テラーノベル
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夜のダンジョン第二階層は、静まり返っていなかった。
岩肌に囲まれた広い通路のあちこちに、簡易の住居が並ぶ。
オークが屋台を開き、ゴブリンが買い物袋を下げて行き交っていた。袋の紐が擦れ、床に砂が落ちる。
コボルトは串焼きを売る。
リザードマンは魚を捌く。
スライムが床をぷるぷると磨き、通った跡だけ濡れた筋になって光った。
四人は人混みに紛れた。肩が触れそうになるたびに半歩ずらし、肘がぶつかりそうになれば体をひねる。止まれば流れに呑まれる。
「しかしやっかいだな……」
ダリウスが腕を組み、視線を左右へ走らせる。屋台の陰、路地の奥、頭上。落ち着きなく拾っていく。
「二階層がセーフエリアかよ。やれやれだぜ」
オットーは尻を掻き、不満げに息を吐いた。腹が小さく揺れる。
「全く、ですね……」
エドガーは袖を整え、顎を引いたまま周囲を見る。まぶたが早い。
ミラだけが目を輝かせていた。串焼きの匂いに鼻が動き、スライムの動きに膝が浮く。視線が忙しく跳ねる。
「セーフエリアって?」
ダリウスは言いながら、すれ違ったゴブリンの手元をちらりと見る。握っていたのは小銭で、刃物はない。
「言葉のままだ。この層には“結界”が貼ってあって、
ここにいる間だけモンスターが“知性”を取り戻すんだ。
人間にも好意的で、危害を加えなくなる」
ミラの眉が上がる。視線が周囲に戻り、さっきまで牙を覗かせていた口が、今は串焼きを咀嚼しているのを見た。
「へぇ、じゃあなんで厄介なの?」
エドガーが魔導書の角を撫で、口を開いた。指先が紙の端をなぞり、さっと引っ込める。
「セーフエリアは通常、等間隔で配置されます。
二階層目にあるということは……次のセーフエリアまでが長い、ということです。
脅威度が低く、クセが掴める六、七階層あたりで一度休めるのが理想なんですよ」
ミラは口を半開きにして固まる。
串焼きの煙が鼻先を通っても、瞬きが遅れた。
「……なるほど」
オットーが顎をさすり、目線だけ遠くへやる。屋台の灯りを越えて、暗がりの方を見た。
「ダンジョンで死亡率が高いのは案外“低階層”だ。
クセに慣れる前にペースを乱して全滅、ってのがよくあるパターンだ」
「クセ??? ダンジョンに???」
ミラは頭を抱える。肩が上がり、息が短くなる。金髪が頬に貼りついたのを払う余裕もない。
ダリウスが顎を触りながら言った。
「例えば、ゴブリンみたいな二足歩行が多いダンジョンとか、
罠や障害物が多いダンジョンとか、
逆に数は少ないが巨大な魔物がいるダンジョンとか……そういう“特徴”だよ」
ミラは急に笑って、ぽんと手を打った。
「なんだかみんなくたびれてるのに、たのもしいね」
言い終える前に目が細まり、次の言葉が出た。
「使い古したタオルほど、よく水を吸う、みたいな」
オットーの笑い声が喉の奥で止まり、エドガーの指が眼鏡の縁で止まった。
「使い古したタオル……」
ダリウスは苦笑し、額に手を当てる。指先でこすり、ため息を飲み込んだ。
「……タオルですか」
エドガーは眼鏡を押し上げ、瞬きをした。押し上げた指がそのまま固まる。
「はっはっは! 確かに、俺たち使い古しかもな!」
オットーは腹を揺らして笑った。笑いの後で咳が一つ出て、背中が丸くなる。
雑踏の中、灰色のゴブリンがふらりと現れた。
できものだらけの皮膚。欠けた歯。近づいた瞬間、発酵した草みたいな臭いが鼻に刺さる。ミラが一歩で止まり、鼻先がぴくりと動いた。
それでも口が動いた。
「ニンゲン……ヨウコソ……ワエろウ、はサえ……ニ……」
ミラが一歩前に出た。目が丸い。
「しゃべった!? かわいい!!」
ダリウスはミラの方を見て、次にゴブリンを見る。息が一拍遅れ、眉が寄る。
「ろ、老齢の塔にようこそ……だって言ってるんだが……」
「ダリウス、帰ったら家で飼おう!」
ミラは真顔だった。
ゴブリンの方が半歩引く。袋が揺れ、紐が擦れて音がした。
「ニンゲン……イル、ホカニモ……ウレシイ……フエテ……」
エドガーが思わず身を乗り出す。ローブの裾が床を擦った。
「他にもいるんですか!?」
「ツイテクル……アワセル……」
ゴブリンは短い足でよたよた歩き出す。
四人は視線を交わし、ついていった。ダリウスが最後尾に回り、背後を一度だけ振り返る。
*
夜市から外れた場所に、洞窟住宅が固まっていた。
明かりは弱い。松明の油の匂いが濃い。煤の黒が天井に帯を作っている。
「ツレテキタ……ソンチョウ……がエ……コアしゅ……」
ゴブリンが指さした先に、人間の男がいた。
長い白髭。腰をさすりながら本を抱えている。背中は丸いのに、目だけが鋭い。目線が四人をなぞり、ミラで止まる。
「ここに冒険者……? 五十年ぶりか……」
ミラを見るなり男の目が見開かれた。まぶたが持ち上がり、口が遅れて開く。
「なっ!?……何歳だ!?いやここは!?」
ミラはなぜか誇らしげに胸を張った。
「ふふん」
ダリウスが咳払いし、紹介した。
「ダリウスだ。こっちはミラ、16歳だ」
男はぽかんとしたまま名乗った。
「……コンラート・ブライトヘルムだ」
「コンラート・ブライトヘルム!?」
ダリウスは息を吸い、吐く前に言葉を押し出した。
「老齢の塔の論文をいくつも書いた……学者本人か!?
ここに万病を治す薬が本当にあるのか?」
コンラートは肩を落とした。抱えた本が胸から少しずれて、腕で抱え直す。
「非常に高い可能性で“あるだろう”。だが……やめておけ」
ダリウスはエドガーとオットーを紹介し、ここへ来た目的を話す。
ミラがどうして入れたかまで辿り着くと、ミラが胸を張って台座の話を補おうとした。ダリウスが指を立てて止める。ミラの口が「え」と動いて閉じた。
コンラートは顎に手を当て、何度か頷いた。頷くたびに白髭が揺れる。
「なるほどな……台座に無茶苦茶な数式か。この塔らしい」
「どういうことです?」
エドガーが静かに尋ねる。声が低い。
ランプの明かりが揺れ、岩壁に影が重なる。影が増えるたび、ミラの指先が袖を強く握る。
コンラートは四人を見渡し、口を開いた。
「普通のダンジョンは、冒険者の“死体”から
精神エネルギーと肉体エネルギーを捕食している」
言い終えたあと、誰もすぐに返事をしなかった。
オットーが唾を飲み、喉仏が上下した。
「だがこの老齢の塔は違う。
思いや記憶を捕食する」
ミラが目をぱちぱちさせ、首を傾げた。
「思い出の……捕食?」
コンラートは淡々と続ける。
「お前たち、このダンジョンの構造をどう見ている?」
「転移型ダンジョンだろ?」
オットーが答える。声は軽いのに、最後が掠れた。
「いや、ここは——転移“儀式”型ダンジョンだ」
「そんな分類、聞いたことがありません」
エドガーは眉を寄せた。眼鏡の位置を触ってから、手を引く。
コンラートの口元が一瞬ゆがむ。視線が床へ落ちる。
本の角を押さえる指が白くなる。
「モンスターに殺されれば、その者の“記憶”を喰い……
儀式に失敗すれば、“思い出”を喰われる」
ミラの息が止まる。肩が上がったまま固まる。
オットーは指を握り直し、骨が鳴るほど力を入れる。エドガーは魔導書を抱え直した。
ダリウスだけが目を逸らさない。
「問題ない。ミラのためだ」
「帰れ」
コンラートの声が尖る。背中が伸び、白髭が揺れた。
「過去の記憶は、現在の人格そのものだ。
それが崩れれば……どうなるかわかるだろう」
オットーはあっけらかんと笑った。笑い声は短い。笑い終わる前に咳が混ざる。
「なら問題ないさ。俺はもう“今”しか生きちゃいない。
それだけだ」
エドガーも口元を緩めた。視線は外さない。
「オットーらしいですね。私も同じです。
もう冒険をするチャンスは、これが最後でしょう」
「みんな……」
ミラの声が揺れた。喉が詰まり、語尾が細くなる。
コンラートは奥歯を噛み、息を吐いた。吐いた息が長い。
「……帰れ。
ワシは、そうやって“悲惨な末路”を辿ったパーティを知っている」
ダリウスは一歩前へ出た。靴が砂を擦る。
コンラートの影に、自分の影が重なる。
「……あんた自身のことか?」
コンラートの表情が止まる。まばたきが一つ遅れた。
「なぜそう思う?」
「この塔が見つかってから五十年間、挑んだパーティは一組だけだ。
名簿も知っている」
学者は視線を落とす。抱えた本の角が震え、指が押さえる。
「……帰れ。
昔の話だ……若気の至りだ」
ミラは空気を読まずに言った。
「“若気の至り”って言うけどさ……その時ですら、もうおじさんなんでしょ?」
コンラートの口が一度だけ強く結ばれた。
「今から思えば、本当に“若かった”よ」
声が低い。喉の奥で擦れる。
「四人で挑んだはずだが……二人の名前すら思い出せん。
もう一人は——
妻と娘を忘れ、家にも戻れなくなった。
……門の前で、娘が泣きながら名を呼んでいたそうだ。
本人は、“知らない子だ”と笑っていたらしい
残ったワシは……
”未練”なのか……
”後悔”なのか……
”往生際悪く”、今も調査を続けている……」
言葉が途切れるたび、指が本の背を掴み直す。
白髭の先が揺れ、息が詰まっているのが分かる。
「だから……
——帰れ!!」
叫びが洞窟に跳ね、返ってきた。松明の火が揺れ、影が暴れた。
沈黙。
最初に口を開いたのはエドガーだった。笑みは薄い。口元だけだ。
「”未練”ですか……?
であれば、私も同じですよ」
魔導書を胸に抱く。
目が悪くなった今でも……
私は毎日、魔導書の手入れを欠かしたことがない」
オットーも笑った。鼻で短く息を吐く。
「”後悔”か……俺なんざ、飲んだくれの後悔だらけだったぜ。
だから今日一日だ。ただそれを変えるために、ここまで来た」
ダリウスは穏やかに口元を緩める。だが目は外さない。
「俺にも諦められないものがある。
どうしても……な。
“往生際が悪い”のは、お互い様だろ?」
ミラが胸に手を当て、唇を噛んだ。息が深く入る。
ダリウスは一歩、コンラートに近づいた。
足音がひとつ。灯りが揺れ、影が伸びる。
「確かに、俺たちはいい年した中年だよ」
ゆっくり言う。言い終えるたびに呼吸が挟まる。
「動けばすぐ息が上がる。足は止まる。苦しくて俯くことだってある」
ダリウスは一度だけ目線を落とし、すぐ戻した。
オットーは腹の上で拳を握り、エドガーは眼鏡の縁を押さえたまま動かない。
「だけど、それでも何度でも——顔を上げる」
「みっともなくても、情けなくても……地べたを這いずってでも進んでやる。
諦めるわけにはいかないんだ。
それが、“冒険者を終わった中年”の……せめてもの、足掻きだからな」
ミラが胸に手を当てて、じっと聞いていたる。
「記憶は食わせない、未来も掴み取る、無理?無茶?無謀?知ってるよ……そもそも俺たちは四十過ぎたおっさん冒険者だからな」
コンラートはしばらく目を閉じた。まぶたが震える。
口の中で何かを噛み潰すように、舌打ちが小さく鳴った。
「……まったく。
五十年前、こんなふうに吠えた愚か者がおってな」
コンラートは息を吐いた。吐き終えるまでが長い。
白髭が少し揺れ、そのあいだだけ、遠い昔の声が胸の奥をかすめた。無謀を笑い、希望だけを荷物にして駆けていた頃の、自分たちの声だ。
肩が落ちる。
「……止めても無駄か」
顔に皺が寄り、口元がわずかに緩む。
「バカにつける薬はないが……」
眉をひそめたまま続ける。
「だが、ここまでくると薬の方が先に匙を投げるだろうな」
ミラが息を飲んだ。
オットーとエドガーは目線を交わし、どちらも笑いそうで笑わない顔になる。
コンラートはくるりと背を向けた。
「……わかった。ウチに来い」
声がさっきより少し低い。尖りが抜けている。
「この塔のモンスターの構成くらいなら教えてやる。
せめて、死ぬ確率が少しでも下がるようにな」
四人は顔を見合わせた。
ミラが先に頷き、オットーが鼻で笑い、エドガーが肩の力を抜く。ダリウスは短く「ありがとう」とだけ言ってついていった。
足音が重なり、夜市のざわめきがまた近づいてきた。
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