テラーノベル
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ある夜。
ピアノの音がした。
森の中で。
ありえない、という言葉が浮かぶ。
すぐに、消える。
音は、正しかった。
正しい場所に、正しいものがあるように、
そこにあった。
美しい。
というより、整っている。
狂いがない。
——いや、ひとつだけ。
一音だけ、わずかに濁る。
その濁りが、耳に残る。
あの夜、僕は森にいた。
奥へ。
ただ奥へ。
理由は、ひとつで足りていた。
それ以外は、いらなかった。
音は、奥から来る。
踏み出す。
踏み出すはずだった。
——止まる。
足ではない。
もっと内側の、何か。
引き裂かれるように、止められる。
息が、浅くなる。
寒い。
遅れて、理解する。
恐怖だ。
何に対してかは分からない。
だが、それだけは明確だった。
そこへ行けば、終わる。
それは、分かっていた。
分かっていて、
それでも——
退いた。
音から離れる。
終わりから離れる。
背を向ける。
音は、途切れた。
追ってはこない。
ただ、消えた。
それで十分だった。
それから、森に通う。
夜ごとに。
理由は変わらない。
変わるものも、ない。
音は、もうない。
それでも、ある。
奥に。
何もないはずの場所に、
何かが残っている。
静かすぎる。
音が削られている。
そこだけ、空白になっている。
踏み込む。
沈む。
土が柔らかい。
受け入れるように、沈む。
拒まない。
むしろ、近い。
そう感じる。
木に、傷がある。
細く、並んでいる。
整っているはずなのに、
どこか歪んでいる。
見覚えはない。
だが、違和感もない。
帰る。
家が、少しずつ変わっていく。
ずれ。
傷。
配置の狂い。
気づく。
何かが、入っている。
拒まない。
拒む必要がない。
それもまた、続きだ。
白い欠片が落ちている。
細長い。
滑らか。
拾う。
——音。
耳の奥で、鳴る。
あの夜の音。
今度は、続いている。
遠くない。
近い。
落とす。
音が、遅れて返る。
時間が、ずれている。
横になる。
眠りは要らない。
夜を待つ。
それだけで足りる。
今日こそ。
その言葉だけが残る。
意味はある。
それ以外が、消えている。
森へ行く。
同じ場所。
同じ位置。
——違う。
あの夜、ここで止まった。
止まったのではない。
押し返された。
恐怖に。
終わりの手前で、
本能が勝った。
だから、続いている。
今も。
恐怖は、薄い。
削れている。
残っているのは、方向だけだ。
奥へ。
そこへ。
そこまで。
一歩。
止まらない。
音が、鳴る。
あの夜と同じ。
濁りを含んだ、一音。
続く。
今度は、途切れない。
進む。
振り返らない。
必要がない。
あの夜は、終わっていない。
ずっと、続いている。
今、ようやく——
届く。
今回もチャッピーに誤字などを修整してもらってます。
過去作も読んでいただけると嬉しいです
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