「……面倒事を背負っているように見えますか? わたし」
女性がうつむき勝ちに訊(たず)ねた。
その口前はどことなく抑揚(よくよう)を欠いており、ひどく頼りない印象を受ける。
当面の冷気も手伝って、まるで繊細な氷細工にでも臨んでいるような気分だった。
さわり方を間違えれば、脆(もろ)くも崩れ去ってしまう。 そんな気がしてならなかった。
「あぁ、見えるね。 すげぇ見えるぜ」
応じる虎石は、土台こうした物事には向かない性質(たち)である。
「そう見えねえ奴がいんのか、逆にこっちから訊きてえな」
横柄(おうへい)に言って、背中越しにチラリと同意を求めたところ、事を見守る葛葉はわずかに肩を竦(すく)めてみせた。
「じゃあ……、どうしてくれるって言うんですか?」
「あん?」
「あなたが終わらせてくれるんですよね? 全部……、イヤなことも、怖いことも、苦しいことも」
「……呪われた名前」
「え?」
女性の満面が、途端に青ざめた。
元より白雪のような肌の色が、いまは目に見えて丹青を損なっている。
にわかに血の気を逸(いっ)したのは、葛葉とて同様である。
鬼一口(おにひとくち)の大役を押しつけはしたが、誰も薄氷の上で飛び跳ねろとまでは言っていない。
「そんなもんに囚(とら)われてんのかよ? このご時世にお前、名前なんざ」
「あなたに何が分かるんです?」
「あ? へ……、そんなツラもできんのかい?」
瞳に薄っすらと涙をためた女性は、精一杯の仕草でこちらを睨みつけた。
ささやかに膨らんだ頬には、早々に赤みが差している。
これを可憐(いじ)らしくも脅しの種に用いようと奮闘するさまは、まさに世慣れぬお嬢さまに似つかわしい振る舞いだった。
「やっぱり、その辺りにきっかけがあるってワケだ?」
「だったらどうだって言うの? 身の上話でも聞いてくれるんですか?」
「聞かねえよ。 こちとらこれでも逃亡者(のがれもん)でな? 暇じゃねえんだ」
そこで掌の感触をたしかめるように握り拳を作った虎石は、場都(ばつ)が悪そうな顔つきで言った。
「仮に聞いてやったとしても、たぶん俺の力じゃどうする事もできねえよ」
神剣の通力によって施された塗膜じみたものが、拳からキラキラと剥離したかと思うと、愛想のない風に乗ってどこかへ運ばれて行った。
その行き先にぼんやりと思いを馳せた後、一語ずつ押し並べるようにして唱える。
「それにな? もう背負(しょ)っちまったモンを取っ払うことは、そもそも人間(オレ)たちには出来ねえんじゃねえかな……?」
「じゃあ……、ずっと苦しいまま?」
「かも知んねぇな。 ただ──」
何を思ったか、矢庭に拳を掲げた彼は、これを痛烈に地面に打ち当てた。
艦砲の着弾を思わせる轟音とともに、深々と地割れが生じた。
「後から乗っかってくる重荷はよ? ついでにぶっ飛ばしてやらねぇでも無えよ」
一瞬 身を硬くした葛葉だが、程なく一入(ひとしお)の驚嘆が、安堵と共にありありと胸中に広がっていくのを感じた。
わが身を棚に上げるつもりは無いが、あのケンカっ早い男が、よもやこうした幕の引き方を選ぶとは思わなかった。
その心底(しんてい)をいささか見誤っていたか。 やはり彼には彼なりの軸がある。
いや、どこかでそう信じていたからこそ、力を貸し与えようと思い立ったのかも知れない。
「それにしてもオメー、何てことしてくれてんだ?」
「あ……? あぁ、ビビった?」
意識的に女性の元から顔を背けた虎石が、手首をコキコキと言わせながら不平を吐いた。
決して血を分けた親子ではないが、その模様にまるで思春期のわが子を見る思いがした。
手の掛かる子ほど可愛いと人口は言うが、そうした気持ちが薄っすらと解ったような。
「これ、元に戻るんだろうな?」
「たぶん」
「たぶん!?」
変な人たち。
本当に変な人たちだ。
私を糾弾するどころか、優しい言葉をかけてくれる。
あなたを害そうとしたのに。 あなたのお友達を傷つけたのに。
厚意を無下(むげ)にするつもりはないが、それならいっそと、思わないでもない。
いっそ刃を突きつけてくれた方が楽だった。 この身に斧を叩きつけてくれた方が……。
「………………」
言うに言われぬ思いが湧いて、視線をそっと上向ける。
先の名残か、泡沫(うたかた)の雪氷が斜陽の狭間を舞っていた。
行くあてのないそれらに、まざまざと自分を重ね合わせたのかも知れない。 急に故郷が慕(した)わしく思い起こされた。
かの土地は呪われているのだと、歯齦(しぎん)を打つように吹聴した輩(やから)は、果たしてどうなっただろう?
生きてはいまい。 あぁ……、生きてはいまい。
かの土地は、変わらず在るのだろうか?
身も凍る静けさの中、私を出迎える手は──。
「よぉ、大丈夫?」
「え? えぇ……」
意識をかえすと、あの不思議な少女(ひと)がこちらを心配そうに見つめていた。
そういう眼で見られるのは、どうにも辛い。
彼女の瞳に、ふと姉の面差しを垣間(かいま)見た気がした。
元気にしているだろうか? いまも一人で耐えているのだろうか?
私だけ逃げ出してごめんなさい。
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