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旋律するときに指を動かしたきりなのに、今日はいつもよりきれいな小鳥のさえずりを表現できている気がする。
知り合いとはいえ、三人が私のことをじっとみているというのに、緊張もしない。
(落ち着いているのかしら、それとも――)
気持ちが高ぶっているのかしら。
いつもの自分ではない。それだけは分かる。
譜面通りの規則正しい音ではなく、小鳥のさえずっているような、羽ばたいているように感じさせる音色。
きっとこれが感情をのせるということ。
私がずっと苦戦していたこと。
(今の私だったらきっと)
一曲目を弾き切った。
続いて二曲目に挑む。
私はグレンに視線を向けた。
グレンは鍵盤に両手を置き、こちらを見ている。
私はグレンが分かるよう大げさに弓を構え、始まりの音を奏でた。
それに合わせてピアノの伴奏が鳴る。
グレンのピアノは教本通りで合わせやすい。
伴奏のピアノはそれでいい。
けれど、私はそれでは合格できない。
二曲目は強い感情を込めて弾く、表現力が求められる。
クラッセル子爵からそう指摘され、私はこの課題曲にどういう感情を込めたらいいのかずっと考えていた。
『激情』。
この題名から、私は怒りを込めるのだと思った。
それから、今に至るまで”怒り”の感情と向き合った。
怒りとはどういうものなのか。
(私が怒ったのはルイスに形見の本を燃やされたとき)
当時の感情を思い出しながら、私はそれを表現した。
クラッセル子爵は私の答えを認めたものの、納得はしていない。
試験には合格できるだろうといった妥協を感じた。
(お義父さまは”足りない”と感じていたものは――)
クラッセル子爵が目を大きく見開いている。
私の音色に驚いている。
きっと今の弾き方が正しいのだ。
(激しく燃え上がるような感情。そう、愛のようなもの)
この楽曲が表現したかった感情は”怒り”ではなく”愛”なのではないかと。
私はルイスと関わったことでそれに気づいた。
クラッセル子爵の表情から、私の考えが正しかったようだ。
私は最後の一音を弾き切り、聞いてくれた三人に一礼をした。
パチパチと拍手の音が聞こえた。
顔を上げると、眼前にマリアンヌがいた。
「すごいわ、ロザリー!!」
「ち、近いです。お姉さま」
「一番の演奏じゃないかしら。特に二曲目!! 素敵だったわ」
「ありがとうございます」
マリアンヌが抱き着いてくる前に、私はヴァイオリンを台に置いた。
「僕も驚いたよ」
「お義父さま……、いかがでしょうか」
「うん。一番の出来だ」
「ありがとうございます」
「特に表現力が良くなった。今までは派手さはあったけど、雑な表現だとおもっていた。今の演奏は雑だと思っていた表現が無くなっていたね」
やはり、今の弾き方でよかったみたいだ。
私はクラッセル子爵の評価にほっとする。
「ねえ、ルイスはどう思った?」
マリアンヌは沈黙していたルイスに訊く。
私の演奏を褒めることなく、会話の輪に加わることも無く、座ったままだ。
ルイスは従者としてウィクタールの演奏を聴いていた。耳は肥えているはずだ。
マリアンヌは家族としてひいき目にみるし、クラッセル子爵は前の演奏と評価している。
初めて聞いたルイスはどういう評価を下すのだろうか。
「その……、あのロザリーがヴァイオリン弾いてるなんて、信じられなくてな」
ルイスの一言目がそれだった。
最近までルイスの記憶の中は、十歳の頃の私だった。
孤児院暮らしで、記憶力がいいくらい。
高価で貴族しか弾けない楽器を扱っている姿など想像もできないだろう。
「俺は演奏のよしあしなんて分かんないけど、一曲目は綺麗だなって感じたし、二曲目は心を揺さぶられた」
ルイスの感想は純粋なものだった。
「ありがとう……、ルイスのおかげよ」
「えっ!? 俺、何もしてないけど」
音色が良くなったのは、ルイスと出会ったから。
”激情”という感情を私に教えてくれた人。
私とルイスはしばらく互いを見つめ合っていた。
間にマリアンヌがいたけれど、割り込むことなく黙っていた。
「ルイス君、荷物を部屋に置いてきたらどうだい?」
いい雰囲気が流れていたものの、クラッセル子爵の言葉が遮った。
声音も鋭く、ルイスを敵視しているのは明らかだ。
私からルイスを引き離そうとしている。
「……部屋に案内していただけますか?」
あからさまな対応にルイスはうんざりしている様子。
ルイスの部屋はこの間滞在した時と同じ場所なはず。
これは私とルイスを引き離そうとしているのだ。
「こちらだ」
クラッセル子爵とルイスは演奏室から出て行った。
きっと、ルイスとは夕食の時まで会えないだろう。
「ルイスと付き合うことにしたんだな」
「うん」
「出掛ける前はそんな素振りなかったのに」
グレンは鍵盤の上に布を敷き、ピアノのフタをそっと閉めた。
共に練習していたグレンは私の演奏の評価はせずに、ルイスとの関係の変化を問う。
「ロザリーとルイスが両想いになって嬉しいわっ」
「あいつ、ロザリーしか見てなかったしな」
「えっ、二人はルイスが私のことが好きって……、知っていたの?」
「ええ」
「もちろん」
私の問いにマリアンヌとグレンは間髪入れずに肯定した。
ルイスの気持ちに気づかなかったのは、私だけのようだ。