テラーノベル
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昨夜の激しい雨は、夜が明けても止む気配を見せなかった。低く垂れ込めた灰色の雲が、窓の外の景色を厚く塗り潰している。リビングに足を踏み入れると、そこには異様な静寂と緊張が同居した光景が広がっていた。
ソファの上では、茶々が毛布にくるまったまま、泥のように眠っている。そしてその両脇には、まるで石像のように微動だにせず、彼女を監視し続けた白と黒の姿があった。
「……おはよう、二人とも。一晩中、起きていたのか?」
俺の問いかけに、白がゆっくりと顔を上げた。その目は少し赤く、昨夜の緊張がどれほど過酷なものであったかを物語っていた。白はいつもなら、俺の姿を見るなり真っ先に飛びついてくるはずだが、今朝はまだソファから動こうとしない。
「……おはよう、ご主人様。あの子、寝言でずっと『ごめんなさい』って言ってたよ。何をそんなに謝ることがあるんだか……」
白の声には、昨夜のような刺すような冷たさはなかったが、それでも複雑なわだかまりが混じっている。黒は無言のまま、茶々の寝顔をじっと見つめていた。その表情からは何を考えているのか読み取れないが、彼女もまた、この新参者に対してどう接すべきか測りかねているようだった。
キッチンでコーヒーを淹れる香りが漂い始めると、茶々の耳がピクリと動いた。彼女は跳ね起きるように目を覚まし、自分がどこにいるのかを確かめるように辺りを見渡した。そして俺たちの姿を捉えると、再び顔を引きつらせてソファの隅へと縮こまった。
「あ……あぅ……その、おはよう……ございます……」
「……起きたなら、顔を洗ってきなさい。朝ごはん、もうすぐできるから」
白のぶっきらぼうな言葉に、茶々は驚いたように瞬きをした。てっきり、朝になったら問答無用で叩き出されると思っていたのだろう。彼女の首元にある真鍮の鈴が、困惑したように小さく鳴る。
「い、いいんですか……? アタシ、勝手に入った泥棒なのに……」
「ん。……昨日、スープ、飲んだ。……一回飲んだら、お客さん。……でも、二回目は、まだ、決めてない」
黒がボルドーの鈴をチリンと控えめに鳴らす。その言葉は厳しい拒絶ではなく、彼女なりの不器用な歩み寄りだった。施設という場所がいかに冷酷かを知っている黒にとって、茶々の怯えは他人事ではないのかもしれない。
四人での朝食。昨夜の飢えた様子とは違い、茶々はおどおどと、周囲の顔色を隅々まで窺いながらパンを齧っている。白は、茶々が俺の顔をチラチラと見るたびに、わざとらしく俺の肩に頭を預けて独占欲を示した。
「ねぇ、ご主人様。今日は雨だし、一日中お家でゆっくりしよ? アタシ、まだ温泉の疲れが取れてない気がするんだぁ」
白は、自分の居場所を主張するように俺の腕に絡みつく。それに対して茶々は、申し訳なさそうに視線を落とし、なるべく音を立てないように食事を続けていた。その姿は、かつての施設で、強い個体の影に隠れて息を潜めていた弱者そのものだった。
「あの……お兄さん……。アタシ、雨が止んだら……出ていきます……」
茶々が消え入りそうな声で言った。彼女には、頼るべき場所も、守ってくれる誰かもいない。外は冷たい雨が降り続いており、今ここで追い出すことは彼女を再び絶望の淵へ放り出すのと同義だった。
「……雨が止むまでは、ここにいろ。それから後のことは、また考えればいい」
俺がそう告げると、白が不満げな声を漏らしたが、それ以上は何も言わなかった。彼女もまた、茶々の首筋にあるあの忌まわしい刻印を見てしまったからだ。それは組織の中で蔑まれ、使い捨てられてきた証。白や黒にとっても、決して他人事ではない過去の傷跡だった。
昼下がり、茶々はリビングの隅っこで、床の掃除を始めた。
「あ、あの……何もしないでいるの、怖くて……。掃除くらい、させてください……!」
誰かに命じられる前に動かなければ、罰を与えられる。そんな染み付いた習性が、彼女を休ませることを許さない。
白と黒は、そんな茶々の様子を、ソファに座って黙って眺めていた。
「……効率悪いなぁ。そこは、もっとこう……こうやるのよ。ほら、貸して」
見かねた白が、ついに腰を上げた。最初は嫌悪感からかと思っていたが、白は茶々から雑巾を奪い取ると、手本を見せるように床を磨き始めた。いつの間にか、白が茶々に掃除の仕方を指導し始め、黒がその様子をじっと見守るという、奇妙な時間が流れ出す。
「……あ、ありがとうございます……白さん」
「……別に、あんたのためじゃないわよ。家が汚いのが嫌なだけ」
白はそう言いながらも、茶々が一生懸命に自分の後を追う姿に、少しだけ毒気を抜かれたような顔をしていた。
夕方になっても、雨は激しさを増すばかりだった。
一つ屋根の下、三者三様の距離感を持つ猫娘たち。白は依然として新参者を完全に受け入れたわけではなく、自分の聖域を守るために牙を隠し持っている。黒は静かにその本性を見極めようと、一歩引いた場所から全てを観察している。そして茶々は、いつか終わるはずのこの温かさに怯えながらも、必死にこの場所に縋ろうとしていた。
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