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僕は、二,三度肩のあたりをツツっと急いで舐めてから覚悟を決め、静かに口を開いた。
「ちい、あのね、落ち着いて聞くんだよ。僕たちは……」
「僕たちは何?」
「人間に食べられるかも知れないんだ」
ちいの顔から笑顔が消え、あたりの空気が凍り付いた。
―ああ、やっぱり幼いちいには言うべきではなかったんだ。
なんということを喋ってしまったんだ僕は……。ちい、ごめん。僕だけの胸にしまっておくべきだった。
次の瞬間、爆風のように噴き出したちいの息が、僕のヒゲを直撃した。
「その話、面白すぎだよ。まるちゃんって、まるちゃんって、すご~く面白いおじさんだね。そのギャグ最高! まるちゃん最
高!」
目の前でちいが、お腹を抱えて転げ回っている。
僕は、想像もしていなかったちいの反応に、「おじさんと言うな」と言うことも忘れ、ただあっけにとられた顔で、しばらく
は金魚のようにパクパク口だけ動かしていた。
ちいの大きな笑いの波がやっと静まり治まりかけた時、ちいの口から信じられない言葉が飛び出した。「れれが、まるちゃん
も一緒に遊べばいいのにねぇって言ってたよ」
ーえ? 言ってた? 言ってたって?
そういえば、前もそんなことあったよな。まるで人間の言葉がわかってるようなこと。
まさかと思って、今まで本気になんかしてなかったけど……もしかしたら、それって本当のことなんだろうか? ちいは、人間
の言葉がわかってるんだろうか…
ちょっと信じられないけど、でも確かにちいは、今まで僕が会った猫の中ではダントツに飛びぬけて変わってる。
一言で言うと、猫らしくないんだ。
まず、人間を怖がっていない。それどころか、人間と楽しく付き合っている風にも思える。驚いたことに、あの体のでかいれ
れ夫とだって、時に膝に乗ったりなんかして親睦を深めている。
もう、見てる僕の方が怖く て……。
とにかく、ちいは今までの僕の辞書にはない、常識はずれの猫だ。
「ちい、ちいは人間の言葉がわかるの? 」
「わかるよ」
「どうして? いつわかるようになったの? いつ習ったの? 僕に隠れて、いつ人間語の勉強をしたの? ちい!」
僕はこれ以上開かないほど目を見開いて、ちいに詰め寄った。
「まるちゃん落ち着いて。あのね。僕、人間語なんか習ってないよ。ただ、人間に心を開いているだけなんだ。心を開いて相手を受け入れようとすれば、相手の言葉が普通に聞こえてくるよ」
僕は、自分の体の中から力が抜けていくのを感じた。
いつまでも僕が守ってやらなければならない赤ちゃん猫だと思っていたちいが、いつの間にか僕をおいて、手の届かないところに行ってしまったような気がした。
やっとのことで曖昧なつくり笑顔を浮かべたまま、僕は静かにうつむいた。
急に目の奥が熱くなってきて、僕は慌てた。
ちいの前で泣くのは、どうしたって恥ずかしい。
その様子を察してか、ちいは努めて明るい声で言った。
「まるちゃん、僕、まるちゃんが一番の親友だと思ってるよ。二番目はれれだけど、一番と二番の間には、うんと差があるか
らね」
ちいらしい慰め方だ。だけど、れれが二番なの?
「僕、リビングの窓辺で、お昼寝するからね。今ちょうど陽が差し込む時間だから、まるちゃんも一緒にお昼寝しようよ。先
に行ってるからね」
ー僕が一番で、れれが二番……。
リビングに向かうちいの後ろ姿が、ゆらゆら霞んで見えてきた。
僕なんか、ちいが一番で、二番はいないんだけどなぁ。心にポカッと穴があいたようだった。
堪え切れない寂しい涙が一筋、静に頬を伝わっていくのがわかった。
僕は、のろのろと薄暗い押入の奥に向かった。
いきなり、リビングの方から、ちいの甲高い叫び声がした。
「ちい!どうした! 」
押し入れから飛び出した僕は、転がるように声の方に走っていった。