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橙色と藤色の境目が広がる薄暗い夕刻。
わたしはひとり、とぼとぼと帰路に就いていた。
一応、途中のコンビニまでは彼氏である神楽くんが送ってくれたのだけれど、どうしても観たいテレビがあるとかで、あっさりわたしを置いて帰ってしまった。
わたしとテレビ、いったいどっちが大事だってんだ、あんにゃろーめ。
こんな薄暗がりの中で暴漢に襲われたらどうするつもり?
……まぁ、そんな怪しげな道、帰り道のどこにもないのだけれども。
とはいえ、さっさと帰ってしまった彼氏に多少のモヤモヤを抱えながら、けれどいつまでもそんなモヤモヤを抱えていたくないので、わたしは真帆さんのところに来ていたお客さん、心音さんのことを思い返していた。
真帆さんの仕事の見学のつもりだったけれど、あんないい加減な接客対応で本当に大丈夫なんだろうか?
正直になる薬、なんて言いながら、ただ惚れ薬を薄めただけの液体を渡すだなんて、いったいどういうつもりなんだろうか。
『まぁ、そのうちわかりますよ』
なんて真帆さんは言っていたけど、はたして心音さんの気持ちは救われるのだろうか?
う~ん、どうなんだろう……
顎に手をあてて、だんだん夜の帳が覆っていく空を眺めて考えていたのだけれど――
「ダメダメ! 結局モヤモヤしてんじゃん! 考えるのやめ!」
わたしは頭の上で両手を振って、立ち込める雲を振り払った。
そうだ、頭を空っぽにしよう。何も考えないように、考えないように――なんて考えていると、
「う、うわああああ――――っ!」
「うっきゃあああああぁっ――――っ!」
何も考えないまま十字路を左に曲がったところで、自転車に乗った男性と正面衝突しそうになってしまったのだ。
キイイイイイイイっ!
甲高いブレーキの音と共に、男の人が乗った自転車が前のめりに倒れかかる。
――えぇっ!?
わたしは咄嗟に両手を顔の前に伸ばし、身体を屈めた。
やばい、ぶつかる!
恐怖に身を強張らせた、それが悪かったのだろう。
「う、うわわわあっっ!」
男性の声が、正面斜め上から聞こえてくる。
なんだなんだ、と閉じていた瞼を開いてみれば、そこには空中に浮かぶ自転車と男の人の姿があったのだった。
――しまった。びっくりしたあまり、練習中だった風の魔法を使っちゃったみたいだ!
わたしはまだまだ修行中の身である。
魔法使いの弟子になったとはいえ、そもそも魔法使いの家系に生まれた人間ってわけじゃない。
だから、最初から使える魔法なんてなかったところに、無理を言って魔法を教わっている身であるから、それは、つまり、自由自在に魔法が使えるわけではなく、ふとしたきっかけで思った以上の魔法を使える程度の、めちゃくちゃ不安定な状態に今のところなっているのである、というのが神楽のおばあちゃんの言葉だった。
我ながら意味の解らない説明を頭の中で言い訳のように繰り返していると、
「な、なんだ、なんだ! どうなってんだ!」
男の人が、手をあたふたしながら慌てている。
「す、すみません! すぐ下ろします!」
で、パッと顔の前でクロスしていた両腕をおろした瞬間、
「どわあああぁ――っ!」
どっし~ん、がっちゃ~ん!
男の人と自転車が、道路の上に落下してしまったのだった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
「いっててて…… なに、今のはいったい何だったの?」
腰をさすりながら、目をぱちくりさせるその男性に、わたしは、
「はて、何のことでしょうか? あれじゃないですか? 事故る瞬間ってスローモーションに感じるっていうじゃないですか、きっとそれですよ」
「え、えぇ? いや、でも、そんな感じは絶対に……」
「それ以外、考えられます?」
「まぁ、うん……考えられないか」
「そんなことより、大丈夫ですか? すみません、全然前を見てなくて」
すると男性はよいしょっ、と腰をあげて、倒れた自転車を立たせながら、
「こっちこそごめんね。次の配達先のこと考えてたから、前を見てなかったよ」
……配達?
見れば、確かに男性は、その背中に大きな水色のバッグを背負っている。
どうやら最近流行りの自転車配達サービスの人のようだ。
「も、もしかして、そのバッグに配達する晩ごはんとか入ってるんじゃぁ――!」
ヤバい、弁償か? 弁償を求められるのか?
なんてビビっていると、
「ああ、いやいや、配達したあとだから、この中身は空っぽだよ、大丈夫」
「ほっ、よかったぁ……」
胸を撫で下ろすわたしに、男性はくすりと笑みながら、
「大丈夫だよ、例えダメになっても、弁償してくれなんて言わないからさ。そもそも歩行者とぶつかった時点で悪いのはこっちだし」
「はぁ、そうですか? まぁ、何事もなくてよかったです」
「お互いにね」
それから男性は腕時計に眼をやって、
「あ、そろそろ行くね! 本当にごめん、次は気を付けるから! キミも気を付けて帰るんだよ!」
言うが早いか、男性を強くペダルを踏みこむと、あっという間に去っていったのだった。
わたしはそんな男性の背中をぼんやり眺めながら、
「あぁ、はい、気をつけまっす……」
聞こえないであろう返事をしたのだった。