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輝夜の怒りに身を任せた一撃で、リッパーは白目を剥いて気絶し、それと同時に影から這い出てきたスケルトンもバラバラに崩れてただの骨へ戻る。
「テメェ、何一発で伸びてんだ! さっさと起きろ雑魚が!」
《えっ……?》
《怖……》
《やば……》
『どうどう、口が悪くなってるわよ』
「……あ」
ナディに止められ、ハッと我に帰った輝夜は気まずそうにそう言う。
『ダンジョン内では冷静にって言いながら、殴られたらすぐにカッとなる癖、いい加減直しなさいよ』
「う……ごめん、つい」
ナディの小言に、輝夜は顔を赤らめ、俯きながらそう言う。
「なんや、とんだ猫被りやな」
氷室はへらへらと笑いながらリッパーの手を後ろに回してロープできつく縛り、足も同様にロープで縛ると、片手で軽々しく持ち上げて肩に担ぐ。
「いや、違っ……あれが本性ってわけじゃなくて……ほら、怒ったら口と態度と品性が悪くなるだけで、普段の輝夜さんは温厚というか、どっちかって言うとさっきのが猫を被ってるみたいな」
「別になんでもええて、それよりはよ戻ろうや」
早口で捲し立てる輝夜の言い訳のような説明を、興味ないとバッサリ一蹴し、指で上を差して地上に戻ろうと言う。
「……あ、はい。そうだね」
輝夜はミノタウロスの死体を持ち上げながら頷いた。
目の前にボス部屋があるものの、二人はダンジョン攻略を終わりにして地上へと戻る。
入ってきたゲートを通って地上まで戻ると、何台ものパトカーとイエローテープで周囲は封鎖されており、マスコミや野次馬が押し寄せていた。
時間は夜の十一時を回っており、カラフルなネオンの光に混ざって、いくつものカメラのフラッシュが輝夜達に向けられる。
「……わぁお」
その光景を見た輝夜は、再びダンジョンの中へと入ろうとするも、氷室に肩を掴まれて止められる。
「逃げたい気持ちはわかる。ワイも逃げたい」
プロハンターになって以降、マスコミに追いかけられる経験も少なからずしている氷室でさえ、辟易してしまうほどの多さであった。
「じゃあ一緒に逃げようよ」
「アホぬかせ」
氷室は輝夜の誘いを一蹴し、リッパーの身柄を近くの警官に引き渡す。
「氷室先輩! なんてことしてくれるんですか!?」
「夕香!? なんでここに居んねん!?」
一人の女性が氷室に向かって走ってくる。
栗色のショートヘアーに、髪と同じ色の瞳の活発そうな雰囲気の女性。
彼女の名は如月夕香
きさらぎゆうか
。プロのハンターであり、氷室の後輩に当たる人物である。
「先輩の後始末ですよ! あ、こんばんわ。そちらは朱月輝夜さんですね」
夕香は輝夜を見ると、深々と頭を下げる。
「ここだと目立つので、先輩と一緒に着いてきてもらえませんか?」
輝夜が挨拶を返す間もなく、夕香は輝夜と氷室の手を取り、人目を避けるようにして近くのパトカーまで案内する。
「とりあえず、このパトカーに乗ってください。ミノタウロスはあとでお届けします」
後部座席のドアを開け、乗るように促す。
氷室と輝夜は言われるがまま、パトカーに乗り込む。
クラウンパトカーの乗り心地は、予想以上に良いもので、その辺のタクシーよりもくつろげるものだった。
「あ、輝夜さん。配信は切っておいてください」
夕香はドアを締める前に、思い出したように輝夜にそう言う。
「どうやって切れば良いの?」
「あー……ちょっとお借りして良いですか?」
輝夜からスマホを受け取った夕香は、慣れた手付きで操作して、配信を終了させてからスマホを返す。
夕香は後部座席のドアを閉めて、助手席に乗り込むと、スーツを着た運転手に指示を出してパトカーを発進させる。
向かった先は内閣府庁舎。そこで車を降りて簡単な身体検査を行ってから庁舎へと入る。夕香に案内され、6階のとある一室に向かう。
夕香をノックし、返事があってからドアをあける。先に輝夜が入室し、その後に氷室が続き、最後に夕香が入室してドアを閉める。
部屋の中央には置かれたガラスのテーブルが置かれており、その両側に置かれた本革のソファが置かれている。
入り口から向かって右側のソファには、初老の男性が座っていた。
「はじめまして、私は内閣情報局ダンジョン調査課の藤堂慶一郎と申します。さぁ、どうぞ座ってください。夕香君、何か飲み物を用意してくれないか」
藤堂と名乗った男性は輝夜に視線を向けると、にこやかに笑って対面のソファを手で差す。
「朱月輝夜です。輝夜でいいです」
輝夜は軽く一礼してから、藤堂の対面に腰を下ろす。
氷室はどことなく落ち着かない様子でドアの傍に立ったまま動かない。
「では輝夜さん……えーと、話したい事が多くて、何から話せばいいのやら」
一呼吸おいてから藤堂が話を切り出そうとするも、話すべき事項が多く何から話せば良いか迷う。
「課長、まずは賠償金の話からしたらどうですか?」
夕香はお茶の注がれたティーカップをテーブルの上に置きながら、そう助言をする。
賠償金という言葉に輝夜の肩がビクッと跳ね上がる。
「ああ、そうですね。輝夜さん、今回の件は事故として処理しましたので、輝夜さんが刑事責任に問われることはありません」
その言葉を聞いて、輝夜はほっと胸を撫で下ろす。
「百足旅団について公になってしまったのは痛手ですが、そもそも配信関係なく、関係者以外に機密を漏らした氷室の責任です」
藤堂は鋭い目付きで氷室を睨み付ける。
氷室はたじたじになり、目線を明後日の方向に向ける。
「まぁ、それはさておき……そろそろ本題に入りたいのですが、お連れの妖精はどちらに?」
ナディの姿を探しているのか、周囲を見回す藤堂。
「ナディならここに居ますよ」
輝夜は、自分の肩に止まっているナディを指差す。
「おぉ? 一体いつからそこに?」
藤堂は先程まではいなかった筈のナディを見て、一体どこから出てきたのかと目を丸くする。
『最初から居たわよ。私の方から声をかけたり、誰かがここに私がいると教えない限りは、妖精族を認識するのは難しいのよ。まぁカメラに映り込んだら誰でも認識できるけど』
「……もしや、氷室が配信に気付かなかったのは、妖精であるナディさんが撮影をしていたからですか」
「それは……そうじゃないですかね」
リッパーはナディを認識していなかった為に配信に気づかなかったのだが、氷室の場合は、自己紹介をした際にナディの事を紹介している。
その時点で氷室はナディを認識しているため、配信をしてる事に気付かなかったのは、ただ単にスマホで配信をしていると思わなかっただけである。
輝夜はそう説明しようとしたが、氷室の方から助けを求める視線を感じ、彼のためにそういう事にしておく。
「なるほど、事情は理解しました。それで、本題なのですが……二人は少し席を外してください」
藤堂はティーカップを手に取り、一口飲んで舌を湿らせてから話を続ける。
夕香と氷室の二人は、黙って部屋を出る。
「輝夜さん。少しあなたについて調べさせていただきました」
室内に二人きりになったのを確認した藤堂は、真剣な表情で輝夜をまっすぐと見る。
「朱月輝夜という女性は、この国には存在していない。ですが、都内に同姓同名の男性、企業とのプロ契約はしていないものの、ハンター家業で生計を立てている」
「そんな回りくどい聞き方しなくても、藤堂さんの考えてる通り、僕は元々男です」
輝夜はあっさりと自分が男であったという事を認める。
「やはりそうでしたか。まぁ、ダンジョンの出現は人間にも少なからず影響を与えています。その最たる例が魔力です。ダンジョンが現れる前の世界では魔力なんて力は、創作の中にしか出てこないものでしたから」
輝夜の話を聞いても藤堂はさほど驚く事はなく、そういう事もあるのだろうと納得する。
「しかし、性別が変わっただけでも大変だというのに、加えて世間からの注目度もかなり高い。これまで通りの生活を送るのは難しいでしょう」
「そうですね。渋谷で痛感しました」
藤堂の言葉に、輝夜は苦笑しながら頷く。
警察が周囲を封鎖していなければ、マスコミや野次馬に囲まれて、今ごろは渋谷でサイン責めに質問責めと困窮していた事だろう。
「そこで、我々が輝夜さんの生活をサポートさせて頂きます。その場合、輝夜さんの正体について、氷室と如月の二人を含めて、ごく一部の人間が知る事になるのはご了承ください」
「構いません。そこまで隠したいわけではないですから……それより、その対価はなんですか?」
輝夜にとっては願ってもない申し出だが、何の見返りも無しに、このような提案をするはずはない。
「話が早くて助かります。二人とも、部屋に戻ってください」
藤堂は石を立つとドアを開けて部屋の前で待機していた二人に戻るように言うと、再びソファーに腰を下ろすと、お茶を一口飲んでから説明を始める。
「これは機密情報ですので、くれぐれも内密にお願いしたいのですが、以前よりダンジョン内のモンスターの行動が活発になりつつあり、スタンピードが危惧されております」
スタンピードとは、ダンジョン内でモンスターが増殖しすぎた結果、ゲートを通って街中にモンスターが溢れ出してしまう現象である。
ハンターではない一般人が多く生活している街中に、突然凶悪なモンスターが現れれば、どれほどの犠牲が出るか想像に難くない。
「それに加えて百足旅団が公になったことを受け、新たにハンター及びダンジョン対策室が設置される運びとなりました」
「メンバーは政府とプロ契約を交わしたハンターを中心に編成し、そこの氷室が責任者を務めます」
「えっ、それ大丈夫?」
氷室が責任者と聞いた輝夜は、思わず彼の方を見てそう言う。
「おい待て。なんやワイじゃ不服か?」
「不服っていうか、ちゃんとやれるか不安」
渋谷ダンジョンで行動を共にしただけの短い付き合いだが、輝夜は氷室が責任者としてチームを引っ張る姿がどうしてもイメージすることが出来ず、どうしても肝心なところで、とんでもないミスをやらかしそうでならないと感じる。
「確かにやらかしてくれましたが、こう見えてハンターとしての力量は国内でも一、二を争う程ですし、他のプロハンターからの信頼も厚いので、彼以上の適任はいないんですよ」
だからこれだけの騒動になってもクビに出来ないのだが……と藤堂は内心で付け加える。
「それに、有事には民間企業と契約しているプロハンターにも協力を要請しますから大丈夫です」
「なら安心ですね」
「お前ホンマ可愛くないやっちゃな」
「さて、少し話がそれましたが、輝夜さんにはそこに籍を置いていただきたい」
藤堂の言葉に、輝夜は渋い表情をする。
「……ハンターとして出来る限りの協力はしますが、僕はフリーで気楽にやる方が性にあってるので、組織に所属するのはちょっと」
自由にダンジョンに潜り、モンスターを倒して、暇なときは家でゴロゴロと過ごす。
好きな時に好きな事ができる。そんな生活を輝夜は大事に思っている。
「その点についてはご心配なく。籍を置くと言いましたが、正直な話、形式上所属しているだけで良いんです」
藤堂ら政府にとって、重要なのは輝夜が政府に所属しているという事実のみ。
トッププロ級の戦闘力があり、回復魔法を扱えて、モンスターの生態に詳しいナディを使役して、日本のみならず世界からの注目度が最も高いハンターである輝夜。
彼女が政府直属になれば、百足旅団の一件で現政権に向けられた怒りを抑えると共に、対外的な交渉のカードにもなる。
「輝夜さんはこれまで通り、ハンターとしての活動を続けてください。出来れば、有事には力を貸していただきたいです」
「それくらいなら構いません」
「それともう一つ、こちらはナディさんへのお願いなのですが」
藤堂はナディの方に視線を向けてそう言う。
『あら、私にもあるのね』
「ナディさんにダンジョンの研究に協力をお願いしたいのです」
『研究?』
「ええ、ダンジョンの調査は、現状であまり進んでいません。ダンジョンの危険性もさることながら、生息している生物も多く生態系もダンジョン毎に異なります。また、地球上に生息している生物の法則とは逸脱しており、生物学の常識が通用しません」
輝夜は深海と似たようなものかと考えながら、藤堂の説明を聞く。
「ですが、輝夜さんのお連れするナディさんは、ダンジョンの生物についてかなり詳しい。その知識を我々に貸しては頂けませんか?」
『面倒くさいから嫌だわ』
藤堂の頼みを一瞬で切り捨てるナディ。
「ダンジョンの解明は日本の……いや、世界の利益になる事なのです。そう仰らず、お願いできませんか?」
『でも世界の利益とか私に関係ないもの。私は自堕落に面白おかしく過ごすのが好きなの。そんな面倒なのは嫌よ』
食い下がる藤堂だったが、ナディはそっぽを向いて断る。
「そうですか。少し残念ですが仕方ありませんね」
これ以上はナディの機嫌を損ねてしまうと考えた藤堂は、おとなしく引き下がる。
「ナディ、これからお世話になる相手だし、少しくらい協力してあげられない?」
断るにしても、断り方があるだろうと思った輝夜はナディを嗜めるようにそう言う。
「いえ、大丈夫ですよ。妖精族は気に入った相手以外には素っ気ないという話は私も知っていますので」
藤堂は薄ら笑いを浮かべて、気を使わないように言う。
「それよりも、配信活動はこれからも続けますか?」
輝夜には今後も配信活動を続けて貰いたい。
輝夜の知名度が上がること自体が政府にとって利益であるだけでなく、彼女の動向を把握することができ、尚且つ配信のコメントでモンスターの生態やダンジョンの特産品などを質問すれば、ナディが答えてくれる可能性がある。
「どうでしょうね」
『私は意外と気に入ったわ。次はコメントも読んでみたいわね』
輝夜としては今回の一件で配信の大変さを思い知ったことで、今後続けていくつもりはなかったが、ナディの方は普段、人から認識されない分、配信で注目を浴びるのが楽しいのか、かなり乗り気である。
「……だそうなので、続けると思いますよ」
ナディが楽しんでいるならそれで良いかと思った輝夜は、苦笑しながらそう答える。
「では、配信面でのサポートもこちらで致しましょう。必要な機材はこちらで揃えますし、必要な経費も負担します」
「それは……ありがとうございます」
わざわざそんな事までしてくれるのかと、輝夜は少し申し訳ない気持ちになりながらも、配信に関しては何の知識もないため、ありがたく世話になることにする。
「輝夜さんの立場としては、なにぶん前例がないので、どういう扱いになるか明言はできませんが……政府公認のダンジョンライバーという事になるでしょう」
政府とプロ契約を結んだハンターは、ライブ配信を行う事は許されない。
通危険な下層へと潜る事が多く、ダンジョン内部の調査やモンスターの捕獲など、通常ハンターがやらない仕事を行うので、その情報が外部に流出しないようにするためである。
なので政府公認のダンジョンライバーは日本初で極めて異例な措置である。
「諸々の細かい手続き等はこちらで済ませておきます。今日は夜も遅いですし、後日改めて連絡しますので、今日のところはこちらで用意した住まいでお休みになってください……夕香君、後は頼むよ」
「はい、それじゃあ行きましょう輝夜さん」
夕香に連れられて輝夜は部屋を出る。
「さて、次は君の番です氷室君。そこに直りなさい」
その際、部屋の中から藤堂がそう言っているのが聞こえてくる。
輝夜は中の様子が気になったが、先輩の名誉の為に盗み聞きはやめようという夕香に背中を押され、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にする。