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冬の早朝のことだった
左から来る車が雪に滑り私達に向かって走ってくる
ドンッ
隣にいた彼に思い切り突き飛ばされる
私は宙に舞いながら、彼か轢かれる瞬間を目の当たりにした
厭だ、死なないで、
ものすごい音と共に彼は遠くに飛ばされた
駆け寄って見ると、血だらけの彼は目を閉じていた
誰かがどこかに電話をかける声も
鳥の鳴き声も
風の音も
凡てが消えた
聞こえるのは段々と上がっていく自分の心拍数の音だけ
目の前の状況が整理出来ない
理解出来ていないのに涙が溢れる
「なんで、厭、厭だよ、嘘だよ」
現実逃避する言葉しか出てこない
段々と目の前がグラグラ揺れて見えるようになった
大きく揺らついたと同時に
私は意識を失った
目を覚ますと白い天井が見えた
体を起こすとベッドに横たわっていたことに気がつく
病院に運ばれたんだ
ボーっとする意識の中、私は何かを求め歩いた
私を見た看護師さんが何処かに連れていく
ダメ、私は彼のところに行かなきゃいけない
そう思っても体は抵抗出来ずに連れてかれるがままになっていた
ひとつの病室の前に着いた
看護師さんは、私に一礼してその場を去る
もしかして
そう思って急いで病室のドアを開ける
その部屋に横たわる男性は、彼だった
綺麗な顔に手当されたあとがあり
頭には包帯が巻かれている
そんな痛々しい姿でも、
「生きてる、」 彼が居なくならなくてよかったという安堵から体の力が一気に抜けた
彼に近づき手のひらをギュッと握る
暖かい
彼の大きくて細い指に自分の指を絡める
早く、目を開けて
そう願った時
彼のベッドから僅かに振動を感じた
彼の顔を見れば目を開けて此方を見ていた
ああ、本当に良かった
彼に伝えたいことが沢山ある
助けてくれたことへの感謝
怪我させてしまったことへの謝罪
もう同じことはしないでほしいという誓い
何から話そうと考えていると
私よりも先に彼の口が開く
『誰ですか貴方は』
一時的な記憶喪失だった
頭を強く打ったことが原因みたいだ
よくある話だと思った
それで、記憶喪失になった人の家族や大切な人と共に少しずつ記憶を取り戻す
よくある話の通り、私が記憶を取り戻す為の助けをするんだと信じて疑わなかった
なのに
『出て行ってください』
「…え、?」
彼は私が彼女だということを信じてくれなかった
医者から記憶喪失だと宣言されて病室に戻ってすぐのことだった
記憶を失っているから仕方ない
そうわかっていても
私の心はズタズタに引き裂かれたように強く傷んだ
彼に私が彼女であることを教えても
信じてくれなかった
『貴方が彼女である証拠は?』
「フョードルのスマホに写真が残ってるはず、」
『僕が記憶喪失であることはわかっていますよね?スマホに暗証番号がかかっていては僕の記憶が戻るまでスマホを開くことができません。 』
彼はそう冷たく言い放ち、私から目線をそらす
生憎、私のスマホも事故の時に壊れてしまった
でもここでめげちゃダメ
私は彼に色んな思い出話をした
どれもたのしいものばかりだったから、話している私もつい笑みが零れてしまう
だけどそんな話をしても彼は興味のなさそうに外を眺めている
彼の記憶は無い
ちゃんとそれを受け止めなきゃ
じゃなきゃ彼の記憶を取り戻すことはできないのだから
でもそれ以上に
私の精神的負担が大きかった
冷たく接してくる彼
目も合わせてくれない彼
ため息ばかりつく彼
冷たい表情で外を眺める彼
そんな彼を見るのが辛くて、私は逃げるように帰ってしまった
「もう、遅いから帰るね、。また明日も来るから」
そう云って病室の扉を開ける
『来ていただかなくてもかまいません』
振り返り彼を見るも目はずっと外に向けられている
「フョードル…」
そう呟けば、彼は私と目を合わせた
少し期待した
少し記憶を取り戻してくれたのかもと
だけどそんな簡単に記憶は戻らない
『あまり気安く僕の名前を呼ばないでください』
そう云ってまた外を向く
何も云わずに病室を出る
もしかしたら、彼の記憶は一生戻らなくて
私のことも思い出せないのかもしれない
これからくる先の未来に、私は耐えられるか不安だった
一日一日と日が過ぎていく
彼と会える時間は日に日に短くなっていく
『早く帰ってください』
『本当に僕の彼女だったんですか?』
『1人でやれるので大丈夫です』
『いつまでいるつもりですか?』
彼から云われた言葉が脳内で音声と共に何度も再生される
あれ、私って
彼女だよね?
そう疑うことが何度もあった
その度に大丈夫、と自分を安心させるも彼への不安は何も消えない
私は彼に会うのが苦痛になっていた
大事な人で、沢山話して触れたい人のはずなのに
どんどん嫌われている気がして心が持たない
今日もまた私は彼の病室に足を運ぶ
目の下に酷い隈を作り乍、フラフラした足取りで扉を開けた
____________________
自分の感情が分からなかった
記憶喪失と診断され、知りもしない女性に毎日話しかけられる
うんざりだった
僕はその女性を見る度に、彼女が笑う度に
胸が苦しくてどうしようもなかった
この気持ちはなんなのか
分からなかった
毎日毎日彼女が来る
彼女が居てもあまりいい気はしなく
彼女を追い出してもいい気はしなかった
むしろ、彼女へ向けるわからない感情が増した気がした
疲れた
もういっそのこと殺してしまおうか
そうすれば彼女を見ることも考えることもなくなるのだから
致死量の毒の入った飲み物を準備し彼女が来るのを待った
彼女が来た
いつもみたいに笑っている
苦しい、ずっとこの辛い感情を消したかった
さっさとこの飲み物を渡してしまおう
彼女は僕のことを信頼しているように見えたので疑わずに飲むだろう
だから大丈夫だ
そうわかっているのに
身体は動かなかった
そして今まで以上に苦しい感情が押し寄せた
彼女を殺すことを考えていた度に、苦く不味いこの気持ちが出てくる
ダメだ、今は出来ない
そう考えて彼女に渡すはずだった飲み物をしまい直すと
その感情が薄らいだ
まさか僕は彼女を殺したくないのか?
自分を苦しめるのに何故
凡てが分からなくなった
無理矢理彼女を追い出して一人きりの時間を確保する
何も考えたくない
ボーっとしていると、スマホから着信音が聞こえた
スマホをじっと見つめた
何か、懐かしい感覚を感じてスマホをやたらに弄っていると、暗証番号を入力する場面になった
僕は今この瞬間にパスワードを思い出した
210119
そう打ち込んでみると、ロックが解除されホーム画面が見えた
なんとなくアルバムをタップしてみると、
彼女との写真がたくさん、いや、隠し撮りが何百枚もあった
それを見てあの女性は本当に僕の彼女なんだと確信した
そして、なんとなく一番最初に撮ったツーショットの写真を見てみた
『…………』
それを見てわかった
この感情が、どういうものなのかを
____________________
今日もまた彼の様子を見に来た
病室の前に立つ
開ければこれから地獄が始まる
好きな人に冷たくされ続けるということが
彼が記憶を失ってから十数日
記憶が戻る
なんて良い妄想をしないようにして扉を開ける
どんなに自分の中でこうなって欲しいと願っても
現実ではそう簡単にそうならないのだから
彼はいつも通り身体だけを起こして外を見つめていた
また今日も無視されるのか
そう思いながら荷物を置いて椅子に座った
おはよう
そうやって声を掛けたかったのに声が出せない
たった4文字の言葉なのに
また無視されるか冷たい言葉をかけられるか
今回はどっちなのだろうか
出来れば無視された方がまだマシだなと思った
そして口を開こうとした
『おはようございます』
え、?
彼が挨拶をしてくれた、?
聞き間違いかと思って考え直す
けど、確かに彼の声だった
『記憶が無くなってから、あなたと接する時の感情がなんなのか分かりませんでした』
彼は話し始めた
今まで自分から話してくれたことはなかった
だから、私は彼の言葉にしっかり頷きながら話を聞いた
『貴方が来ると苦しかった。貴方が去っても苦しかった』
『いっその事殺してしまえばいいとまで考えました』
「……」
『ですが、昨日分かりました。僕があなたに向ける感情が何なのかを』
彼は私を見つめた
前と同じように、優しい顔で、私の目をしっかりと見てくれた
彼はスマホを取り出した
そして云った
『この写真を見てください』
私はこの写真をよく知っている
付き合った日に撮った写真だった
幸せそうに笑っているふたりを見れば、少し泣きそうになる
その写真には右下に小さく数字が書かれていた
210119
付き合った記念日だ
『僕がこのパスワードを打ったら、スマホが初めて開きました』
泣きそうになった
その言葉を信じてもいいのだろうか
もう勘違いだったということはないだろうか
『僕が貴方に向けていた感情は恋情です。あなたの事が愛おしすぎて今まで苦しかったようです』
「ほんとにばか、」
そう云い乍私は彼に抱きつく
彼も強く私のことを抱きしめてくれた
「思い出してくれてありがとう、大好きだよ」
『ありがとうございます。僕も、貴方のことを愛していますよ』
私よりも少し重い愛の言葉を囁いてくれた彼
いつまでもこの幸せが続きますように