TellerNovel

テラーノベル

アプリでサクサク楽しめる

テラーノベル(Teller Novel)

タイトル、作家名、タグで検索

ストーリーを書く

ケモナアの恋愛集

一覧ページ

「ケモナアの恋愛集」のメインビジュアル

ケモナアの恋愛集

6 - 人妖戀譚 第壱話 霧雨の露

♥

10

2023年02月05日

シェアするシェアする
報告する

時は大正。異国の文化が流れ着き、生活も大きく変化する。瓦斯灯や馬車、牛すき焼きにザンギリ。今までの慣習は一変し、ハイカラな時代に突入した。

葵も多分に漏れず、洋服に袖を通すと満足そうに仕事場に向かう。葵は活動弁士である。活動弁士とは活動写真と呼ばれる音のない映像を流す間、その脇で台詞や筋書きを読み上げるものだ。元来の声の良さと表現力の高さから安定した暮らしが出来る程には稼げているが、日に3本から5本の映画をこなすため帰りは日が暮れたあとになる。今日も夜道を歩いて帰ると、灯りの灯らぬ瓦斯灯に寄りかかって泣いている綺麗な衣装の女がいた。


「失礼、いかがなされた?」


問いかけに女は答えない。ふと顔をのぞき込むと、眉目秀麗な顔立ちを彩るように頬は一筋輝いていた。


「よし、何も聞かないし応えずともいい。良ければうちで何か食べないか?」


なぜ自分でもこんな話を持ちかけたかは分からないが、何故かこのまま放ってはおけぬと思った。しばらく俯いたままの女だったが、震えながら頷いたので手を取って共に帰った。

家に着いた後でその姿を見ると、着物の袖から鱗のような肌が見えた。正味気にはなるが、何も尋ねぬといった手前、見て見ぬふりをするのが精一杯であった。


「却説、何を食べようか。食べに行くのも良いが、気が休まらないだろう?…それは我が家でも同じだろうが…」

「…いえ、ここは、落ち着きます」


「…実に美しい。」


初めて聞く声につい本音が漏れてしまう。まるで絹のように滑らかで美しい声だ。声の仕事をするからこそ分かる、喉の使い方や空気の抜き方。その全てが最も美しく聞こえるように働いていた。


「失礼、つい君の声が美しく…あぁ、それよりも名を名乗っていなかったか。私は葵。植物の葵と書き、活動弁士をやっている。」

「わ、たし、は…霧姫…と、呼ばれています」


呼ばれています、か。まるで自分の名では無いようだ。しかし呼び名が分からぬままよりは幾分マシか。


「そうか、ではそう呼ばせてもらおう。食事は何にしようか、好物や苦手はあるかい?」

「鼠は少し…ですが何でも食べます、大丈夫です」


様子がおかしい。恐らくは吉原の遊女だろう。先程の名前も源氏名であれば納得だ。すると客か店主に非道な扱いを受けていたのだろう。だとするとその腕もなにかの病か傷か。


「霧姫。お前はお前の望むことを何でも、私に伝えてくれ。私はもっと霧姫の事を知りたいんだ。無論無理強いはしないが、私は拒む事だけは絶対しない。だから安心してくれ。」


霧姫は少し頬を赤らめながら頷くばかりだった。


結局その日は白米と味噌汁に漬物という質素なものであったが、霧姫は泣きながら喜んでほおばっていた。その顔を見て締め付けられる胸の苦しみが何を訴えるか今の葵には分からなかった。



その晩、風呂を焚いて霧姫を湯に入れると帰りに買っておいた寝巻きを着せた。少し大きい服だったが喜んでいるように見え、葵も微笑ましかった。

家に余った部屋があったので霧姫の部屋とした。元々荷物は持っていなかったので取り敢えず来客用にと用意しておいた布団を敷き、座卓だけ置いた。また、電気は引いてあるが行灯も用意した。あまり良い物が用意できなかった事を詫びようとしたが、物珍しそうに色々見て回る様子が幼子のようだったので使い方を教えて回った。霧姫は凡そ文明と呼べるものに触れたことが無いようであったらしく、見るもの全てに目を輝かせていた。


「夜も耽けてきたことだ。今日はもう休もう。」

「あり、がとう…ございます、お休み、なさい」


布団の使い方まで教える羽目になるとは思わなかったが、どうにか眠れたようだ。幸い明日は仕事場が休みであるため、霧姫の準備をしよう。



2人とも眠った少しあと、用を足しに目を覚ました葵は霧姫に対して手洗い場を教えそびれた事を思い出した。帰りに覗いてみようと手洗い場に向かうと、既に霧姫の影が見えた。


「おお、霧姫。良かった…場所を教えていなかった故、困ってはいないかと…」


言いながら前を向くと、月明かりに照らされた異形の妖が立っていた。瞳は紅く、眼球は黒。吐息は凍てつき、寝間着からは見慣れぬ尻尾を覗かせていた。


「ゴめ…ん、な…サい…出て…いキまスから…虐メない…デ…」

「…美しい」


「…エ?」


葵は少々変わった美的感覚を持っていた。人ならざるものや妖の類を美とし、人よりも色情が掻き立てられるのだ。


「霧姫。頼むから出ていかないでくれ。斯様に美しい者に私は出会ったことがない。噫、何たる妖艶さ…。すまない、少し冷静になってもう一度話した方が良いかもしれない。しかし何故そこまでに美しい姿を見せなんだ。あぁ、もっと早く知っておけば…」


凄まじい勢いで話す、というより感情を垂れ流す葵に霧姫は固まっていた。今までは命を狙われるか見世物にしようとするかの2択であった人間に新たな種類がいる驚きを隠せなかった。

葵は只管にぶつぶつ言っていたが、やがて自分が用を足しに来たことを思い出すと急いで駆け込んで行ったので、霧姫はその隙に自らの部屋に戻り寝た。



目が覚めた葵は急いで霧姫の元へ向かった。しかしそこにいたのは顔立ちの整った人の娘であった。


「霧姫、その姿はどうしたのだ!」

「ど、どうと、言われましても…な、何か夢でも、ご覧になられたのでは…?」

「いいや霧姫。お前のあの美しく妖艶な姿が夢幻の類でないことはすでに判りきっている。もう一度あちらの姿になってはくれまいか。」


霧姫は少しの間狼狽えたが、やがて恥ずかしそうに目を閉じた。そして開いた瞳は昨晩と同じく、濡れた烏の羽のような黒地に曼珠沙華のような赤い瞳。やはり美しかった。


「その方がいい。少なくとも私と2人の時は本来の君のままでいてくれないか。」

「困、ります…そんナ事…誰も言わなかっ、たから…」


「ふむ、やはり世の中は美醜がズレているのだろうな。気にする事はない。ヒトとは自らの理解の範疇外であるものを排除する事で安寧を図るものだから…っと。難解な言葉は控えよう。」


葵は一呼吸おいてから霧姫の吸い込まれてしまいそうな程美しい瞳を真っ直ぐに見つめて言った。


「私は君を愛しく思う。周りになんと言われようが好きだ。」


次の瞬間、霧姫の記憶は途切れた。



目を覚ました霧姫は、未だ火照る自らの頬を触って自分の顔が異形に戻っていることに気づいた。慌てて人に化けようとしたところで部屋に葵が入ってきた。


「待て待て霧姫。君がこの家にいる限り、元の姿のままでいてもらいたい。無理をすると体にも悪いだろう?」


さりげなく背中をさする葵の手の温もりが霧姫の鼓動を早くする。


「ま、待テ…触らなイで…体が…熱イ…!」

「それは拙い、熱発か確かめねばなぁ」


少し悪戯な笑みを浮かべた葵はその額を霧姫の額に当てて熱を測るふりをしている。


「うぅむ…これは重症だ。みるみる熱くなって行くではないか」

「こ、コれは…お、お前のせいダぞ…葵!」

「おぉ!やっと名を呼んでくれたか!そうだ私は葵だ!」


葵が今まで会話してきたどの人間も、こんな風に自分の名前を呼ばれて喜んだものはいなかった。その様子を見ていると、何故か霧姫の血は身体中に巡り、葵を直視出来なくなっていった。


「ナンダ…こノ…火照りはぁ…」

「さては霧姫、恥じらってるな?」


ハズカシイ?なんダそれ…知らない…

確か前に人間たちが話していた“恋”という時にその言葉を聞いたことがあるが、まさか自分かそんな状態に陥るとは。否、ありえない。


「アリエナイ…此れなるは凍土の怪なれば!人なぞに絆されるコとなド…」


忽ち元の姿になり威嚇する霧姫に、葵は優しく語りかけた。


「郷や生い立ちなど些末なことだ。やはり霧姫は愛いなぁ。」

「あまり此の霧姫を怒らせるな…凍殺してしまうぞ…」

「幾ら霧姫の氷とて、私の胸に灯った恋の炎は消せんさ。」


その日、葵は夜まで氷漬けにされた。

この作品はいかがでしたか?

10

コメント

0

👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!

チャット小説はテラーノベルアプリをインストール
テラーノベルのスクリーンショット
テラーノベル

電車の中でも寝る前のベッドの中でもサクサク快適に。
もっと読みたい!がどんどんみつかる。
「読んで」「書いて」毎日が楽しくなる小説アプリをダウンロードしよう。

Apple StoreGoogle Play Store
本棚

ホーム

本棚

検索

ストーリーを書く
本棚

通知

本棚

本棚