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辿り着いたのは屋上だった。清々しい晴天で暖かい風が私の頬をかすめる。
……ここにくるのは初めて。屋上が開放されているのは知っていたけれど、教室から遠かったため入学してから一度も来たことがなかった。
ぽかぽかと穏やかな春の陽気に私はゆっくりと深呼吸をする。
「案外穴場なんだ。みんな教室とか食堂で食べるからね」
彼の言う通り穴場らしく、この広い屋上には私たちしかいない。
「そこの日陰座ろっか」
今更ながら彼の手にある赤いランチボックスに気づいた。
あれはお弁当かな。私も購買にパン買いに行こうと思ってたんだった。
武蔵先輩のことがあったからすっかりタイミングを逃しちゃった。今から行っても売り切れてしまってるかもしれない。
がっくりと項垂れてため息を吐くと、「よかったら一緒に食べない?」と声をかけられる。
「え、でも」
ランチボックスが開かれて、私は目を丸くした。
綺麗に並べられたサンドウィッチや卵焼き、タコウインナー。どれもすごく美味しそう。
「口に合うかわからないけど」
「……本当にいいの?」
「うん。よかったら食べて? お箸もどうぞ」
隣に座ってと促されて、私は腰を下ろす。美味しそうなお弁当を見ているだけでお腹が鳴りそうだ。
「ありがとう。……お言葉に甘えて、いただきます」
箸を借りて、卵焼きを一ついただく。
「!」
一口食べた瞬間、口内に広がるまろやかな優しい甘みに顔を綻ばせる。
「すっごく美味しい!」
興奮しながら味の感想を伝えると、「作った甲斐があるよ」と言われて今度は別の意味で驚愕する。
「え、もしかして自分で作ったの!?」
「そうだよ。これはなんていうか……趣味みたいなものかな」
目を伏せて、どこか寂しげに話した。けれどすぐにその感情を隠すような柔らかな笑みを向けられる。
「美味しいって言ってもらえてよかった」
……ほんの一瞬、彼の表情が陰った気がした。気のせいだろうか。
「あのさ、 嫌じゃなければ、潤って呼んでほしいな。」
「潤?」
今までクラスが遠かったため、名前を知らなかったけれど彼は潤というらしい。
武蔵先輩は〝先輩〟がつくから下の名前でもあまり抵抗がなかったけれど、いきなり潤と呼ぶのは少しだけ抵抗がある。
「苗字って……」
「あまり好きじゃないから、できれば下の名前で呼んでほしいな」
本人が嫌がるのなら下の名前にしようと、私は頷く。
「俺も名前で呼んでいい?」
「う、うん」
「これからよろしくね。ましろ」
承諾したとはいえ、いきなり〝ましろ〟と呼ばれて、どきりと心臓が跳ねる。
「ごめん、嫌だった?」
「えっと、少し慣れなくて……」
「そっか。でも苗字だと壁を感じるし……じゃあ、あだ名で呼ぼうかな」
ましろちゃんとか、しろちゃんとか、ましろんとか色々候補を挙げられながら、私は名前を連呼されて変に緊張してしまう。そういえば、幼い頃からあだ名で呼ばれることはなかった。
「あのさ」
不意に、風に靡いた私の髪に潤の手が伸びてきた。
「え……」
さらさらと潤の指の間を、髪が流れ落ちていく。
頬に、指先が触れそうで触れない。
こんなに近い距離で見つめられたら、呼吸がうまくできなくなる。
「俺を選んでほしい」
潤が真剣な表情に変わった。昨日は少なくともやる気のある人は誰もいないようだったのに。
武蔵先輩や潤を変えたの……?
「唐突だってわかってる」
「あ、あの」
もしかして、あの場では突然の九條くんの発言に衝撃を受けてなにも言わなかっただけかもしれない。
一日経って冷静になり、女装するのが嫌だからみんな必死に王子役を勝ち取ろうとしているのだろうか。
「でも、俺には君が必要なんだ」
甘さを感じる雰囲気に、私は視線を彷徨わせる。
「みんなのことちゃんと知らないから……今はまだ選べない。ごめんなさい」
視線を彼に戻すと、熱い眼差しが私に注がれ続けていた。
「そっか。じゃあ、俺のこと知ってもらうことから始めないとね」
「え……」
「まずは胃袋から掴ませてもらおうかな」
どこか色気を含んだ甘い潤の笑顔に、頬が熱くなるのを感じる。
「覚悟してね?」
自信に満ちた発言をする潤から私は目を逸らすことができなかった。