コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「話をするのは、今でなくてもいいか?」
眠そうな声で言うマーカスに、アンリエッタは頷いた。今マーカスに必要なのは、食事と睡眠。すでに言質は取ったのだから、食事の後は十分な休息が最優先だった。
お腹が満たされたからなのか、気が張って疲労が伝達していなかった体に、ようやくそれが伝わったらしい。アンリエッタはマーカスを支えられながら、部屋に向かった。
ベッドに横たわらせれば、すぐに寝てしまいそうだった。
私のことなんて気にしないで寝てほしい、そう思いながら、布団をかけた手で軽く叩いた。けれど、アンリエッタの思いなどお構いなしに、マーカスは不満な声を漏らした。
「アンリエッタ……」
名前を呼ばれ、その意図を悟る。気恥ずかしそうに、アンリエッタはベッドの中に入った。
未だ慣れないからなのか、ゆっくりと行動するアンリエッタに焦れったく感じたらしい。腕を掴まれ、引っ張られた。そして、すぐにマーカスの腕の中に収まった。
数日振りに会った時は、なかなか会えなかった苛立ちよりも、とても疲れた姿に心配する心が上回った。今は食事もして、寝ようとする姿を見て、ようやくアンリエッタは自分の気持ちに素直になった。
苛立つこともあったけど、本当は寂しかったのかも。
頭をマーカスの胸に傾け、寄り添った。
「子守唄は?」
上から声をかけられた。その声はどこか、嬉しそうだった。
「この体勢で?」
「このままがいい」
そう乞われたら、拒否することが出来ず、子守唄付き抱き枕に徹することにした。
昼過ぎに注ぐ太陽の光は、昼寝をするにはちょうど良い暖かさを、部屋に満たしてくれた。加えて、相手から伝わる体温を感じ、どちらが先に寝たのか分からない内に、アンリエッタも眠りについた。
***
目が覚めた瞬間、寝てしまったことに驚いて、急いで体を起こした。夕方に店を出すための準備をする時間があるかどうか、血の気が引く思いだった。
すぐさま時計を確認して、まだ余裕があることに安堵した。けれど、のんびりしている暇はない。ベッドから出て、店のキッチンへと急いで向かった。
リビングに差し掛かった頃、何か物音が聞こえた。
確認はしていなかったが、マーカスはまだ部屋にいるはず。まさか、泥棒? それとも、マーカスが言っていた、ポーラさんや教会絡みでやってきた人物?
いくら怖くても、知らない振りをして立ち去ることはできず、かといって、確かめに行く勇気はなかった。神聖力の鍛練で、攻撃も出来るようになっていたとはいえ、場数を踏んでいないアンリエッタにはまだ早かった。
力が大き過ぎるため、このような狭い空間で発揮するのは、リスクが高かった。先生からも、その辺りの制御を強く言われていた。特に、感情に左右されてしまうため、今のような状況は危険だった。
孤児院を脱走した時は、勘を頼りに逃げていたため、立ち向かうことに不慣れになっていた。まさかそのことが、自分を追い込む事態になるとは思わなかった。
アンリエッタ自身が音を出さなくなったことで、音の正体が分かった。足音だった。だんだんと近づいてくるかのように大きくなる音。さらにドアノブを捻る音まで聞こえた瞬間、
「っ!」
現れた人物を見て、アンリエッタはその場に座り込んでしまった。
「アンリエッタ?」
どうした、とばかりにマーカスが近づいてきた。あまりの拍子抜けと、自分の間抜けさに、腰が抜けたのだ。
なんで部屋にマーカスがいないことを、確かめなかったの⁉ 確かめていれば、こんなことにはならなかったのに。
あと、悲鳴が出なくて良かった。とんだ赤っ恥を掻くところだった。
それでもアンリエッタは、恥ずかしさのあまり、目を瞑った。
「怖いことでもあったのか?」
え? なんでこの状況を見て、そんな判断が出来るの? エスパー?
「涙なんて流して」
マーカスはアンリエッタの目元に手を伸ばして、拭き取るように軽く触れた。
涙を浮かべ、座り込んでいれば、そう推測出来ないことはない、か。
「マーカスがいないと思っていたから、他の誰かが家に入ってきたと、思ったの」
変に追及される前に、正直に答えた。この後のマーカスとの話し合いで、正直に答えてもらうためには、ここで下手に隙を作るわけにはいかなかったのもあったからだ。
「すまなかった。起きるまで傍にいれば良かったな」
「ち、違う! そうじゃなくて……えっと、出きれば起こしてほしかった」
まだ動けないので、マーカスの服を掴み、抗議した。
「夕方の下準備だってしてないのよ。あのまま寝ていたら、店を開けられなかったところなんだから」
自分でも論点がずれていることは分かっていた。けれど、言わずにはいられなかった。
「すまない。そこまで考えが及ばなかった」
マーカスに謝られ、アンリエッタは冷静さを少し取り戻した。だから、違和感に気づいた。
さっきは『ごめん』だったのに、今は『すまない』になっている。やっぱり疲れていたから? それとも、甘えるとあぁなるの?
「あと、この家にいる以上、見知らぬ相手は入って来られないから、もうこんな風に怯えなくても大丈夫だ」
「お、怯えてなんて……。う~ん。それよりも、どういうことなの?」
ここは思わず反論の言葉が出たが、頭を撫でられ、続きが言えなかった。どうやらまだ体が動けないのは、恐怖心が消えていない証拠なのかもしれない。安堵した気持ちを隠す代わりに、質問をした。
「護衛とは別に、ユルーゲルに頼んで、結界のようなものを設置した」
「いつの間に⁉ そんなの感じないけど」
「聖と魔は反発するから、アンリエッタは感じないんだろう。それにこれは、起動型だ。持続型じゃないから、何もなければ支障がないものだ」
あっ、先生も言っていた。反発するから、意識していないと、感じ取れないのだと。そして、力が大き過ぎる私には、魔法が効かないことも。
ユルーゲルに捕えられた時は、魔法陣がそのように作られていたため、効いただけで、本来はそういうものだと教わった。
「でも、なんで? フレッドさんがいるじゃない」
「フレッドが、この家に入ってきたことはないだろう」
「あっ」
もしかして、あの時のことを根に持ってるの……?
あの時とは、後遺症が完全に治ったことを、確かめてもらった時のことである。頑なに否定するマーカスを、不審に思ったのがきっかけだったが、それが原因というわけではないだろう。
それよりも、気になることを質問した。
「いつ、ユルーゲルさんに頼んだの? 設置するなら、一言言ってくれればいいのに」
「魔塔に行ってすぐの頃だ。暇そうにしているから、何かあれば言ってやってくれ、とポーラに頼まれたんだ」
何それ、二人がかりで嫌がらせでもしているの?
言わずとも、表情に出ていたらしく、マーカスは苦笑いをして、アンリエッタの頭に再度触れた。
「大丈夫だ。ユルーゲル本人も、やりがいがありそうだ、と言って引き受けてくれたからな」
「なら、いいけど」
「アンリエッタがあいつを気にかける必要はない。賠償の一つだと思えばいいんだから」
まぁ、正直言って、マーカスが気にするほど、ユルーゲルのことは心配していない。
そもそも、平民が貴族を罰することが難しい中、マーカスやポーラのお陰で、泣き寝入りにならないだけ、マシだったからだ。
「それで? もう立てそうか?」
「!」
気づいていたの? 腰が抜けていたことに⁉
思わず、差し出されたマーカスの手を払い除けたかった。けれど、自力で立てそうになったため、大人しくその手を取った。店を出す準備に、早く取り掛からなければならなかったからだ。