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洞窟の空気が揺れた。湿った匂いが鼻に張りつく。
オットーは膝を抱えたまま動けない。エドガーは魔導書を鼻先まで寄せ、片手に小瓶を握っている。ミラは喉を鳴らし、息を止めた。
ダリウスは剣を抜いた。刃が松明の光を拾い、薄く瞬く。口角がわずかに上がるだけで、頬は動かない。
「……俺がやるしかないのか!」
声が通路に残る前に、五体が飛びかかってきた。
「ギャアアア!!」
棍棒が唸り、錆びた剣が走り、石が弾ける音を立てて飛ぶ。狭い通路の中で、風が何度も切られた。
最前列の一体が喉元へ突きを放つ。
刃先が迫る。ダリウスの踵が一つだけ下がり、湿った地面を擦った。刃は空を切り、金属音が壁で跳ね返った。
横から棍棒。骨を砕く角度。
ダリウスは同じ半歩を引く。風圧が頬を撫で、棍棒は虚しく通り過ぎた。
「ダリウス危ない!」
ミラの声が反響する。
「なんだ、これは……!?」
オットーの肩が跳ね、喉が詰まった。
ダリウスは振り返らない。
足だけが動く。前へ出ず、下がりすぎず、刃の届く手前で止まり続ける。
奥のゴブリンが石を持ち上げる。肘が引ける。
ダリウスは視線を固定したまま、首だけを数ミリ傾けた。
(射程、入った……)
石が飛ぶ。額へ一直線。
ダリウスは頭一つ分、横へずらした。石が耳元を抜け、背後の壁で砕ける。欠片が床に散った。
音が落ちきる前に、ダリウスが踏み込む。
短い一歩。刃が胸に入り、手首が返る。引き抜くと血が線になって飛び、湿気に混ざった匂いが濃くなる。
「早く! みんなダリウスのところへ!」
ミラが叫ぶ。
「体軸がまったくぶれていない……?
いや何をしている、詠唱入ります!」
エドガーが魔導書を開き直し、紙を押さえる指に力が入った。
ダリウスの呼吸が深くなる。肩が上下する。それでも刃は届かない。
突きも、棍棒も、斬撃も。服の端が掠れ、空気だけが裂けていく。
当てる側が先に乱れた。
ゴブリンの足が前に出る。腕に力が入り、振りが大きくなる。攻撃が遅れ、間が生まれる。
「あの戦い方……本当にダリウスですか?」
エドガーの声が細くなった。
短剣持ちが吠え、捨て身の大振りで斬りかかる。
ダリウスは一歩踏み込みながら体を回す。刃が水平に走り、胴が割れる。倒れる音が鈍く響いた。
二体目。
剣はまだ二度しか振られていない。
「どういうことだ……」
オットーの唇が乾き、声が漏れる。
「昔はもっと手数で押してたはずなのに……」
棍棒持ちは連打を始めた。岩肌を叩く音。空振りの反動で腕が遅れ、足が絡む。
その瞬間、ダリウスが距離を詰める。無駄のない一突き。胸元が抜け、刃が戻った。
残った素手の二体は前に出ない。牙だけが震え、視線が左右へ逃げる。
踏み込めば届かない。踏み込まなければ、剣が届く。その場で足が固まった。
やがて終わった。
洞窟に五体の亡骸が転がり、中央でダリウスだけが肩を大きく上下させて立っていた。剣先から雫が落ち、石床に黒い点を作る。
張りつめていた音が薄れる。
ダリウスが剣を収めた瞬間、ミラが駆け寄りかけて止まり、笑って息を吐いた。
「ダリウス! さすがね!」
頬が赤い。目尻が濡れている。
エドガーが歩み寄り、眉間に指を当てて問う。
「ダリウス……あれだけの攻撃が当たらなかったのは……間合い、ですか?」
ダリウスは膝に手をつく。汗が顎から落ち、息の合間に言葉を繋いだ。
「……あぁ……近間だと剣戟になって……すぐバテる。
だから……攻撃をギリギリで避けられる間合いを……基本にしてる」
エドガーは口を開きかけ、閉じる。もう一度開いて言い直した。
「言うは易し、 です。それができたら苦労はありませんよ。
モンスターによって間合いも違うでしょうに……?」
「三年かかった」
ダリウスは額の汗を手の甲で拭い、短く続けた。
「目だけで間合いを読み……身体が自然に動くまで、三年だ」
オットーが膝を抱えたまま身を起こす。目がいつもより真っ直ぐだった。
「一撃一殺だったな……あれも狙ったのか?」
「若い頃みたいに……何度も剣は振れないからな」
ダリウスは苦笑し、肩で息をした。
「だから……必ず“倒す一撃”だけに絞った」
オットーの口が開いたまま止まる。
エドガーも呼吸を止め、喉が上下してから、ゆっくり息を吐いた。二人の視線が同じ場所に留まる。
(……俺たちが引退した後も、
こいつは一人で戦って……戦って……
歳を重ねても戦える方法を考え続けていたんだ)
エドガーは唇を結び、指先で魔導書の角を押した。肩が少し落ちる。
「間合いをコントロールし、的確な剣戟で仕留める……
まさに“空間の剣——”」
「ちょっと待って!!!!」
鋭い声が洞窟に響いた。
ミラが両手を広げ、顔を真っ青にしている。背中が強張っていた。
「ちょっと……今……通り名つけようとしたよね!?
あの……恥ずかしいやつを!!」
エドガーはきょとんと目を瞬かせる。
「どうしたんですか?」
「だめ!! 通り名はダメ!
おじさんなんだよ!? もう全員!!」
オットーは胸を張って言い返す。
「優れた冒険者の特権さ!」
「だめっ!!!」
声が落ちたあと、洞窟が静まる。松明の火が揺れ、壁の影が小さく踊った。
沈黙。
ダリウスが咳払いを一つして、ぎこちなく口を開いた。
「……さ、さぁ……気を取り直して次の階層に進もうか」
「あ、あぁ……そうだな」
オットーは慌てて話題を流した。
エドガーだけが納得いかず口を開く。
「わ、私は良いと思いま——」
「ダメだからね!」
ミラのツッコミが言葉を断ち切った。
エドガーは肩をすぼめ、ローブの影で眉を下げる。
一行は歩き出す。
松明の光が揺れ、四つの影が伸びたり縮んだりしながら暗闇へ入っていった。
#魔法