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王都・フォルロワ―――
その王宮の離れで、長い廊下を鎧に身を包んだ
女性が2人歩く。
「マリサ……副団長様からお呼び出しとは、
何でしょうね、エリアナ様」
金髪の巻きロールの髪をなでながら、
アンティークドールのような顔立ちをした
女性は、もう一方に話しかける。
「よりによってイライザさん、貴女も一緒
なんてね。
まあ―――
あのマリサ副団長様の事、もしかしたら
辞退の相談かも知れませんことよ?」
こちらは、現代のマネキンのようにボディラインの
凹凸がハッキリとしていて―――
ウェービーヘアーの中からのぞく細く切れ上がった
目は、冷たい性格を思わせる。
「いい加減、マリサ様も重責に耐えかねて
いらっしゃるのではないかしら?」
「気苦労が絶えない職務ですもの―――
せいぜい、慰めて差し上げましょう」
クスクスと笑い合いながら、彼女たちは
目的の場所へと一定の間隔で歩を進めた。
「王室女性騎士団員、イライザ・フォス―――」
「同じくエリアナ・モルダン。
ただ今参りました」
王室・副団長に割り当てられた部屋は―――
さすがに実質上の女性騎士団トップという
こともあり、広く……
その最奥の幅4メートルはあると思われる机に、
マリサ・ドーン伯爵令嬢が座っていた。
「よく来ました、2人とも。
そこへ座ってください」
「…………?」
「…………」
副団長の言葉に従い、彼女たちは用意されていた
イスへと腰を落とすが―――
どこか違和感を覚えていた。
「自分が不在の間……
騎士団では何か変わった事はありません
でしたか?」
その問いに2人は顔を見合わせ、
「はい。別段―――」
「特にこれといった事は」
それを聞いたマリサはふぅ、と一息つき、
「そうですか。
噂では―――
自分は副団長にふさわしくない、と
一部の間でささやかれているという
事でしたが」
「そ、それは……」
「ね、根も葉もない噂でしょう」
噂の首謀者とも言える派閥のトップ2人は、
思わず否定の返答をする。
「(どういう事……!?
この前までは、私たちを見ただけで
おどおどした態度を見せていたと
いうのに―――)」
「(今は目を合わせないどころか、
まるでこちらの存在そのものを無視して
いるような……!)」
決して、態度や言葉使いが大幅に変わったという
事ではない。
ただ、彼女たちは肌で―――
これまでのマリサとは違う、という事を
感じ取っていた。
「くだらない事を聞きましたね。
そういう噂は、自分を選んだ前任者である
ラーナ・ルトバ様の目が曇っていたと言うも
同然でしょうし」
「は、はいっ!」
「まさにその通りでありますっ!」
即座に子爵令嬢と伯爵令嬢は肯定する。
それを見ながら、マリサはシンが自分に
与えた『策』の事を思い出していた。
―――マリサ回想中―――
「じ、自分が2人に……ですか?」
シン殿から授けてくれた策、それは―――
当然といえば当然だが、まずイライザと
エリアナの2人に立ち向かえ、という事だった。
「ああ、そう難しく考える必要はありません。
少なくとも、もう2人に対する恐怖は薄れて
いるでしょう?」
確かに、あの空での高速飛行に比べれば……
しかしそれでも、あの2人を前にして出来るか
どうか―――
「無礼を承知で申し上げますと、マリサ様は
その2人に見くびられているんです。
ですが、そういう方々には特徴があります。
『絶対に相手が自分に逆らうはずがない』
という根拠の無い自信です。
ですので、反撃した時点でマリサ様は
主導権を握る事が出来ます」
―――マリサ回想終了―――
「(まさか、これほどまでとは……)」
聞いた時、そんな簡単に、とも思ったが、
実際に彼女たちは、『たったそれだけ』で
完全にいつもの態度ではなくなっている。
あれほど自分の前で嫌味や悪態をついてきた
2人がウソのように……
「(さて、次の策は―――)」
マリサは机の上の書類を整理しようと手を伸ばし、
それがカップに触れると、床へと落下する。
「!?」
「―――っ!!」
カップが割れる音が室内に響き、それを聞いた
机の前の2名が、ビクンと肩を揺らした。
「ああ、失礼。
不在の間に書類がたまってしまっていて」
彼女が席を立って割れたカップを片付けようと
すると、
「か、片付けます」
「わ、わたくしも」
イライザとエリアナは慌ててイスから腰を上げ、
マリサの手伝いに来た。
実はこれもシンの提案によるもので―――
―――マリサ回想中―――
「大きな音を立てる、ですか?」
「子供だましのように聞こえるでしょうが、
目的は彼女たちの心をかき乱す事にあります。
余裕ぶっている人ほど、予想外の出来事に
弱いものですよ」
―――マリサ回想終了―――
「(こうまでシン殿の言う通りになると、
怖いくらいですね)」
実行するまでは正直半信半疑だったが―――
彼女は、シンからの策をもはや疑わないでいた。
一通り片付けが終わった後、改めて3人は
元の位置に座る。
「あ、あのそれで副団長殿」
「わたくしどもは―――
相談があると聞いて来たのですが……」
2人の問いに、マリサはいったんコクリと
うなずいて顔を上げ、
「先ほど、自分が副団長になった件について、
それを快く思わない一部の人間がいる、
という噂を話しましたが―――
正直なところ、自分自身も未だ未熟と
思っているところへの任命でしたので」
イライザとエリアナはえっ? という表情を
作り、動揺する。
「そもそも、ラーナ様が突然副団長の任を
降りたのは、実家や領地の都合もあったと
聞いております。
ですので、自分が今回任命されたのは……
時間が無い中での選定の結果ともいえます」
「で、ですが―――」
「それでも、ラーナ様に任命されたのは
間違いないのですから」
型通りに一応は反発をしてみせる彼女たちの顔を、
マリサは交互に見て、
「後任の任命権は現役の副団長にあります。
つまり自分です。
3年、いえ、2年―――
それだけ勤めればラーナ様も納得して
くださると思うのです」
話の展開に付いていけず、ポカンとしている
子爵令嬢と伯爵令嬢にマリサは続ける。
「お2人に相談したい事とはその事です。
聞けば、2人ともそれぞれ人望があり―――
騎士団の大半をまとめあげているとの事。
その2年の間に、後任を決めて頂きたいのです。
自薦でも他薦でも構いません」
それは、ある意味2人が望んでいた事でも
あったが―――
互いに視線を交わすと、複雑な表情になった。
実はこれこそがシンの『策』の肝であり……
―――マリサ回想中―――
「ええっ!?
や、辞めると言ってしまうのですか?」
その案には、さすがにマリサも聞き返し、
「いや、シン。
それで本当に相手が『ハイわかりました』
と言ったらどうするのじゃ?」
アルテリーゼも、心配になって問い質す。
「恐らく、その2人が執着してるのは―――
『副団長』という肩書です。
それをいったん手放してしまえば、マリサ様が
敵視される事は無くなりますし……
そのイライザさんとエリアナさんとやらが、
共闘している理由も無くなります。
離間計っていうんですけどね」
親にして、之を離す―――
その敵の間によりて之を用うるなり―――
そこでマリサとアルテリーゼは「あ」と声を上げ、
「恐らく今後、副団長の座を巡って―――
これまで通りの仲ではなくなるはず。
後は、副団長の座について……
『現実』を見せるようにすれば」
―――マリサ回想終了―――
「(一見、相手の望む条件を見せて、
敵同士を争わせる……
ドラゴンを妻として従わせるほどの実力で
ありながら、何て恐ろしいほどの知略の
持ち主なのでしょうか)」
事実、マリサの前で2人は悩み始めているように
見えた。
ポスト『副団長』をちらつかされ、思考がうまく
まとまらないのだろう。
そして、シンから授けられた『策』の最後の
一手を打つ。
「もちろん、後任の任命権は自分にあるわけ
ですから―――
この事は他の方々には内密にお願いします。
後ですね、『副団長』の仕事を少々手伝って
欲しいのですが」
その言葉に、脳内で目まぐるしく計算をしていた
イライザとエリアナは意識を戻し、
「え?」
「は?」
と、拍子抜けのように答えるが、
マリサは構わず続け、
「もちろん、『副団長』の仕事に興味があれば、
ですけれど。
もし自らが目指すおつもりであれば、
経験しておくのもいいと思いますよ?」
更なる提案に、2人はまた思考を巡らせる。
「(……なるほど。
つまり、『副団長』になりたければ、
自らもやってみて能力をアピールしろ、
という事ね……!)」
「(それに、マリサ様の言う通り、任命権は
あくまでも彼女にある……
協力や手伝いによっては―――
即ちこれからは、どちらが彼女に気に入って
もらえるかが、カギとなる……!)」
同じ結論に達したのか、2人はいったん頭を
下げた後、顔を上げ―――
「次期『副団長』を継ぐかどうかはともかく、
協力するのは当然の事と思われます」
「イライザの言う通りです。
今後は、わたくしどもを手足のように
お使いくださいませ」
こうして、表面上ではあるが―――
マリサ、イライザ、エリアナの確執はいったん
休戦状態となった。
それから一ヶ月後―――
王都フォルロワ・王宮の騎士団施設……
「エリアナ様!
訓練スケジュールと場所の選定は
終わりましたか!?」
「あ、あと3日だけ残っています!
イライザさんこそ、男性騎士団との合同演習に
おける、模擬戦の作戦立案は……!?」
彼女たちはある種の修羅場の中にいた。
表面上は『副団長の仕事を手伝う』として、
当初こそやる気満々で二つ返事で引き受けた
ものの……
当然というべきか、理想と現実の差ともいうべきか
実際の現場での仕事を目の当たりにし―――
忙殺される日々を送っていた。
そこへ部屋の奥の扉がノックされ、
主である『副団長』が入室し、
「お2人とも、まだ時間はありますので
それくらいで……
今日はこれまでとしましょう。
パンケーキを焼いてきました。
ひとまず、お茶にしませんか?」
マリサの言葉にイライザもエリアナもパアッと
明るい表情になり、
「ありがとうございます!」
「そうですね―――
一息入れましょうか」
こうして2人は作業用の机を離れ―――
来客用の丸テーブルへと移動した。
「おいしい……♪
それに、本当に今までの甘味とは段違いの
甘さですわ♪」
「疲れた体には染みる甘さです……♪」
メープルシロップたっぷりの、メレンゲと
フルーツを挟んだマリサの手料理に、2人とも
舌鼓を打つ。
「我がドーン伯爵領でこの甘味は量産して
おりますから、いくらでもどうぞ。
仕事を手伝ってくれたお礼に―――
例の葛餅も用意しましたので、
こちらは後でお持ち帰りを」
「お、恐れ入ります」
「家族、特に弟妹が大好物ですので
喜びますわ」
これもまたシンの『策』で―――
出来ればこうまで出来たら、というものであった。
『もし手伝わせる事に成功したら―――
今度は利益を与えてみてください。
敵対するより友好関係になった方が得だと、
思わせる事が出来たら完璧です。
少なくとも中立になってくれさえすれば、
上出来だと思ってください』
マリサはシンに言われた事を頭の中で反芻し、
「(母上も最近は上機嫌ですし……
第二夫人ともよく教育方針について、父上を交え
話し合うようになりました。
今までのドーン家においては考えられない
事です。
そのせいか、少々父上がお疲れのようですが……
いずれにしろ―――
シン殿には頭が上がりませんね)」
「……?
マリサ副団長様、どうかしたのですか?」
イライザの声が、彼女の思考を中断させる。
「いえ、失礼。
それにしても……
ラーナ様はこれを一人でこなしていたかと
思うと、頭が下がる思いです」
マリサの言う事に、子爵令嬢と伯爵令嬢も視線を
落とし、
「そうですね。
女性騎士団の実質上のトップですので、
書類仕事がある事はそれなりに覚悟は
していたのですが」
「想定と実戦は違うという事を、これでもかと
思い知らされましたわ……」
仕事を手伝い始めてから、これまでの一か月を
振り返り―――
2人は遠い目をしていた。
「お2人には大変感謝しているんですよ?
おかげで最近では、この部屋に泊まり込む事も
ほとんどなくなりました。
どうして『副団長』のこの部屋―――
『生活出来る仕様』なのか疑問に思いましたが、
すぐに理解したものです」
イライザとエリアナが『ああ……』という
表情になり、
「簡易キッチンや、魔導具で常時お湯を張る
浴室もありましたが」
「必要にかられての設備だったのですね……」
2人がほぼ食べ終えたのを見て、マリサはお茶を
少し飲んで、ふう、と一息つくと、
「今日も遅くまで申し訳ありません。
後片付けは自分がやりますので、気を付けて
お帰りください。
自分はもう少し残りますので」
「……えっ? 副団長様は?」
「まだ何か……」
その問いに、彼女は自分の机に目をやって、
「いえ、次の模擬戦における武器防具の書類に、
確認のため目を通すだけです。
たいした量ではありませんので、ご心配なく」
それを聞くと、子爵令嬢と伯爵令嬢は席を立って
一礼し―――
部屋を退出した。
「はぁあああ……
慣れてはきましたけど、疲れる上に
面倒な事には変わりはありませんね」
「事務処理なんてそんなものでしょう。
アレを一人でやっていたなんて……
改めてラーナ・ルトバ様の偉大さを
実感しますわ」
王宮の離れ、その長い廊下を歩きながら、
イライザとエリアナは『手伝い』について
グチをこぼす。
イライザはふと、お土産の葛餅と、味付けのための
メープルシロップが入った袋に目をやり、
「そういえばエリアナ様。
ドーン伯爵領から、その甘い樹液を出す木の
提供を受けたとか」
「ええ。モルダン伯爵領はやや北方に
位置するので―――
元々寒いところの品種のようなので、
そこで育つのではないかと、ドーン伯爵様から
父上に話があったそうです」
すっかり日の暮れた廊下を、2人の話し声だけが
通るように響く。
「そういうイライザさんこそ、領地に技術指導が
入ったと聞きましたが……」
「は、はい。
『プルラン』という、卵を大量に産む鳥と
その飼育施設、魚を大きく育てる水路など……
住人のトラップ魔法の適性訓練も含めて。
何より、先に導入してあったあのトイレ―――
あれまでもがドーン伯爵領発祥のものとは
思いもしませんでした」
カツカツ、コツコツと足音がしばらく続き、
「それで実家から―――
『ドーン伯爵家との人脈を絶対に逃すな!』
って、厳命されてるんですよね」
「わたくしも似たようなものです。
現に、彼女と繋がりを持っている事で―――
ドーン伯爵領の新作料理や最新技術の情報を
真っ先にもらう事が出来ますから……
父上からも伝手を大事にしろ、と」
そこで2人とも、ピタ、と足を止めて交互に
顔を向き合い、
「えっと……
それで次期『副団長』の件、どうします?
正直、私はもうそれほど魅力は感じないと
言いますか……
エリアナ様がなられるのであれば応援いたし
ますけど」
「それは、わたくしもちょっと……
激務というのはわかっていたつもりですが、
まさかこれほどとは。
今のようにマリサ様の部下として、彼女の
サポートをしている状態が―――
我がモルダン家に取っても一番良い状態だと
思われます」
そして示し合わせたように、彼女たちはフー……
と長い溜息をついて、
「あーあ。
マリサ様、2年後には忘れるか、
心変わりでもしてくれないかなー」
「いっそその前に結婚でもしちゃおうかしら。
うやむやに出来るし」
誰も聞いていないと思ってか、くだけた口調で
会話を交わし始める。
「え? 何なにエリアナ様?
誰かいい人でもいるんですかい?」
「そうね。男性の騎士団にいる―――
レオニード侯爵家の次男を狙っているんだけど」
それを聞いたイライザは一瞬顔を歪め、
「え!?
だって素行の悪さで有名でしょあの人!
女癖が悪いって噂も……」
「それがねー。
チエゴ国との戦争で一度死にかけたらしいの。
何でもそれから人が変わったように真面目に
なったとかで……
元々侯爵家で次期騎士団長になる資格は
あったし、その話も出ているんだって」
ふむふむ、と彼女はエリアナの話にうなずき、
「なるほどー。
一度死ぬような思いしたら、人生観変わるって
言いますもんね」
「それはそうと、貴女はどうするの?」
その問いにイライザは、んー、と両目を閉じて、
「じゃあ、マリサ様のお兄様でも狙おうかしら。
以前お会いした事あるけど―――
とても謙虚で礼儀正しくて、何と言っても
格好良かったし」
「いいんじゃないかしら。
人柄は申し分ないと思うわ。
確か長男でありながらチエゴ国へ戦争へ行って、
しかも功績抜群でありながら、手柄は全部
同行していた妹へ譲ったって聞いているし」
「へ!? そうなんですか?」
目を丸くして彼女は驚く。
やはり子爵家と伯爵家では、情報収集能力の
レベルも異なるのだろう。エリアナは話を続け、
「ドーン伯爵家の三女なんだけど、何でもその
妹さん、目立った魔法が使えないらしくて……
それを心配した彼が、彼女の実績作りのために
奮闘したって噂よ?」
「えぇえ、何その理想のお兄ちゃんは……
現実に存在するの?
それなら妻も大事にしてくれそう」
彼女たちは歩みを再開し―――
勘違いと誇張が混じった情報を交換、共有しながら
廊下を進んでいった。
―――時間は遡り、ドーン伯爵一家が町を去った
一週間後……
町の西側の新規開拓地区で、ある試みが
行われていた。
「そろそろかなあ、アルちゃん」
「そろそろではないか? メルっち」
魚を巨大化させる施設で、メルとアルテリーゼ、
そしてその夫のシンがスタンバイする。
「ナマズも魚もエビも貝も、3日後に一気に
倍化したからね。
となると、今日あたり―――」
私と妻2人は、ある生き物の倍化を行っていた。
しかし、それはエビや魚とは異なり―――
巨大化したら戦闘力はあるだろうと想定したので、
3人以外、現場へは立ち入り禁止にしたのだ。
そして、巨大化用の水槽に目をやると、
「お?」
「む」
メルとアルテリーゼが同時に声を上げ、
私もそこへ視線を移す。
そこには―――
甲羅だけで1メートルはあろうかという
『カニ』が5匹ほどおり……
それが一斉に水飛沫を上げて立ち上がった。
水槽の水深は2メートル以上あるが、手足の長さと
体長を考慮すれば、這い上がってくるのも時間の
問題だろう。
まあ5匹全部上がってきてくれた方が、水揚げする
手間が省けて楽なんだけど……
「逃げられたらマズイので、ある程度
上がってきたら無効化させるよ」
「りょーかいっ」
「任せたぞ、シン」
そして2匹ほどが水槽から上がってきた時点で
私はカニたちの前に立ちはだかる。
カニ自身も、巨大化した自覚があるかどうかは
わからないが―――
野生動物の本能として、自分よりサイズの小さい
相手に恐怖は抱かない。
威嚇するようにハサミをこちらへ向け、その目は
こちらをエサと値踏みしているのか、忙しなく
動いていた。
3匹目が這い上がってきた時点で―――
王都・フォルロワで『キング・クラブ』に対して
やったように小声でささやく。
―――こんな大きな甲殻類など、
・・・・・
あり得ない
「!?」
「???」
そしてキング・クラブの時と同様―――
彼らは重力の洗礼を受ける。
同時に後方で大きな水柱が上がった。
恐らく、這い上がろうとした一匹が途中で、
自らの重みを地球基準で受けて沈んだのだろう。
前のめりに、あるいは仰向けに倒れ―――
ブクブクと泡を吐いて、もはや生物としては
死ぬ寸前の様相だ。
「あー、一匹は水槽の中か……」
頭をかきながら、どうしたのもかと悩んでいると、
「それは我が引き上げてくる。
ドラゴンになれば簡単じゃし。
メルっちは他のカニどもにトドメを刺して
回ってくれ。
シンは解体の職人を呼んで―――」
テキパキとアルテリーゼが指示を出すが、
「ねーアルちゃん。
これ、急所ってどこ?」
「キング・クラブの時は確か、体の中心を
貫いたが……」
そういえば、彼女にトドメを任せたんだっけ。
するとメルが倒れている巨大カニの上にまたがる
ようにして構え、
「こうかな? フンッ!!」
空手の正拳突きのように拳を打ち込むと、
綺麗に貫通し―――
カニの手足は一瞬ピンと伸びて、そのまま
動かなくなった。
彼女は拳を引き抜くと、血とも体液とも知れない
液体を手を振り回して飛ばし、
「さー、次々♪」
ウチのお嫁さんズはたくましいなあ……
と思いながら、鮮度を無駄にしないために、
私は前もって待機してもらっていた解体の
職人さんたちを呼びに駆け出した。
「『ジャイアント・キャンサー』の解体か」
「初めてだけど、以前ロック・リザードも
やってるし。
それよりは簡単だろう」
すいません、それ元はそこらの川にいた
沢ガニなんですよ……
とは言えず。
「で、中の肉を渡せばいいんでしたっけ?」
「はい、お願いします」
彼らは手際よく殻をはがし―――
それらは素材となっていく。
だが、やっぱり解体してパーツごとに分解しても、
大きい事には変わりない。
結局キング・クラブの時に断念したように、
殻ごと煮るのは諦めなければならないようだ。
「取り敢えず手足一匹分、出来ました!」
ドン! と白濁した半透明の身が木製の
テーブルの上に置かれ、私は待機していた
ブロンズクラス数名に指示を出す。
「みなさんはこれを宿屋『クラン』まで
持って行ってください!
話は通してありますから」
「はいっ!」
「わかりました!」
そして、私も次の行動へ移る事になった。
「あ、シン!
お湯は沸いてるよー!」
「塩とマヨネーズ、魚のスープもじゃ!」
「ピュ!」
先行していた妻2人とその子供が出迎える。
話を聞きつけたのか、物好きな野次馬も
集まっていた。
ラッチは食堂に置いてもらい、さっそく
メル・アルテリーゼと一緒に厨房へ向かうと、
準備万端で―――
「……本当にカニなんて食えるのかい?」
女将さんであるクレアージュさんが、
『またか』という目と疑問が入り混じった
声を向けてくる。
「フフン♪
せいぜい、シンの作った料理に驚くがよい」
「アルテリーゼ……
元はと言えば君が原因なんだからね?」
そう―――
この一連の騒動は、彼女が発端であった。
王都でキング・クラブを仕留めた事は、
ギルド長始め、親しいメンバーに話したのだが……
アルテリーゼがその美味しさを吹聴し―――
王都同様、周囲にドン引きされてしまって、
それが却って彼女を意地にさせ……
どれだけカニが美味しかったのかを熱く語り、
さらに私が調理したという事で、ミリアさんや
ルーチェさんといった女性陣の食欲と好奇心を
刺激して―――
沢ガニくらいならそこらの川から調達出来て、
巨大化出来るという事もあり……
ジャンさんからの許可も下りて、今回の運びと
なったのである。
「さて、と」
調理、と言っても茹でるだけであり……
キング・クラブと同様、茹で上がったら冷水で
冷やすだけである。
やはりこちらも冷やすとすぐにうどんのように
バラバラになり―――
細長いメン状になったそれを、皿に盛りつけたり
スープに入れていく。
それがメル、アルテリーゼと―――
ギルドの主要メンバーの前へ出された。
「これが、あのカニッスか……」
「中身ってこうなっていたんですね。
初めて見ます」
レイド君とミリアさんが、ゴクリと喉を鳴らし
つつも、すぐ口は付けず、
「匂いは別に悪くはないな」
ジャンさんも、鼻を近付けるがまだ手は出ない。
「何かのヒモみたいですね」
「こうして見ると、魚の身のような感じも
しますが」
ギル君とルーチェさんが、フォークで
絡めながらそれを持ち上げる。
しかし、依然として誰も口には入れなかったが、
ズズーッと音と共に、妻たちと子供が声を上げた。
「ンまい!
アルちゃん、確かにこれうまいよ!」
「そうであろう?
王都の物に比べるとややあっさりしているが、
これはこれでなかなか……♪」
「ピュピュ~♪」
するとそれを皮切りに全員が口を付け始め、
「コレ、イケるッスよ!」
「面白ぇ食感だな」
「いくらでも食べられます!」
レイド君・ジャンさん・ギル君が食べながら
感想を口にする。
王都でも見たなあ、この流れと思いつつ―――
女性陣に目をやると……
「うめえぇえええ!!」
「うめーっ!!」
と、ミリアさん・ルーチェさんが一心不乱に
食べまくり、それとは対照的に黙々と食べている
女将さんとファリスさんが目に入った。
「カニがこんなに美味しいなんてねぇ。
あ、でも魔物じゃないと量が取れないか」
2人とも食材をまじまじと見つめるが、
ふとファリスさんが首を傾げ、
「アレ?
でもコレ、ジャイアント・キャンサーって
言ってましたっけ?
確かあの魔物は大きな川じゃないといないはず。
それにこの近くに出るなんて話は……」
メルの水魔法で生物を巨大化出来るというのは、
ごく一部の人しか知らない秘密だ。
ちょっとマズイなーと思っていると、
「ドラゴンのアルテリーゼさんが獲ってきて
くれたッスよ♪」
「そう、ドラゴンが獲ってきたんだからね♪」
「ドラゴンが獲ってきたっつってんだろ♪」
いつの間にか、レイド君・ミリアさん・ギルド長の
3人がファリスさんを囲むようにして集まり―――
「は、はいぃいっ!?
仰る通りでご、ございますですっ!!」
その圧力に強制的に理解を示し、ファリスさんは
同意の声を上げ―――
その声も食堂の雑踏の中にかき消された。