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キャプテンは驚き飛び上がった。
同じように全裸の勇信も飛び上がった。
全裸の勇信は目をかっぴらき、キャプテンを凝視した。それからゆっくりと自分が裸体であるのを確認した。
流しには血が滴り落ちている。
「俺がそこにいる……ああ、裸! ってことは、俺は増殖したのか? まさかこんなことがあるなんて……キャベツを切らなきゃならないじゃないか」
「はあ? 何言ってんだ」
「キャベツを切らなきゃならないって言っただけだ。なぜなら俺はキャベツが切りたいから」
「ちょっと待て。一旦落ち着け。状況を整理しよう」
「状況はすでに整理できている。俺はキャプテンから増殖した新しい吾妻勇信。全裸なんだから一目瞭然だろ? それを踏まえた上で、キャベツを切りたいという次の話題に移っている」
「そのキテレツな発言……またクソみたいな属性の俺の誕生か!?」
キャプテンは急激な頭痛に見舞われ、こめかみをぐりぐりと押さえた。
「属性なんてどうでもいい。残ったキャベツを切り終えなきゃならない。もうすぐ他の俺が朝食を食べにやってきてしまうから」
「まだキャベツの話を続けるつもりか? おまえ、まさか痛みを感じない属性か?」
キャプテンが水道で手を洗うと、新しい勇信は自分の指を見た。
「あ……うう。おい、めちゃくちゃ痛いじゃないか?」
「なんだ? 物事の順序が狂う属性か? あるいは痛みがあとからやってくる属性か?」
「いや、わかってるんだ全部……。ただそれよりもキャベツを切りたい……。違う、まずは服を着なきゃ」
「そうしてくれ……。おまえがクローゼットにいってる間に、俺は薬箱を持ってくる」
キャプテンはティッシュで指を拭いてからキッチンを離れた。
「俺はもうキャプテンじゃないんだな……。たしかに奇妙な感覚だ。今心の中心にあるのは、キャベツを切りたいという思いと、とてつもない解放感。俺はついに引きこもりから解放されたんだ! あぁ、これで心おきなくマーケットにも行けるしキャベツも切れる!」
まだ名をもたない勇信がひとりそうつぶやき、クローゼットへと向かった。
朝日がリビングルームを明るく照らしていた。
まな板の上のキャベツは血にまみれ、皿に乗る目玉焼きが寂しく円を描いた。
目を覚ましたジョーとあまのじゃくが、ほぼ同時にリビングルームへとやってきた。
ふたりは油の匂いを感じ、キッチンへと近づいた。
血にまみれた包丁とキャベツ。
行方不明のキャプテン。
ジョーとあまのじゃくは、とっさに警戒態勢に入った。
「バスルームの方向に異常なし」
「トレーニングルームの方向に異常なし」
ジョーは血まみれの包丁を、あまのじゃくはキャベツをもって侵入者に備えている。
「おまえら何やってんだ?」
薬箱を手にもったキャプテンが現れた。
「この残酷なキッチンはどういうことだ」
「この残酷なキッチンはどういうことだ」
「気にするな。少し指を切っただけだ」
キャプテンが無事なのを知ったふたりは安堵のため息をついた。
「おお、ふたりとも起きたか。これからは俺がキッチンの支配者となるから、そう理解しておくんだ」
ドレスルームから現れた別の勇信は、レストランシェフの格好をしていた。
「また増えたのか……」
「ああ、増えた。でも心配するな。もしかすると俺は、吾妻勇信にとってかけがえのない存在になるかもしれない」
「なんだこいつは」
新しい勇信は薬箱を開け、指の止血をはじめた。
「俺はシェフ。料理属性をもつ吾妻勇信だ。趣味はキャベツの千切り。夢はいっぱしの料理人になること。たぶん」
「詳しく説明してくれ」「詳しく説明してくれ」「詳しく説明してくれ」
残りの3人が同時に言った。
「朝食のためのキャベツを切っていたところ、いきなり全裸になった。まるで一瞬にして服が溶けてしまったようにな。そして自分が増殖したのを知ってからは、指の痛みも忘れて無性にキャベツが切りたくなった。朝食を作り終えなければという、強い責任感が胸にあったんだ」
「おい、キャプテン。こいつは何を言ってるんだ? なぜキャベツが切りたい!?」
ジョーが言うと、シェフはジョーの上腕二頭筋を指さした。
「ジョー。ならおまえはなぜ、片手にダンベルをもっている?」
「いつどこにいてもトレーニングを怠るわけにはいかないからな。俺はまだまだ強くなりたい」
「同じことだ。俺はさっさと料理を覚えたい。他の俺たちのために」
「いや、指切ったんだろ? なのになんでキャベツが切りたいんだ」
「本能、いや……これこそがまさに属性なのだろう。俺たちが健康でいるために、料理は不可欠だ。俺の切なる願いは、おまえたちの健康を守ること。誰ひとりとして病院送りにしない!」
「病気は避けるべきなのは間違ってないが……」
「もし病気で運ばれでもしてみろ。想像するだけでも恐ろしいことになる。たぶん母さんが第一発見者になるだろう。テーブルの上にはカップ麺が4つ転がり、全員が同じ体勢で死んでいる。そして世界中にニュースが流れるんだ。吾妻勇信はクローン人間であると。世間は吾妻グループを悪魔の集団とでも言うだろう」
「いや、おそらく政府は公表しないだろうさ。俺たちの死体は秘密裏に科学者の検体にされて、細胞単位まで研究されるだけだ」
「だから俺が生まれたんじゃないのか?」とシェフが言った。「俺たちに訪れるかもしれない危機。それを回避するために生まれたんだ。なぜ俺がキャベツの千切りにこだわるのか、もうわかったろ?」
「病院送りを避け、健康に生きるためか」
静かに話を聞いていたキャプテンが挙手をした。
「ここ最近、ずっと食事のことばかり考えていた。そうしてついにキッチンに立った矢先に、シェフが現れた」
「指を切った衝撃が原因か?」
「それはきっかけにすぎない。おそらく心の中で温めた考えが暴発して、新しい吾妻勇信となって外部に放たれたんだと思う」
「要するに、思考が具現化されたってわけか。それぞれが独自の属性をもつのも、そのせいかもしれないな」
「勇太兄さんが亡くなったあと、俺はもっと強くならなければと思った。その結果、こうして俺ジョーが生まれたように」
ジョーはダンベルを持ちあげながら言った。
「だとすると、俺は何だ? なんで真逆の行動ばかりしたくなるんだ?」
あまのじゃくは自分を指さしながら言った。
「兄が死んだと信じたくなかった……」
「兄の死を否定したかった……」
「兄の死を認めたくなかった……」
表現は違えど、それぞれが同じことを口にした。
「そうかもしれないな……。現に兄さんが死んだなんて思っていないわけだし」
「その気持ちはわかるが、兄さんは死んだ。それは認めるべきだ」
「いや、死んでない。死んだけど、死んでない……!」
あまのじゃくは苦渋の表情を浮かべた。
「おまえ、ただのバカじゃなかったんだな」
シェフがあまのじゃくの肩をぽんぽんと叩いた。
「俺も今知った」
「とにかくこれからおまえらの健康は俺に任せておけ。それと万が一のために、毎日の食事はそれぞれ別のものを提供する。飛行機の機長と副機長が異なる食事を摂るのと同じように」
残る3人の勇信は、黙ってシェフを見つめた。
シェフは彼らの言葉ない声援を理解し、こくりとうなずいた。
「もう朝だ。食事の用意をしないと」
「朝食のメニューは?」
本邸での食事ができないキャプテンが真顔で聞いた。
「俺の名はシェフ。しかしまだ卵焼きしか作れない」
「……だな。しっかり食べさせてもらうよ。あと分厚いキャベツのサラダも」
「んじゃ俺は本邸に行って食べてくるよ」とあまのじゃくが言った。「ああ、それとキャプテン。今から言うことをちゃんと聞いてくれ」
「なんだ」
「俺は朝から決して食べ過ぎたりしない。今日はバゲットとローストビーフに、12種類の野菜サラダ。そして俺はスープを飲むかどうかを悩んでいる。実際に本物を目にしてから決めるべきだろう。ただ選択肢が多すぎるのも問題だから、悩みすぎには気をつけたほうがいいよな? ダメだ、よだれが――」
「おまえをいつか吸収してやるからな……」
「吸収なんてできんのか?」
「無理だろうな……」
「そっか、じゃ行ってくる」
キャプテンの怒りをよそに、あまのじゃくは本邸へと向かった。