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そう、手出しをする気なんて毛頭ない。 これはもっと性質(たち)の悪い横槍だ。
「やはり、貴女(あなた)も……」
「あん?」
不意に女性がしかつめらしい態度で言って、葛葉の注意を引いた。
そこにはもうお遊びに興じる少女の面影はなく、警戒心を露骨に表している。
かの控え室で邂逅(かいこう)した折り、当人もまた些細な違和感を抱いていたものらしい。
先の手札を見て、ようやく辻褄を得たか。 しかし、合点が行ったとは言いがたい。
彼女の不審は、今なお緋々色の明かりを焚く面妖な一刀に向いていた。
「貴女は本当に御遣? その剣は」
「いいじゃん。 細かいことは」
これに歯切れよく応じ、当の差料を人目から遠ざけるように納刀する。
そうして二歩・三歩と、あくまで外野という立ち位置を提示すべく、その場から身を退(しりぞ)けた。
途中、ふと思い立って声をかける。
「まぁ、どういうつもりで歩いてきたのかは知らんけどさ、そういう道々を。そちらさんが」
「え……?」
これを受け、女性の心臓がイヤな跳ね方をした。
彼女の眼はこちらを向いている。 けれども、自分の何を見ているのかは判らない。
恐ろしい眼。まるで内面を見透かされるような。
「苦労したね、お前さんも」
途端に肩の力が抜けた。
そんな事を言われる筋合いは無い。 そんな言葉に……。
そもそも、労(ねぎら)ってもらえるような生き方をしてこなかった。
「面倒なこと、ここですっきり終わらせてくれるはずだからさ、うちの仲間(ツレ)が」
触発されたように、虎石が再起した。
満身創痍であるにも関わらず、その眼中には新芽を思わせる生気が満ちており、身体の端々にあしらわれた活力が先頃の比ではない。
最初は悪あがきかと推量した女性も、たちまち怖気(おぞけ)に駆られて後退(あとずさ)った。
こうして面と向かっているだけで、肌身を炙(あぶ)られそうな錯覚に見舞われたのである。
「礼は言わねえ」
「ん……」
横合いをツカツカと過(よぎ)る間際、彼は短く言った。
いつものように剽(ひょう)げても良かったのだけど、いまはそんな気にもなれず。 葛葉は曖昧に応じるのみに止(とど)めた。
きっと、あとで怒るだろう。
たとえば、勝負を汚しやがってと朴直(ぼくちょく)に憤慨するだろうか。
裏技で勝ったって意味がねえと。
仕様がない。
目の前で倒れる者があれば手を差し伸べるのは道理だし、それが道行きをともにする仲間であれば尚更のこと。
それに、あの女性(ひと)をあのまんま放っといていいはずが無い。
あれはもう、心の芯までカチカチに凍てついてる。
誰かが溶かしてやらないと、いずれは砕けて粉々だ。
そんな大役をツレに押しつけて良かったのかと、柄(がら)にもない責任感が口を尖らせた。
しかし、いい加減 堂々巡りになりそうなので、これには取り合わず。 かの背中を眇(すが)めて見る。
小烏丸の通力によって、あくまで一時的なものではあるが、いまや彼の肉体は神剣に匹敵する武辺と化している。
すなわち、折れず砕けず弛(たゆ)まない。
性質(たち)の悪い横槍。 まったくもってその通りだ。
それならいっそ、この手ずから力を貸して共闘したほうが、まだ幾分かマシなのではないかという見方さえ出来る。
いつぞや師匠が言った。
『其(そ)な太刀の通力は豪儀なれど、まことの兵法(ひょうほう)にあらず』
勝つためには手段を選ばぬ彼をして、そこまで言わしめる小烏丸の能才とは。
身辺に散らばるありとあらゆる物皆(ものみな)を、己の武事に変換する。
あぁ、今なら何となく、彼が自分の元を去ったワケが理解できるような気がした。
「………………」
安楽椅子に身体を埋(うず)め、力なく頭(こうべ)を垂れる町長の内心は、いまや様々な思惟(しゆい)が無秩序に入り乱れていた。
このガラスの損害は保険の対象になるのだろうか。 これは雪災か? あるいは故意による破損か。
いずれにせよ、不慥(ふたし)かな保険屋のことだ。 どのような難癖をつけられるか。
今もなおこちらを睨みつけたまま滞(とどこお)る尖端の向こうに、気の入(い)らない眼を向ける。
当面の冷気によって目覚ましい劣化を遂げたか、稼働屋根を構成するトラス梁の一部が大きく歪んでいた。
中には早々に断裂を起こし、かろうじて宙吊りの状態を保っている箇所も見受けられる。
あれらを元に戻す費用を思うと、まことに気が重い。
復旧に必要な費用は元より、それに伴う人件費もバカにはならない。
残存物の片付けに原因調査、損害範囲の確定に仮修理や試運転等。
祭りの零(こぼ)れものとしては、いささか破格すぎではないか。
“人がやった? バカ言っちゃいけませんよ町長さん”
保険屋のしたり顔が、今から目に浮かぶようだった。
「………………」
唯一 救いがあるとすれば、今大会が長きにわたって語りぐさになることは疑いようもなく。 これが町の評判に繋がるのは明白だった。
何しろ、御遣が三名も居合わせた圧巻のトーナメントだ。
後にも先にも、このような修羅場を演じる町は出ないだろう。
ところが盤上を見ると、早々に終結の風情が場を閑々(かんかん)と占めている。
寒さの限界を迎えたか、席を離れる観客も後を経たない。
もう少し、いま少しなにか……。 そうだ、ハプニングでも起これば。
「あ………」
待て。 あのトラス梁、もしも今 あれを無理に稼働させたらどうなる?
破損箇所は元より、これに引きずられる形で、劣化した部位も一様に落下するのではないか?
そうすると、果たしてどういう事態になる?
見ず知らずの当方の要請を、かるく引き受けるような連中のことだ。
非凡な能才に裏打ちされた責任感か、その辺りは定かでないが、恐らく危急とあれば、考えるより先に身体が動く性質(たち)と見て間違いないだろう。
観客を惨事から救った御遣たち。
町の外聞を底上げする美談のでき上がりだ。
「おじさん、変なこと考えてない?」
「え……?」
震える手で携帯を取り出したところ、隣席から屈託のない声が掛かった。
危うくこれを取り落としそうになった町長だが、息を整えてそちらを向くと、果たしてリースのニコニコ顔が目に留まった。
年端もいかない娘。 見るからに無害な小動物のようで、その眼に見咎(みどか)められたからと言って、然(さ)したる躊躇(ちゅうちょ)は得ないはずだった。
しかし一向に脂汗が止(や)まず、手指は携帯を握りしめたまま動じない。
射竦(いすく)められた訳ではない。
何とも恐ろしい罪悪感が、胸中にありありと立ち込めた所以(ゆえん)である。
「携帯、仕舞(しま)っとこ?」
「あ……、うん」
どうしても肉食獣におとる小動物は、己の武器をきちんと把握し、これを意のままに操る才を持っている。
それはひとえに可憐(いじ)らしさであったり、保護欲を刺激する儚さであったり。
そうした武器を頼りに、人間の掌(たなごころ)という安全圏にするりと入り込むものも少なくない。
しかし、この少女はどうやらお決まりのパターンには収まらないようだった。
「あ、わたし善玉は撃たないよ?」
何気なく寄越された釈明らしき文言を受け、町長はかすかに身震いをきたした。