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修学旅行の朝は、決まって少し早く目が覚める。 まだ外は薄暗いのに、胸の奥だけがそわそわと落ち着かなかった。
「遅れるなよー! 集合は七時半だぞー!」
担任の声が廊下に響き、クラスメイトたちが一斉に動き出す。スーツケースを引く音、笑い声、眠そうなあくび。どれもいつも通りの光景だった。
俺、神代 直樹(かみしろ なおき)は、窓際の席から校庭を見下ろした。観光バスがずらりと並び、白い息を吐きながらエンジン音を響かせている。行き先は京都と奈良。ごく普通の修学旅行だ。
「神代、浮かない顔してるけど、楽しみじゃないのか?」
隣の席の拓海が笑いながら声をかけてくる。
「いや、そういうわけじゃない。ただ……」
言葉を濁した。 昨夜から、妙な夢を見ていたのだ。
赤黒い空。地平線の向こうで、巨大な影がこちらを見下ろしていた。
その影は、確かに俺の名前を呼んでいた。
「ほらほら、早く乗れー!」
現実の声に引き戻され、俺は首を振ってバスに乗り込む。座席に腰を下ろした瞬間、スマホが小さく震えた。
通知は、見慣れないアプリからだった。
《観測座標、確定》
《接触対象:地球文明》
《侵攻準備、開始》
「……なんだ、これ」
電波状況の悪い冗談か、誰かのいたずらか。そう思って画面を消そうとした、そのとき。
バスの窓の外、空の一角が――ほんの一瞬だけ、歪んだ。
まるで、別の世界がこちらを覗き返したかのように。
気づいたのは、俺だけだった。 クラスメイトたちは楽しそうに写真を撮り、教師は点呼を続けている。
エンジンが唸り、バスがゆっくりと動き出す。 その進行方向とは逆に、見えない何かが、確実に地球へ近づいていることも知らずに。
――魔王に支配された異世界が、地球を侵略するための“門”は、すでに開き始めていた。
京都駅に降り立った瞬間、空気が違うと感じた。 冬の朝の冷たさとは別の、肌にまとわりつくような重さ。
「うわー、人多っ!」
クラスメイトたちはテンション高く写真を撮り始める。教師は旗を掲げ、点呼に追われていた。 俺は無意識に、空を見上げる。
雲はある。青空もある。 なのに、空が遠い。
「神代、どうした?」
「いや……なんでもない」
自分でも説明できなかった。ただ、胸の奥がざわついていた。
最初の観光地は清水寺だった。 舞台の上は観光客で溢れ、木造の柱が軋む音が響いている。
「落ちたら死ぬんだっけ?」
「昔の人、よくこんなの作ったよな」
いつも通りの会話。いつも通りの風景。
だが俺のスマホが、また震えた。
《位相重複率:3%》
《次元の安定化、進行中》
「……またかよ」
アプリを削除しようとして、指が止まる。
画面の端に、見たことのない“地図”が表示されていた。
現在地:清水寺
その真下に、赤い点が脈打っている。
すると突然、舞台が揺れ始めて体のバランスが崩れそうになった。
「え……地震!?」
観光客の悲鳴が広がる。だが、揺れはすぐに止まった。
誰かが「大したことないな」と笑った、その直後。
――舞台の端、空間そのものが、裂けた。
音はなかった。 ただ、そこに“黒い裂け目”が生まれ、ゆっくりと広がっていく。
「……合成? ドローン?」
誰かがそう言った。 だが、裂け目の向こうから伸びてきた灰色の腕を見て、空気が凍りつく。
指は五本。雲を切り裂きそうな鋭い爪が空に現れた。
「……なに、あれ」
俺のスマホが、警告音を鳴らした。
《第一次接触、確認》
《観測対象:人類》
裂け目の奥で、低い声が響いた。
言葉ではない。だが、意味だけが直接、頭に流れ込んでくる。
――この世界は、あの裂け目からあふれるおぞましい力によって支配される。
悲鳴が爆発し、教師が叫び、混乱が広がる。 その中で、俺は確信していた。
これは事故でも幻覚でもない。
修学旅行は――侵略の始まりに立ち会うための旅だったのだと。