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べチッ。
私の身体は脚立の上から床へ落ちた。
その痛みで八度目の【時戻り】が始まったのだと感じた。
父から逃げられた。
前の【時戻り】はなかったことになるのだから。
私は全身を打ち付けた痛みを感じつつ、安堵した。
(今回は、危なかったわ……)
あと一日遅ければ、私は祖国へ帰るところだった。
オリバーの死亡を知った直後、私は彼の私室まで走り、隠し部屋に飛び込んだ。
そして、青白く光る水晶に命じ、八度目の【時戻り】をしたのだ。
「ーーおい、聞いてるのか、ブス!!」
安堵するのもつかの間、頭上でブルーノが私に悪態をついている。それは、私が立ち上がるまで続くだろう。
「起きろっ!」
「っ!」
いつまでもうつ伏せで倒れていたものだから、ブルーノが私の脇腹を蹴った。
私はうつ伏せから横向きになり、ブルーノに蹴られた部分を両手でおさえ、激痛にもがく。
痛みで声が出せない。
早く、ブルーノになにか言わなきゃ、でないとまた暴力を振るわれる。
「も、もうしわけーー」
激痛に耐えながら振り絞った声は頼りなく、ブルーノの怒りを沈められなかった。
「このグズ、のろま! お前はソルテラ伯爵家のメイドに相応しくない!!」
「う、うう……」
「屋敷をうろちょろして、目障りなんだよ! メイド辞めろよ、屋敷から出ていけ!!」
「……」
ブルーノにここまで罵倒されたのは初めてだ。
きっと、これがブルーノの本音。
ブルーノは嘘をつき、素性を隠している私を拒絶している。
ブルーノはオリバーの害になる人物を排除する存在。そうすることで、心優しく、人見知りなオリバーを邪な感情をもってオリバー近づこうとする人たちから護っているのだ。ブルーノは私をその一人だと思っている。
何度も【時戻り】をして、ブルーノのことを理解したつもりだが、相手は私のことをわかってはくれない。
私とブルーノは相容れない存在。水と油のような関係なのだ。
「ブルーノ! 何やってるんだ!!」
通りかかったオリバーがブルーノを叱る。
オリバーがここを通ることは知っていたけど、そこまで経っていたのか。
ブルーノは舌打ちをし、苛立ちを隠さない。
私はよろよろと、痛みをこらえ、その場に立った。
「ブルーノさまは、仕事ができない私を指導していたのです」
「エレノア! 今はブルーノを庇わなくていいから」
「このブスが、俺の前にいたからムカついたんだ」
「……そんな下らない理由で、お前はエレノアを虐めたのか?」
オリバーは怒っている。
私が場をおさめるために暴力を振るったブルーノを庇っても、発言を遮られた。
折れた脚立、苦痛な表情を浮かべてうずくまっている私を見られているのだ。私が何を言ってもブルーノが悪いのは明らかだ。
しかも、ブルーノが私に危害を加えた理由が個人の気まぐれだというのだからタチが悪い。
「エレノアは僕のメイドだ。僕が雇うと決めた」
「その仕事には俺の世話もあるだろ。さっきそいつが言ってたように、俺は指導をしたんだ」
「ふーん」
ブルーノの言い分を聞いても、オリバーの怒りの感情は静まらない。火に油を注いだように状況は悪化している。
(オリバーさまが私のために怒ってくれている)
エレノアは僕のメイドだ。
私はオリバーのその言葉に胸が熱くなっていた。
この感情を私は知っている。
メイドである私が主人であるオリバーに向けてはいけない感情。絶対に実らない感情。
この感情は【時戻り】を続けてゆくうちに私の中で大きくなっている。
(好き、大好き)
一方的な片思い。
私はオリバーに恋をしている。
でも、この感情を表に出してはいけない。
私はぐっと堪えた。
「身勝手な理由で僕の従者を傷つけるのは、肉親であっても許しがたい行為だ」
「……」
「エレノアが屋敷で働いていることが気に食わないのなら、ブルーノ、お前が屋敷を出ていけ」
「ああ、そうかよ!! こんなブタ小屋、出ていってやる!!」
オリバーの売り言葉を買ったブルーノはこの場から立ち去った。
ブルーノが去ったのを見送ると、オリバーは私に回復魔法をかけてくれた。全身の痛みがすうっと消える。
「オリバーさま、ありがとうございます」
私はオリバーに深々と頭を下げた。
「エレノア、顔をお上げ」
「はい」
私は頭を上げる。
オリバーは穏やかな表情で私を見ていた。そして、口元を緩めて微笑む。
「辛かったね、痛かったね。でも、もうそんな思いはさせないから」
「あ、ああ……」
オリバーは私の事を大切な従者として接してくれている。
けれど、私はオリバーと違う感情がこみ上げる。
七回目の【時戻り】私は、オリバーに酷い事をした。彼は国王の命令に背き、斬首されたのだ。
きっとオリバーは国王に真実を、秘術を失ったことを告げたのだ。
秘術を失ったことを百年隠していた罪。
国王を国民を謀った罪。
大勢の国民の罵声を浴び、石を投げられ、精神と肉体を痛めつけられて、皆の前で殺されたらしい。
名誉ある戦死ではない。
貴族の尊厳を国王や国民にずたずたにされて死んだ。ずっと盾にしていたというのに。
それは私のせいだ。
私の素性を祖国のことをオリバーに話してしまったから。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
私は大粒の涙を流して、オリバーに謝罪の言葉を告げた。
私の失態は【時戻り】によって”なかったこと”になっているけれど、溢れた悲しみの感情を抑えられなかった。