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「お訊(たず)ねしても?」
「うん?」
頭を悩ませていると、老人が懇(ねんご)ろに切り出した。
この状況で逆に質疑を用立てるとは、なかなかに図太い爺さんだ。
わずかに眉を顰(ひそ)めるものの、葛葉とて恩知らずではない。
あの場は彼の乱入があったお陰で、それなりに丸くおさまった。
「えぇ、なにが訊きたいんです?」
「故郷(くに)に帰るつもりは?」
「え?」
先方の口から出た思わぬ物言いに、思考がピタリと停止するのを感じた。
「あの……、何です?」
「帰り道を覚えておいでか?」
ひんやりとした指先が、頬を撫でてゆくような錯覚がした。
こちらの実体をおおよそ見越すものとは言え、初対面に等しい爺さまだ。
まかり間違っても、そのように立ち入った事を問われる筋合いは無い。
「いや、意地の悪い言い方をした。 赦されよ」
「や、いいよ? いいんですけど」
「では、あなたの旅の目的とは?」
「はい?」
形ばかりの謝辞をくれた老人は、一転して今度はじつに大摑みな質問を寄越(よこ)した。
詮索のつもりか、それならもう少し上手な訊き方もあるだろう。
「それ……、その質問ってあれですか? ひょっとして答えによっては、敵になったりする感じです?」
目先に意識を据えたまま、辺りの気配をそれとなく探る。
人数が人数なだけに、一党の大半は廊下で待機しているものの、頭目を始めとする主立(おもだ)った面々は、自分たちを取り巻くようにして立っている。
威圧のつもりは無いだろう。
単に事の経過が気に掛かるのか、先頃から控えめに身を傾(かし)がせる仕草をして、閑話の内容に聞き入っている。
「心配無用」と、またぞろ老舌(おいじた)が、かの句を忠実(まめ)に唱えた。
つまり、自分を信用しろと。
根拠はないが、薄氷を突ついてみるのも悪くはない。
「単に観光って言ったら、怒ります?」
「いんや……。 それならそれでこっちとしても」
「後始末」
「あん?」
言葉後(ことばじり)にサッと漕ぎつけたところ、先方は俄(にわ)かに目を丸くした。
意趣返しのつもりは無い。
卓上の小競合いに挑(のぞ)むにあたって、主導権を握られるのが何となく嫌だったのだ。
「あとしまつ? 後始末とは?」
程なく目元を澄ました老人は、深意を知ろうと猿臂(えんぴ)を伸ばした。
黒ずくめの連中に、際立って変化はない。
ただ、事を見守るブロンド娘の心音が、かすかに早まった気がした。
「お答えあれ。 後始末とは如何(いか)にぞや」
先方の面差(おもざ)しを見ると、静けさの中に烈火がある。
答え方を間違えると、即座に牙を剥いて飛び掛かってきそうな。
『斬(や)る? 斬りますか?』と、傍(かたわ)らの相棒が性急に食ってかかる気配がした。
これを無言でたしなめ、言葉を選ぶ。
「自分のケツは自分で持て。 よく言うでしょ?」
「それは」
「こう見えてもガキじゃないんよ。 いや、やってる事はガキなんだけどね?」
なるべく障りのないよう相好を崩してはみたが、老人はニコリともせず、こちらの注視を怠(おこた)らない。
蛇に見込まれた蛙のようで決まりが悪いが、とはいえ視線を逸らすのも情けない。
暫時、奇妙な睨めっこが続いた。
──それは誰(たれ)と事を構えることになるか、分かっておいでか?
心中で歯噛みした老人は、しかしこの焦慮(しょうりょ)を口に出すことはなく。
無理にひん曲げた笑い顔がそろそろ限界に近づいたか、頬にヒクヒクと痙攣を来(きた)し始めた葛葉の容貌をじっと見た。
美しい顔立ちだ。
さながら咲き場所を間違えた徒花(あだばな)のごとき儚さは、彼女の娘御あるいは母君の面差しによく似ている。
その端々にチラつく無量の火焔は、まさしく父君より受け継いだ灼熱の性(さが)だろう。
両方に共通する性質といえば、目的に向かってひた走る鬼神のような在りかた。
ひとたび駆け出そうものなら、他者の言い分なんざ届きゃしねぇ。
──こいつぁ一筋縄じゃいかねえよ、なぁ大将。
「ちょい待った……」
そこで何事か、はたと思い当たった様子の葛葉は、当面の睨めっこにこれ幸いと見切りをつけ、怪訝な顔色をとった。
都合が良いのは、一方の老人にとっても同様だった。
慣れぬ物事に精を出した所為か、すでに鍍金(メッキ)が剥がれ始めている。
このまま当の眼(まなこ)に見入られようものなら、たちまち襤褸(ぼろ)を出さぬとも限らない。
そんな、言うに言われぬ心模様を知ってか知らずか、葛葉は不思議そうに語を継いだ。
「さっきあの人、妙なこと言ってなかった? そういや」
「妙とは?」
「ほら、上からの横槍がどうちゃらこうちゃら」
これを受け、たちどころに老人の背筋が凍った。
その提言は、仄聞(そくぶん)した限りでは特に脈絡のない内容で、ほんの思いつきで発したものらしいことが窺い知れる。
しかし、脈絡がなくとも辻褄が合うとはこの事で、こちらの情況になかば則(そく)した物言いは、本当にただの思いつきで発したものなのか。
よもや全てを見透かした上で、鎌をかけているのでは無かろうかと、老人の心胆を寒からしめた。
「どしたん? 変な顔して」
「いや、なんでも」
「あ、にらめっこならもうせんよ? 変顔あんまし得意じゃなくってさぁ」
気さくに笑う葛葉に対し、注意深い目線を、しかしそれが全面に表れぬよう手配りした老人は、ややあって応じた。
「彼らは皆、一つの赤心(せきしん)を奉じ、寄り集まった者どもなれば」
疑念に駆られても仕様がない。
毒を食らわば皿までと言う。
こうなりゃ、とことんまで付き合ってやろうじゃねえか。
「彼ら?」
「“御遣”」
老人の言い様に、葛葉は思わず眉間(みけん)に手をやった。
まさかとは思ったが、やはりそういう事らしい。
「そうすると、あれ? “御遣”の連中ってのは、やっぱり組織的な?」
「左様で」
「マジか……」
彼の言葉を真に受けるなら、連中は何やら並々ならぬ一心のもとに集結し、よく統制のとれた組織体を形成していると。
現状に照らして、そこでまず考えられる事と言えば
「その組織の元締(もとじめ)って、私のことあんまし好かない感じなんかな?」
「とんでもない!」
所感を述べたところ、横合いから大声が掛かった。
見ると、細い肩を怒(いか)らせた頭目が、大仰に身を乗り出している。
これを目線で制した老人は、くどくどと説法を施すような口振りで言った。
「あのお方に二心はありますまい。あなたと事を構える気など毛頭」
「ホントに?」
「えぇ、損得についてはよく弁(わきま)えておられる」
「そっか。 なら、獅子身中のってヤツか。 首謀者は」
「あの男の独断とは考えないので?」
「実働員でしょ? なら、あんまり突っ走るような真似はしないんじゃないかな」
このご時世、食いっぱぐれるのが何よりも怖い。
胡乱(うろん)な組織体とは言え、一応は身持ちが保証される歴(れっき)とした機構に属した人間が、リスクを負ってまで己の判断に任せるだろうか。
ただ、あの男を突き動かす根っこの部分。 行動原理については、これは生粋(きっすい)のものと見て間違いなさそうだ。
こちらに向けられた憎悪は、紛れもなく本物だった。
「類友とは言うけどさ?」
「まさか。 そのような」
頭を過(よぎ)るのは、構成員に共通する一念というのは果たして、怨恨なのではないかという事。
それは他でもなく、世界をこんな風にした族(うから)への怨み、延(ひ)いては自分に対する恨みだ。
近からずも遠からずといったところだろうか。
ただ、そう考えると何となく齟齬(そご)があるような。 辻褄を見ても、先方の話しぶりと合致しないように感じる。
もちろん、老人の言葉に嘘偽(うそいつわ)りが無ければの話だが。
「恨み辛みは最早(もはや)ありますまい。 そうした思想の統御を徹底するための組織図でもありましょう」
「けど、一枚岩じゃない。 でしょ?」
「少なくとも、元締……棟梁(とうりょう)については、いずれあなたと睦(むつ)まやかに語らうことも適うかと」
これは恐らく口から出任せだろうと、葛葉の眼は早々に先方の内懐(うちぶところ)を貫(ぬ)いた。
先頃から、その棟梁とやらに話が及んだ途端、老人の基部にわずかな逡巡が見て取れる。
とは言え、あくまでこちらを気遣っての事だろうから、これをわざわざ指摘する謂われはない。
それにしても、大なり小なり当方を敵視するという非凡な連中。
先の男性、虎石の態度を思うとまことに気が重い。
都度ごとに恨みを買うのには慣れているつもりでいたが、こうした大人買いは初めてだ。
「ともかく、この街は早々に離れたほうが良いかと」
「ん……」
ふと、疑念が頭をもたげた。
のらりくらりと浮動する先方の態度が祟り、今の今まで聞きそびれた嫌いがあるが、思えば最初に質しておくべきだった。
「お爺さんも、やっぱり御遣なんです?」
逆に言えば、今さら問う必要もない事柄だ。
であれば、先方もわざわざ懇切に応じる必要はないと踏んだか。 明言は避け、じつに持って回った言い方をした。
「いんや……、そう。 遣(つか)いに変わりはありませぬが」
その表情はどことなく磊落(らいらく)で、ようやく反撃の機会を得られたと勇むような。
あるいは虎の尾を踏むような危うさが、まざまざと透けて見える表情だった。