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山頂の静寂を切り裂くように、麓から不吉な鐘の音が響き渡った。
それはかつて、私が「生贄」として山へ追いやられた時と同じ
重苦しく、救いのない音色。
静まり返っていた社を震わせるその音に、私は思わず肩を震わせた。
社の縁側に立つ蒼様は、険しい表情で夜の闇に沈む麓を見下ろしている。
その瞳は、いつもの不器用な優しさを完全に消し去り
かつて村を焼き尽くした破壊神としての冷酷な光を宿していた。
「……鼠どもが、騒がしいな」
低く、地を這うような唸り声。
隣に立つ私は、震える指先で蒼様の羽織の裾をぎゅっと握りしめた。
数日前まで、私はあの村の人間だった。
けれど今は、あそこに帰る自分を想像するだけで全身の血が凍りつくような恐怖を覚える。
実の親に裏切られ、不吉だと蔑まれ、生贄として捨てられた場所。
私にとって、あの村はもう故郷ではなく、死を強制する檻でしかなかった。
「小春、社の中にいろ。……嫌な予感がする。奥の間に隠れて、何があっても出てくるな」
蒼様は私の手を振り払うようにして、鋭い声で命じた。
私は言われるがまま、彼から授かった御守りを胸元で強く握りしめ、暗い社の奥へと身を潜めた。
それから数刻もしないうちに、静寂を保っていたはずの山道から
無数の荒々しい足音と、闇を焼き裂くような松明の明かりが近づいてくるのがわかった。
「……生贄を返せ! 龍神の化け物め!」
「小春が生きておるから雨が降らんのだ!あの不吉な娘を殺し、龍の血で大地を清めよ!」
聞こえてきたのは、聞き慣れた村人たちの、憎悪に満ちた怒号だった。
けれど、その声には以前にはなかった
異様な、ねじ曲がった「力」が混じっている。
言葉そのものが黒い泥となって山を侵食し、木々の生命力を奪っていくような感覚。
まるで、何者かに魂を根こそぎ操られているかのようだった。
「……うるさい連中だ。ここがお門違いの場所だと、その身に刻んでやろう」
蒼様が社の正面に立ちはだかる。
その背中からは、膨大な龍の気が溢れ出し、大気を震わせていた。
村人たちの先頭に立っていたのは、見慣れぬ黒い装束を纏った男──呪術師だった。
男は不敵な笑みを浮かべ、蒼様を見上げた。
「ほう……。これが、逆鱗を傷つけられ、地に堕ちた龍神の成れの果てですか。無様に人間の娘などを囲って、すっかり牙が抜けたようですね」
呪術師は冷ややかに笑うと、手に持った不気味な髑髏の付いた錫杖を、力任せに地面へと突き立てた。
その瞬間、社の周囲にどす黒い霧のような結界が張り巡らされた。
「ぐ、うぅ……っ!」
蒼様の顔が、激しい苦痛に歪む。
龍の気が急激に濁り、彼の力が内側から掻き消されていくのが、奥の間にいる私にも伝わってきた。
「……貴様、何を……っ!」
「これは『不浄の檻』。裏切られた憎しみを糧にする龍にとって、人間の凝縮された『悪意』こそが最大の毒となる」
「……さあ、愚かな村の者たちよ。その娘を、龍の番となるはずだった供物を引きずり出せ!」
呪術師の言葉に煽られ、正気を完全に失った村人たちが、獣のような咆哮を上げて社になだれ込んでくる。
私は、震える足で奥の間から飛び出した。
蒼様が苦しんでいる。
私を守るために、毒に当てられ
膝を突きながらも戦おうとしている彼の姿を、黙って見てなどいられなかった。
「蒼様……!」
「来るな、小春!……逃げろ、早く……っ!」
蒼様の絞り出すような叫びも虚しく、私はなだれ込んできた村人たちの荒々しい手に捕らえられた。
泥だらけの無数の手が、私のピンク色の髪を乱暴に掴み、引きずり回す。
「見ろ、この不吉な髪を! やはり龍神と通じておったか!」
「殺せ! この娘をバラバラにして、乾いた大地にその鮮血を撒け!」
そこには、かつて私を育てたはずの父も、継母も、知っている顔の誰もいなかった。
ただ、血走った目をした群衆が
私を「命」としてではなく、乾きを癒すための「獲物」として見ていた。
引き裂かれる藍色の着物。浴びせられる罵倒の嵐。
遠のく意識の中で、私は必死に蒼様の姿を探した。
どす黒い結界の中で、血を吐きながらも
私を助けようと爪が剥がれるほど地面を掻き、手を伸ばし続ける彼の姿を。
「……小春……待て…離せえええええ!!」
蒼様の魂を削るような咆哮が、夜の山を、そして私の心を引き裂くように震わせる。
けれど、呪術師の卑劣な罠が
二人の小指を固く結んでいたはずの「赤い糸」を、じわじわと禍々しい黒へと染め上げていく。
私は、絶望の絶叫を上げる蒼様を視界に残したまま、底のない真っ暗な闇へと突き落とされた。