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時間が経つに連れて、いよいよ沈黙の一過に嫌気を覚えた葛葉は、わざとらしく咳払いを連発するようになった。
「痛った………」
これが殊(こと)のほか右腕の傷に堪えるようで、今度は一変してわざとがましい嘆息に切り替える。
「………………」
真向かいのソファーには件(くだん)の老骨がひっそりと座しており、この無言の催促を飄飄乎(ひょうひょうこ)とやり過ごしていた。
先の一件で雑然とした室内は、黒ずくめの徒党による見事な差配が功を奏し、居心地に関しては申し分ない。
足の踏み場はもちろんのこと、足の裏にチクリと障るような芥(あくた)は一つも見当たらず、寛(くつろ)ぎのスペースに見合いの情調を早くも取り戻していた。
もちろん、壁の穴についてはそのまま放置されており、パズルのように散(あら)けた調度品は、部屋の隅でひと塊になっている。
それらに纏(まつ)わる諸々の言い訳を、頭の片隅でぼんやりと考える一方で、目下(もっか)葛葉の気掛かりと言えば
──これ、どないしよう……?
ちょうどソファー間に設置されたテーブルの上に、先ごろ必死になって拾い集めた宝石が無数、小山のように積まれている。
いや正確には、宝石だったもの。
恐らくは通力の煽りか、ある物は焦げたように変色し、ある物は日向(ひなた)に打ち捨てられた氷のように形を損なっている。
やってしまったものは仕方ないが、さすがに笑い話では済みそうにない。
ここはひとつ、あの虎石って男に罪を全部なすりつけて
「心配無用」と、そこでようやく一語を発した老人が、何とも言い様のない目線で葛葉を見た。
まるで初孫の不始末を、ドン引きながらもそれとなく救済しようと意気込む祖父のような。
「まぁ、ね?」
そういった眼を向けられる筋合いはないが、これに一筋の光明を得た心持ちがした。
『なぁ、小烏?』と、音声に依らず傍(かたわ)らの相棒に声をかけ、大意を伝える。
『この爺さん、刀鍛冶か何か?』
『あん?』
先頃は迷霧のような酒気が邪魔をして気付かなかったが、この老人には妙な匂いが染みついている。
大元は炭の香り。 そこに刃金の在臭(ありか)が混じり、青々しい井戸の馨香(けいきょう)が朝露のように浮かんでは消える。
考えられる生業(なりわい)として、やはり鍛冶屋が本命だと思った。
それに何より、先の宴席で感じたものを、他ならぬ“当人”と擦(す)り合わせておく必要があると思ったのだ。
『や? 違うんじゃないの? 指も綺麗だし、眼も悪くなさそう』
『直(じか)に触れて、どうだった?』
「あん? あぁ、そういう……」
得心の声を漏らした小烏丸は、間(ま)を置かず明言した。
『なら尚のこと無えよ。 仮にも一端の鍛冶屋なら、あんな雑に刀ぁ扱わねぇですから』
刀剣の鑑賞には作法があって、これに沿わねば所有者に嫌な顔をされると聞いたことがある。
そういった旨を、仮にも刀工であれば百も承知しているはずだと相棒は言う。
他でもない刀霊の言い分であるからには、うたがう余地などこれっぽっちも無いように感じるも、何やら釈然としない。
『拝見』
先頃の宴席で、そう言って当方の差料をスラリと抜き払った老人の取り回しは、杜撰(ずさん)ながらもやけに板についているような気がしたのだ。
それにあの、どこか見覚えのある眼の色。
あれはきっと見まちがいじゃないはずだ。
「その、何て呼べば?」
ともかく、氷山を切り崩すにも一角から。 まずは差し障りのない範囲から踏み込むことにする。
「どうぞ、お好きにお呼びあれ」
「ほぉ……?」
しかし、これがなかなかに一筋縄ではいかない。
余人の扱いに長けているのか、あるいはその逆か。
しょうことなしに息をついた葛葉は、思い余って核心に触れた。
「お爺さん、どこまでご存知で? 私のこと」
これに対し、眼を少し眇(すが)めるようにした先方は、近場に佇(たたず)むブロンド娘の顔色をまずは窺った。
ひとえに真っ直ぐな性格によるものか、二名のやり取りを聞き逃すまいと、食い入るように見つめている。
「いや、たぶん心配いらんと思う」
これを少々むず痒く感じつつ、なに食わぬ顔で応じた葛葉であるが、その実(じつ)は気が気でない。
これまでの道々で己の正体が露見した際は、いずれも陸(ろく)な事態に見舞われなかった。
やれ自分を天上に連れてけだの、世界を元に戻せだの。
当のリースが、そういった人種と同じとは言わない。
しかし、人の心底とは斯くいうものだろう。
「大凡(おおよそ)のことは存じております。 其処(そこ)な影の者らと同じく」
「やっぱり知り合いなんです? Aさんや、Dさんやらと」
「えぇ。 左様で」
極小ではあるが、これも一つの取っ掛かりと呼べるか。
けれど、どうやら向こうにばかり情報を占有されている現状は、腹立たしいとまでは言わないが、気が悪いのはたしかだ。
「さっきの、虎石(とらいし)だっけ?」
「えぇ」
「あの兄(あん)ちゃん、御遣(おつかい)ってヤツだよね?」
「御意の通りで」
──あの野郎、次はきっちりイワしてやる。
巷で聞いた“御遣”
あるいは“神剣遣い”
彼らが操る不思議とは果たしてコレの事かと、辻褄を得た心持ちで右腕に意識を移す。
せっかく引っ付きかけていた前腕が、元の通り完全骨折の憂(う)き目である。
察するに、あの握斧が笠に着る通力の類は、相手の弱点を攻める陋劣(ろうれつ)な才なのだろう。
しかし妙ではある。
敵が如何(いか)に非凡な能才を振るう者とは言え、ここまでダメージが通るものだろうか。
神威の防壁は欠かさず展開しているし、そも肌膚の強度については折り紙つき。 骨格だってそこいらの鋼より頑丈だ。
もっとも、それを稼働させる膂力(りょりょく)と釣り合いが取れているかと言うと、骨折にいたった大元の原因として、昼間の一件を思えば自(おの)ずと知れる。
どんなに堅牢なフレームであろうと、山を浮かせるような極大の熱機関(エンジン)に滅茶苦茶に翻弄されては、時を経ず拉(ひしゃ)げるのも道理だろう。
あの時は、対策もせず慌てて飛び出したのが悪かった。
妙と言えば、男が投げつけた薬水もそうだ。
仮に神仙に肖(あやか)った霊薬であろうと、こちらの足を損なわせるなんてそんな。
そこいらの物の怪ならいざ知らず、一端(いっぱし)の神明に通じる劇薬なんて本当にあるのだろうかと、冷静になって初めて当の違和感に気がついた。