだ。
「ソナーに感あり! 魚竜十体! 距離、千二百メートル!」
「馬鹿な!」
雄平は思わず怒鳴った。
「そんなに近づくまで、なぜソナーが反応しなかった?」
「島の海底の岩陰に潜んでいたものと思われます」
「なんてやつだ! あの化物には人間並みの知能があるのか?」
ブリッジから連絡を受けたCICの守山は思わず舌打ちをした。
「くそ、ステルス性を高めるために甲板上の魚雷発射管を減らしたのが、ここに来て裏目に出たか?」
CICの中でレーダー、ソナーの解析を担当している別の女性乗員が怒鳴る。
「魚竜八体、空母エヴィータに接近。迎撃、間に合いません!」
MCH101の窓から見ていた玉置一尉は思わずビデオカメラのファインダーから目をそらし、聞こえるはずもないのは分かっていながら叫ばずにはいられなかった。
「エヴィータ! 逃げて!」
次の瞬間、エヴィータから見て左横の海面で次々に爆発音と水柱が上がった。エヴィータにすぐそこまで海中から忍び寄っていた魚竜が次々と海の藻屑になって行く。
「魚雷か? どこからだ?」
おぼろづきの艦橋で叫んだ雄平にソナー要員が泡を食った表情でかろうじて答える。
「本艦より四キロ、十時の方向。その海中より……まだ来ます! 魚雷二基、残りの魚竜に接近中!」
その位置に急きょ飛んだMCH101の乗員は、海中に巨大な影を見つけた。それは魚竜ではなく、どうやら正真正銘の潜水艦のようだった。だが、玉置一尉は思わず自分の目をごしごしとこすった。上空からこんなに大きく見える潜水艦など、彼女の知識に頼る限り、歴史上存在しないはずだったからだ。
遠くでまた水柱が二回上がった。これで魚竜は全て破壊されたはずだった。だが、MCH101の操縦士がそれに気づいた。
「後ろだ! あの潜水艦の真後ろにもう一体残ってやがる!」
その最後の魚竜はいつの間にか海中の潜水艦の真後ろ、わずか数百メートルの距離まで迫っていた。潜水艦は真後ろに位置する敵には対抗する手段がないはずだ。最悪の事態を覚悟した玉置一尉とMCH101のクルーは、しかし次の瞬間、潜水艦の後部からまっすぐに白い筋が伸びるのを見た。
水中を魚雷が移動する時に細かい泡が立ち、いわゆる航跡という白い線が水の中を走る。しかし、そうだとすれば……玉置一尉はあわててビデオカメラをその海中の影に向け直す。
「あの潜水艦! 真後ろに魚雷を発射したって言うの?信じらんない!」
水柱が収まると、その巨大な影はゆっくりと海面に浮上してきた。真っ黒い外郭の葉巻型の胴体の上に、全長の四分の一ほど四角い構造が突き出している。そこがハッチやアンテナ部分がある、おぼろづきの艦橋部に相当する場所なのだろう。後部には丸みを帯びた膨らみが左右に二個並んで付いている。緊急時の脱出用潜水艇だろうか?
玉置一尉が半ば予想していながらも驚いたのは、やはりその大きさだった。ビデオカメラの測定機能で計算すると、全長二百メートル、幅十八メートル。そんな巨大な潜水艦は大陸間弾道ミサイル搭載型の原子力潜水艦でも聞いた事がない。もっと潜水艦に近づくよう頼む玉置一尉にヘリの操縦士は申し訳なさそうに告げた。
「もう燃料が尽きます。そろそろおぼろづきに帰投しなければ」
「じゃあ誰か、このカメラの映像を直接おぼろづきに送信してくれない」
「あ、はい、私がやります」
その女性クルーにカメラから伸ばしたコードをヘリの機材につないでもらいながら、玉置一尉はなめ回すように浮上した潜水艦の艦首部を撮影していた。艦首部左舷には「UNN-02」の白い文字。反対側に艦首部右舷にはクリル文字という特殊なアルファベットで何か書いてある。玉置一尉にはそれは読めなかった。
だがおぼろづきのCIC内ではペンドルトン提督がその映像を見ながら、一文字一文字、発音していた。
「ピョートル・ヴェリーキイ……オー!ピーター・ザ・グレートの事ですね」
傍らで守山も唖然としてその巨大な潜水艦の映像を見つめていた。
「ピョートル大帝……十八世紀初頭にロシア帝国の基礎を築いたという皇帝か。その名を持つという事は、あの潜水艦は……」
CICの通信担当員が提督に告げた。
「提督へ、あの潜水艦の艦長より入電」
「出して下さい」
提督席のスピーカーからロシア訛りの英語が聞こえてきた。
「こちら潜水艦ピョートル大帝号、艦長ウラジミール・ソラリス中佐。国連海軍提督ペンドルトン准将の本艦の視察を要請します」
「了解しました。ところでクラーケンはどうしました?」
「まんまと北極海の海氷の下へ逃げ込みました。本艦は潜水艦ですので追跡は可能ですが、いかがしますか?」
「いえ、今は深追いはやめておきましょう。艦隊の編成を固める事を優先します。ではソラリス艦長、今から三十分後に」
「お待ちしております」
それから三十分後、おぼろづきとエヴィータから一隻ずつ上陸用ゴムボートが発進した。おぼろづきからはペンドルトン提督、守山艦長、副長の雄平、エヴィータからはフィツジェラルド艦長と二人の士官が潜水艦を訪れる事になった。
潜水艦の艦首部で乗員に迎えられ、ハッチから中に入ると、梯子を降りた所で頭が後頭部まで禿げ上がった、しかしつやつやした顔色の大柄な白人が出迎えた。
「ようこそ我が艦へ。私が艦長のソラリス中佐です」
提督が一歩前に進み出て握手を求めた。ソラリス艦長は大げさな身振りで握手を交わしながら芝居がかった口調で提督に言った。
「これは、これは。まさかこんな美しいレディをお迎えできるとは」
「さっそくですが、艦の説明を願います」
「もちろんです、どうぞこちらへ」
海上自衛隊の潜水艦には雄平も訓練で乗った事があった。一行の最後からついて歩きながら、確かに潜水艦の内部にしてはかなり広いとは思った。しかし、出発前に玉置一尉から聞いていたサイズから考えるとそんなに中の空間が広いとも思えなかった。ソラリス艦長はまず発令所へみんなを案内した。
ソラリス艦長はちょうど両手で持てる大きさのピョートル大帝号の模型を手にして説明を始めた。
「既に本艦は潜望鏡深度まで潜航しています。我々が今いるのはここです」
そう言って模型の前から三分の一あたりの部分を指差す。そして胴体の後ろ上部に横に並んでいる丸っこい物体を引き抜いた。針金で本体とつながれたそれは、それ自体が小さな潜水艇のように見えた。
「これは本体と光ファイバーケーブルでつながっているソナーです。今本艦はこういう格好なわけですな。本体とこの二つの分離可能なソナーを一斉に作動させると……」
いきなり発令所全体が明るくなった。いや、発令所の壁が光を発しているのだった。よく見ると発令所の壁の上半分ぐらいは液晶パネルになっていて、そこに周りの海中らしき光景がCGで映し出されていた。これにはさすがのペンドルトン提督も驚いたようだった。
「ワオ! まるで窓ですね~」
「今はパッシブソナーモードです。本体と二つのソナー装置、全て同時にアクティブモードにすると。おい、お見せしろ」
ソラリス艦長の号令でアクティブソナーが発動したらしく、かすかにピキーンという音が内部にも響いた。すると、発令所の壁の液晶パネルに映し出される光景が、さらにはっきりした形と色になった。遠くにおぼろづきとエヴィータの船底までがくっきりとした映像で映し出された。CGとは思えない程鮮明な映像だった。ソラリス艦長が言葉を続ける。
「潜水艦乗員の最大の心理的ストレスは外が見えない事でした。特に戦闘任務中は。しょせん作り物ではありますが、こうして三次元立体ソナーの情報を映像化して可視化する事で、乗組員に外の様子を瞬時に知らせる事が出来、かつ潜水艦特有の閉鎖空間のストレスを緩和します」
そして艦尾の方へ移動する。機関室の横を通り抜ける時、ソラリス艦長がまた説明する。
「本艦の推進装置はいわゆるウォータージェット。外部スクリューではなく、船体側部のチューブから海水を吸い込み、それを船体内部のスクリュー状の機械で後方に向けて噴射して推進します」
そこを通り過ぎると、小さな魚雷発射室があった。ずらりと並んだ魚雷の上に板を立てかけた上に寝転んでいた乗員があわてて床に降りて道を開けた。
「ここが後部魚雷発射室です。外部にスクリューがないため、船体後方にも魚雷発射管を二門設置する事が可能になりました。艦首部にはもっと大きな、六門の発射管を備えた発射室があります」
「真後ろに魚雷を撃ったってのは、見間違いじゃなかったのか」
雄平は思わずつぶやいた。それを聞いたソラリス艦長はにやりと笑った。ペンドルトン提督が質問する。
「ソラリス艦長、動力部はどこなのですか? それらしき物がどこにも見当たりませんが」
「いえ、さっきからみんなでご覧になっていますよ。ここです!」
そう言ってソラリス艦長は壁を手の甲でバンと叩いた。そしてさっきの模型を真ん中から半分に切り離して内部構造を見せた。
「この艦は三つの殻で構成された潜水艦です。一番外側の殻は外見ですね。一番内側がこの艦内の壁。そしてその間にもう一層の空間があります。そこに燃料電池がびっしり敷き詰められているのです。これがピョートル大帝号の主動力源です」
「そうか!」
思わず守山艦長が大声を上げた。
「燃料電池ならエンジンの音など無い。それで、いくら戦闘中とはいえ、うちのソナー要員がこんな巨大な潜水艦の接近に気付かなかったのか」
ソラリス艦長はますますうれしそうな表情になって、さらに説明を続けた。
「おっしゃる通りです。ソ連時代からわが国の潜水艦はうるさくて見つけやすいとからかわれておりましたが、この最新艦は静かそのもの。それに海水を電気分解して水素ガスを燃料電池に補給する事で簡単に再充電出来ます。原子力潜水艦並みの発電量と長期間の潜航が可能になりました。艦隊の海中防御を担当すべく設計された攻撃型潜水艦であります」
そこでソラリス艦長は提督の前に立って姿勢を正し、最敬礼をしながら腹の底まで響くような重みのある声で言った。
「国連海軍、北ユーラシア・ブロック代表、ロシア連邦海軍所属、潜水艦ピョートル大帝号。万能艦隊への合流を許可願います!」
ペンドルトン提督もすぐに直立不動の姿勢を取り素早く右手を上げて敬礼を返した。
「許可します!」
そして改めて提督の方からソラリス艦長に握手を求めた。
「魚竜の脅威を目の前で見た今、貴艦の仲間入りは心強いです」
「あれは厄介な相手ですな。だが、ご安心下さい。このピョートル大帝号がいれば海中の防御は万全です。では、ご要望通りこの艦の食事を味わっていただきましょう。士官休憩室になりますが」
そこは艦体のやや後方にある小さな部屋だった。テーブルの両側に四人掛けの長椅子があり、そこにソラリス艦長と副長、五人の来客が座りかなり窮屈な感じだった。これでも潜水艦のこの種の部屋としては異例の広さだとソラリス艦長は言った。
若い水兵たちが食事の載ったプラスチックのトレイを運んできた。トレイのくぼみの部分はかなり深く、向こう側にはポテトサラダと魚の塩漬け、手前の二つの深いくぼみには何か穀物らしき物と澄んだスープの具だくさんの煮込み料理が盛り付けてあった。
スプーンで穀物の方をすくって一口食べた雄平は少し驚いた。アメリカでよく朝食に食べるシリアルみたいにも見えたが、やたらと甘い味がした。そのくせ、どこか覚えがあるような妙な感じがした。守山艦長が舌つづみを打って言った。
「これは、ひょっとしてソバの実ですか?」
ソラリス艦長がまたうれしそうな表情で答える。
「はい、ソバの実のカーシャです。砕いたソバの実を牛乳で煮込んで少し蜂蜜を加えてあります」
「ほう、ロシアではソバをこうやって食べるのですか。カーシャと言うのですね」
「いえ、ソバだけでなく、大麦、小麦、ライムギ、地方によっては米を使う所もあります。味付けも地方や家庭によっていろいろです。それをひっくるめてカーシャと呼びます」
「これも不思議に懐かしい感じがする」
煮込みスープを口にしたエヴィータのフィツジェラルド艦長が感心したように言った。ソラリス艦長が説明する。
「それはシィー、あるいはシチーと呼びます。ご覧の通りいろんな野菜と肉をゴッタ煮にした田舎料理です」
「だがこの酸っぱさは……うん? このキャベツは?」
「それがシチーの決め手です。細く切ったキャベツを酢漬けにして発酵させた物です。それをベースにしてスープを作るのですよ」
「ではドイツで言うザワークラウトですな? なるほど、覚えがあるはずだ。私の母方の祖母はドイツ系でしてね。体にいいからと子供の頃よく食べさせられた。あの時のグランマの味だったのか」
「ロシア料理というとボルシチばかりが有名ですが、あれは厳密にはウクライナ料理でしてね。このカーシャとシチーこそがロシア民族にとっての家庭の味なのです。今でも田舎へ行けば、この二つが無いと飯を食った気にならないというロシア人は多いですよ」
それを聞いた雄平は思わずつぶやいた。
「さしずめ日本人にとっての飯と味噌汁みたいなもんか」
食事が終わって食器が下げられロシア紅茶を飲みながら今後の行動についての打ち合わせになった。ペンドルトン提督はテーブルの上に世界地図を広げてその場の全員に告げた。
「万能艦隊はこれより南下、パナマ運河を通過して大西洋へ出ます」
「最終的な目的地は?」
フィツジェラルド艦長が尋ねる。提督は地図の上で人差し指をすっと滑らせてある位置で止めた。それを覗き込んだソラリス艦長がつぶやく。
「なるほど、地中海に入り込まれたら厄介だ。西ヨーロッパの重要拠点がたくさんあるし、中東の産油地帯にも近い」
「しかしクラーケンがそこへ現れるという根拠は何です?」
今度は守山が訊く。
「この艦へ向かう直前に国連本部から連絡がありました。例の二人の少女がそう予言したそうです」
「まさか!」
雄平は思わず椅子から身を乗り出した。
「提督! まさか、クラーケンはあの二人の少女を狙っていると?」
提督は小刻みに頭を横に振った。
「それは確かな事は分かりません。しかし今度の戦闘で、クラーケンには何か生物の知能にあたる能力がある疑いがより濃厚になりました。万が一の用心はしておくに越した事はないでしょうね」
提督の指が指している地図の場所には大都市の存在を示す二重丸が書いてあった。その場所はイスラエルの首都、エルサレム。