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自宅の――応接間へと亜美は案内されていた。
「紅茶で宜しかったですか?」
緊張気味にソファーへと腰掛けている亜美へ、幸人はガラステーブルの上に二つのカップをそっと置いた。
「いえっ――お構い無く……」
そして自身も亜美の対面へと腰を降ろす。
「そんなに緊張なさらないで。さあ冷めない内にどうぞ。このラベンダーティーは、心を落ち着かせる作用がありますので」
まるで全てを見透かすように、そう亜美へ勧めていた。
「あっ……はい、頂きます」
亜美が二人っきりの状況を指定してまで、何を言いたいのか幸人には大方分かっていた。それはとても言い出し難いであろう事も。
だから先ずは、彼女に落ち着いて貰いたかった――
「美味しい……」
手に取ったカップを一口啜り、亜美は表情を綻ばせた。その暖かさと香りは、心なしか先程までの緊張の糸がゆっくりと解れていく気がした。
「それは良かった」
そう穏やかな表情を見せる幸人に、亜美は改めて思わされる。
緊張は解れても、幸人に対する胸の高鳴りは止められない。
かつての殺人者として疑った鼓動ではなく、それは明らかに男性としての意識。
だが今回、はっきりさせねばならない。その為のこの場なのだ。
亜美は思う――“これが愛の告白だったら、どんなによかっただろう”と。
「さて……お話とは? 私で良ければ何なりと」
亜美が落ち着いたのを見て取り、幸人は穏やかに促した。
彼女が何を言いたいのかは分かっている。それを反故にするつもりもない。
「……亜美さん。此処でのお話は決して他言するつもりはありません。他には知られたくない……重要なお話なのでしょう?」
どんな内容であろうと、亜美の話を真摯に受け止める――幸人なりの度量の顕れだった。
「幸人先生……いえ、幸人さん」
亜美の腹も決まった。他人行儀ではなく、一人の男性としてその名を呼び、しっかりと幸人を見据えて――
「幸人さんは……狂座を知っていますか?」
その禁句を口にしていた。
「ええ勿論。有名な都市伝説ですからね」
「では私が狂座の事を調べている事も?」
「……貴女の記事も拝見しています。実に興味深い内容でした」
亜美へ問い返す幸人は、別に惚けている訳ではない。
記事に周知の事実が在るのだから、ありのままを答えているだけ。
亜美としても今更分かりきっている事を、わざわざ確認させたい訳ではない。
「それでですね……。あっ――」
ただ次の一声、本来の真意を口にするのは、どうしても憚れた。
もしそれを口にしてしまえば、これまでの関係が崩れてしまうかもしれない。
別段付き合っている訳ではなくとも、彼に好意を持った自分に気付いてしまった以上、単純に拒絶される事への恐れ。
「っ…………」
それが亜美を再び固まらせてしまった。
「大丈夫ですから」
固まってしまった亜美へ掛ける、幸人の一言。
まるで全てを受け入れる――と。
幸人の奥深さに、不思議な程安心感を抱いた亜美は意を決した――
“彼になら全てを話せる”
「では単刀直入に聞きます……。幸人さんは――“狂座”ですか?」
――遂に言ってしまった。気まずい雰囲気、暫しの沈黙が支配する。
「…………」
今になって亜美は後悔の念に苛まされた。
――彼はどう思ったのだろうか。考えればこれ程失礼な事は無い。軽蔑されたとしても、それは致し方無いだろう。
今更後悔しても遅い――幸人の沈黙が答と受け取った亜美は、すっかりと萎縮してしまい、まともに幸人の顔色を伺う事が出来ず俯いてしまっていた。
「ふふ……」
「――っ!?」
沈黙を破って返ってきたのは含み笑い。亜美は思わずびくついたが、幸人のそれは嘲笑う感じではない。
「本当に単刀直入ですね……。そんな真っ直ぐな所、好きですよ」
ここまで正直に投げ掛けられるとは思っていなかったのだろう。幸人のそれは亜美に対する感心、好意の顕れだった。
「そっ……そんな事! いえいえっ――」
対する亜美はすっかりと取り乱してしまい、言動が支離滅裂だ。既に顔も真っ赤に染まっている。
「本当ですよ。少し落ち着きましょうか? はい、深呼吸――」
落ち着かせる為に、幸人は俯いてしまった亜美の頭に掌を乗せて撫でる――どう見ても逆効果な気もするが、その大きくて暖かな掌に、亜美は不思議と落ち着いていくのを感じた。
「……落ち着きましたか?」
「はい……」
その掌に重ね合わせるように自分の掌を持っていき、亜美はやはり実感する。
「それは良かった」
笑顔で頷きながらゆっくりと身を退き、対面のソファーへと腰掛ける幸人を見て思う。
彼の事が好きなのだ――と。
「幸人さん……」
例えそれが許されざる恋――“彼が殺人者であったとしても”。
だが今は状況が特殊だ。
狂座である事、イコール殺人者である事を問いただしたのだ。
「私が狂座――」
幸人はそのすばり図星を指摘されたにも関わらず、動揺する事無く呟いた。
「亜美さんの事です。きっと確信があってそう思ったのでしょう?」
「そっ……はい……」
分かっていた。それは最初から気付いていたとはいえ、何処か信じたくない節があった。
幸人の言葉は否定ではなく、暗に認めたという事。
己が狂座の――“殺人者”で在る事を。
「なら貴女がそう思い、そう感じた事が全てでしょう」
何処か引っ掛かる物言いではあったが、本人が認めたのならそれが真実。どんな酷な事でも受け止めねばならない。
「否定しないんですね……」
それでも亜美の絞り出された呟きからは、哀愁があった。
「ええ……」
幸人は惚けるつもりも、巌に否定する気もなかった。
元来嘘を付くのが苦手な性質もあるが、己が狂座に携わるこの代行に、信念と誇りがあるから。
何より亜美の本気の意向には、こちらも本気で返さねばならない――と。
「…………」
「…………」
室内に再びの沈黙が訪れる。
幸人の内は明かした。後は――亜美の内のみ。
「亜美さん……貴女は私を悪として、絶対に許せないでしょう」
拒絶されても軽蔑されてもいい。だが彼女をこれ以上関わらせたくない。
幸人のそれは自虐でもあり、亜美の事を思っての意思表示でもある。
「……殺人では何も解決にはなりませんし、貴方のしている事は許されないと思います。でも私は……公にしたいとか、そんな事の為に狂座を――貴方を追っている訳じゃないんです」
返ってきた亜美の答は予想通りながらも、何処か読めなかった。
「それはどういう……」
思わず言葉も詰まる。
これは意外だった。利己的や、ましてや正義感で動いている訳ではない事は感づいてはいたが。
“じゃあ何の為に?”
殺人を生業とする狂座を追う事、即ち危険である事も顧みず――
「幸人さん……」
はっきりと幸人を見据えて。その瞳に迷いは無い。
「聞いてくれますか? 私が……狂座を追い続けている理由を――」
そしてゆっくりと語り始めた。
これまで誰にも明かす事のなかった、その心の内を――。