テラーノベル
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青い光が揺れていた。クラゲたちがゆっくりと水槽の中を漂う。
休日の水族館。
人の少ない通路で、紫陽花は足を止めていた。
幻想的な光景だった。
「綺麗ですね」
ぽつりと呟く。
すると隣から小さな笑い声が聞こえた。
「うん」
玲奈はそう答えながらも、クラゲではなく紫陽花を見ていた。
「……また撮ろうとしてます?」
「まだ撮ってない」
「まだ?」
「まだ」
嫌な予感がした。
紫陽花が振り向くと、玲奈は悪戯っぽく笑っていた。
そして。
「そういえば」
「はい?」
「お返し」
紫陽花の動きが止まる。
お返し。
その言葉だけで思い出してしまう。
夕焼けのベンチ。
白いチョーカー。
膝枕。
そして。
あの時のこと。
「な、何の話ですか」
明らかに動揺した声だった。
玲奈は小さく肩を竦める。
「この前の」
「……」
「白いチョーカーのお礼」
紫陽花は視線を逸らした。
玲奈は少しだけ近づく。
「だから」
「だから?」
「キスなんてしないからね」
「え?」
意味が分からなかった。
首を傾げた瞬間。
首筋に小さな刺激が走る。
「ひゃっ」
思わず声が漏れた。
何が起きたのか理解する前に、玲奈は離れている。
そして何事もなかったように言った。
「お返し終わり」
紫陽花は数秒固まった。
理解した。
顔が一気に熱くなる。
「玲奈さん!」
「なに?」
「それお返しじゃないです!」
「そう?」
「そうです!」
玲奈は楽しそうだった。
珍しく。
本当に珍しく。
「でも私だけやられっぱなしは悔しい」
「大人げない……」
「知ってる」
即答だった。
紫陽花は深いため息をつく。
首元をそっと触る。
まだ少し熱い気がした。
それからしばらく歩いていると。
玲奈の視線を感じた。
何度も。
何度も。
「……玲奈さん」
「ん?」
「見てますよね」
「見てない」
「見てます」
「少しだけ」
正直だった。
紫陽花は呆れる。
そしてスマホの画面を開いた。
インカメラを起動する。
そこに映った首筋。
チョーカーの少し上。
うっすらと赤みが残っていた。
「……」
紫陽花が無言になる。
玲奈も無言になる。
「玲奈さん」
「はい」
「どうするんですかこれ」
「ごめん」
即答だった。
本気で反省しているらしい。
少しだけ面白い。
「怒ってます?」
「ちょっとだけ」
「ごめん」
「二回目です」
玲奈は肩を落とした。
その姿が妙に可愛く見えた。
だから。
少しだけ意地悪したくなる。
紫陽花は髪を片側へ流した。
白い首筋が露わになる。
黒いチョーカー。
その少し上の小さな赤み。
「そんなに気になるなら」
玲奈が固まる。
「撮ればいいじゃないですか」
数秒の沈黙。
そして。
玲奈はゆっくりカメラを持ち上げた。
「反則」
「何がですか」
カシャ。
シャッターが鳴る。
「本当に撮るんですね」
「撮る」
カシャ。
もう一枚。
「反省してませんね」
「してる」
「説得力ありません」
玲奈は写真を確認する。
そして小さく息を呑んだ。
首元の赤みなんて本当はどうでもよかった。
撮りたかったのはそこじゃない。
隠そうとしている仕草。
少し怒った顔。
少し恥ずかしそうな顔。
そして。
どこか嬉しそうな顔。
その全部だった。
どうしてこの子は。
こんな顔をするんだろう。
どうしてこんな表情を見せるんだろう。
まるで誘惑しているみたいじゃないか。
もちろん本人は無自覚だ。
それが一番ずるい。
「どうしても撮りたかった」
玲奈がぽつりと呟く。
「何をですか?」
「誘惑してくる紫陽花を」
紫陽花は目をぱちぱちさせた。
「してません」
「してる」
「してません」
「してる」
即答だった。
「見せてください」
「嫌」
「なんでですか」
「なんとなく」
「余計気になります」
紫陽花は半ば強引にカメラを奪った。
玲奈が慌てる。
「ちょっと!」
遅かった。
画面が表示される。
そこには紫陽花がいた。
首元を隠そうとしている。
少し睨んでいる。
頬が赤い。
怒っているようにも見える。
恥ずかしがっているようにも見える。
でも。
その瞳は。
驚くほど楽しそうだった。
紫陽花は固まる。
数秒。
十数秒。
そして。
「え?」
もう一度写真を見る。
「え?」
玲奈は何も言わない。
紫陽花は写真と自分を見比べる。
それから目を見開いた。
「私、こんな顔してたの!?」
本気で驚いていた。
玲奈は思わず吹き出す。
「してた」
「嘘」
「してた」
「してません」
「してた」
紫陽花はもう一度写真を見る。
知らない顔だった。
けれど。
確かに自分だった。
首元の黒いチョーカーに触れる。
安心する時の癖。
そして小さく笑った。
玲奈はその横顔を見つめる。
やっぱり思う。
もっと撮りたい。
この人の知らない表情を。
誰よりも先に。
青い光の中。
クラゲたちは静かに漂い続けていた
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コメント
1件
あ〜もう、この2人ほんとずるい!😭💕 水族館の青い光の中での、キスマークめぐる攻防戦…玲奈さんの「誘惑してくる紫陽花を撮りたかった」って台詞、重すぎて好き。でも紫陽花が自分の顔を見て「こんな顔してたの!?」って本気で驚くところ、めちゃくちゃ可愛かった。知らない表情を誰より先に撮りたいって気持ち、すごくわかるよ。クラゲがただ漂ってるだけの背景との対比も、なんか切なくて綺麗だった🌙