「声を聴く」
⬇
リビングの空気は、まるで壊れたガラスみたいだった。
誰も動けない。
時間だけが、音もなく流れていく。
俺は一度深く息を吸い込んだ。
怒鳴るよりも、感情に流されるよりも、まず全員の「声」を聴かなきゃいけない——そんな顔をしていた。
「……とりあえず、座ろうか」
その落ち着いた声に、全員がビクリと肩を震わせた。
怒鳴らなかったのが、逆に怖かった。
俺はリビングの真ん中に腰を下ろし、周りを見る。
まろは立ったまま動けず、いむはソファの端で泣き続けていた。
初兎は膝を抱えてうずくまり、りうらは壁にもたれたまま視線を伏せている。
「……まず、いむ。話せる?」
名前を呼ばれたいむは、しゃくりあげながら小さく頷いた。
「……ごめん、なさい……っ、僕……いふくんに言われたことが、悔しくて……」
「うん。悔しくて、言い返しちゃったんだな」
「……うん……っ」
ないこは彼の隣に移動し、泣きじゃくる肩に手を置いた。
「でもな、いむ。悔しいからって、相手を傷つける言い方をしていいわけじゃないよ」
「……っ」
いむの肩がびくっと揺れる。
叱る声は優しい。でも、はっきりとした線がある。
「いむが悪いって言いたいわけじゃない。でも、お前も引かなきゃいけないところ、あったよな」
「……ごめん、なさい……」
いむの目からまた涙がこぼれる。
ないこは軽くその頭を撫でた。
「謝るのはいい。でも、ちゃんとまろと話して。俺はそのときもそばにいる」
—
「次……まろ」
まろの肩がびくっと跳ねる。
いつも強気な彼も、今は視線を下に落としたままだ。
「……俺、別に……喧嘩売ったわけちゃう」
「うん、そうだろうな。でも、途中から本気になってた」
「……っ……」
俺はまろの方をまっすぐ見た。
優しさの中に、しっかりとした怒りが見える。
「お前が感情的になるの、俺は何回も見てきた。でも今日のは違う。止めようとしたみんなにまで当たった」
「……それは……俺……」
「言い訳しなくていい。俺、まろがどういうやつか分かってる。根は優しい。でも、今日のは間違いだ」
その言葉に、まろは唇を噛んで震えた。
「……わかっとる……俺、阿呆や……」
「うん。阿呆だな」
ないこの声に怒気はなかった。
むしろ、そのまま全部受け止めるような静けさがあった。
「でも、阿呆でも仲間だ。ちゃんと謝れ。お前の言葉で」
「……あぁ」
—
ないこは初兎の方へ向く。
初兎は視線を床に落としたまま、膝を抱えたままだった。
「初兎」
「……わかっとる。濮も、怒鳴った」
「うん。怒鳴るのは本音があるからだと思う。でも……止めようとしたはずの初兎が怒鳴ったら、余計混乱するだろ」
「……せやな」
「お前の気持ちはちゃんとわかってる。初兎は誰より仲間思いやもんな。でも、もう少し落ち着いてほしかった」
初兎は深く息を吐き、震える声で呟いた。
「……ごめんな、ないちゃん……」
「俺に謝らんでいい。まず、いむとまろにな」
—
最後に、りうらの方を見る。
りうらは無言のまま立っていた。
「りうら」
「……りうら、怒っちゃった」
「うん、見てた」
りうらの瞳には、悔しさと悲しさが混じっていた。
「みんなが勝手に喧嘩して、りうらまで巻き込まれて……もう嫌だった」
俺は少し歩み寄り、その頭を軽くぽんと叩いた。
「怒っていいよ。りうらは悪くない。……でも、このまま黙ってるのも、りうららしくないだろ」
「……うん」
「後で、ちゃんと全員で話そう。りうらの気持ちも、ちゃんと聞かせて」
「……わかった」
—
全員の視線が、自然と俺に向かう。
静かな声がリビングに響いた。
「喧嘩するのは悪いことじゃない。気持ちをぶつけ合うのは大事だよ。でもな……“仲間を傷つける喧嘩”は違う」
「……」
「いむ、まろ、初兎、りうら……。今日、全員がどこかで誰かを傷つけた。でも、今ここで終わらせなきゃ、ずっとこの空気のままだ」
俺は一人ずつ見回す。
「俺は、全員の味方だ。でも、悪いことしたらちゃんと叱るし、泣いたらちゃんと支える。……それがリーダーだから」
いむは涙をぬぐい、まろはぎゅっと拳を握った。
初兎は静かに頷き、りうらも少しだけ目線を上げる。
少しずつ、けれど確かに空気が変わり始めていた。
「……さ、まずは謝ろっか。一人ずつ」
俺の声は、怒鳴り声よりずっと強かった。
誰も逆らえなかった。
でも、不思議とその声は、胸の奥を温めるような力があった——。
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