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死ぬ死ぬ死ぬ死ぬーーーーっ!!
顔から火が出るって言うけれど、本当に出るかと思った。火傷してないのが不思議なくらいだ。
薬草畑の雑草をブチブチと引っこぬきながら昨夜の事を思い出していたら、また顔が熱くなってきた。
「颯懔様……」
とうとう呼んでしまった。
弟子入りしてからずっと、師匠を名前で呼ぶ事を自分で禁じた。それは当時まだ15歳だった自分には必要な事だったから。
たとえ相手にその気が全く無くとも、歳頃の娘が眉目秀麗な男と2人で過ごすことは容易ではない。
絶対に好きにならないために、きっちりと『師匠と弟子』であると自身に暗示をかけるために。
その掟を破ってしまった。
「違う。師匠は師匠」
ただの練習に浮かされるな。
自分から言い出しておいて好きになるなんて、颯懔にとっては迷惑でしかない。もし颯懔が誰かと結婚する事になっても、誰かと房中術をする事になっても、私が邪魔しちゃいけない。
「なーにをぶつくさ言ってるんだ?」
俊豪の声がして、ぱっと顔を上げた。気が付けば既に日は随分と傾いている。
「可馨様がお呼びだ」
御屋敷の一角にある材料保管庫兼お店に、可馨はいた。仙薬作りに必要な材料が集められているここは、手に入らない物などないんじゃないかと言うくらいに品揃えがいい。実際、多くの仙がよくここへ訪れている。
「明明、一ヶ月間よく頑張って働いてくれたわね。ありがとう」
「御礼を言われては、罰として来ていた者としての立場がありません。私こそありがとうございました。ここで沢山学ばせて頂きました。可馨様の御恩上に深く感謝致します」
深々と礼をして顔を上げると、可馨の後ろに見たことのない棒状の何かと丸っこい何かが目に入った。シワシワでミイラのような物体。不思議な見た目に思わず凝視していると、可馨がふふ、っと苦笑いをした。
「初めて見たかしら? それは海狗腎よ」
「海狗の臓器という事ですか」
「ええ、睾丸と陰茎」
「え゛」
「精力がつくのよ」
「せせせ精力っ!!」
大きな声を出して反応してしまった。だって、今私が求めている薬材ど真ん中過ぎる!
ずっと精力増強剤の改良を進めてきたけれど、今ひとつ「これは!」と言う物が出来ない。この海狗腎を入れて作ってみたら、もしかして……。
ゴクリッと生唾を飲み込む。
「こちらは因みにお幾らほどするのでしょうか」
「金貨なら1枚、絹なら半反、玉は物によるわね」
「きっ、金貨1枚……」
家にいくらあったっけ? かき集めれば金貨1枚くらいにはなるかな。装飾品の類もろくなのは持っていない。お金が無くても何とかなってしまうのが仙人の世界なので、頓着していなかった。
それに、隣に置いてある御種人蔘も欲しい。
自分で探してきた御種人蔘は、明明の作る仙薬の材料にはならない。大抵颯懔が使う。それは御種人蔘が希少なので、より上手に仙薬を作ることの出来る人が使った方がいいから。頼んでも絶対精力増強剤には使わせてくれないだろう。
たとえ自生している物よりも薬効が劣るとしても、余分に御種人蔘を探してくるより、可馨の所で買った方がいいかもしれない。
「御種人蔘は幾らですか」
「栽培品なら金貨2枚、自生品なら3枚よ」
「そうですか……」
どう考えても手の届かない値段だ。諦めよう。
改めて御礼を言って、可馨の屋敷を後にした。
◇◇◇
崑崙山の中腹。日当たりの良い南側に、その屋敷はある。
「凌雲山洞主、颯懔。西王母様に御挨拶申し上げます」
「堅苦しい挨拶は良い。久しぶりね、颯懔。太上老君から桃源郷へ戻ってきた事は聞いていたわ」
少し甘めの華やかで上品な香り。蘭香が焚かれた部屋には、女性が一人。
金糸で細かい刺繍の施された衣の上から、羽衣を緩く纏っている。
「直ぐに此方へ挨拶しに来るべきところを、失礼致しました」
「気にする必要は無いわ。貴方がわたくしの屋敷に来るのが嫌いな事くらい知っているもの」
ほほほ、と口元に袖口をやり笑ってみせた。
東にある蓬莱山にいる東王父が男仙を統べる仙なのに対して、全ての女仙を統括しているのがこの西王母と言う仙女。
5人いる神人の中でも唯一の女仙で、美しさはさることながら貫禄すら感じさせる圧倒的な存在感に、三清ですらタジタジになる程だ。
女仙を統括しているとだけあって、西王母の屋敷には取り分け女が多い。自然とこの屋敷を避けがちになっている事はお見通しのようだ。
「そんな貴方にも少しは変化が見られたようね。女弟子をとったんですって? 老君が大はしゃぎしていたわ」
「はい。名を明明と申します。いずれ西王母様にも御紹介致します」
「何れと言わず、近々の間違いよ」
早く紹介しろという事なのか。言葉の意味を測りかねて見つめていると、さも楽しそうに微笑みを返してきた。
「わざわざ此処へ呼んだのは何故だと思う?」
「いえ、分かりかねます」
「もうあとふた月、み月すれば咲くのよ。わたくしの庭の桃の花が。分かるわよね?」
「……!!」
「分かったようで何より。|蟠桃会《ばんとうえ》、今回こそは貴方も来るわよね?」
すすす、と近付いてきた西王母の手が肩にくいこむ。
「毎度逃げているけれど、今回はそうもいかないわよね? なんと言っても、女仙達の戸籍を管理するのがわたくしの仕事だもの」
明明を人質に取られたか。
道士から仙人になれるかどうかを決めるのは三清だが、その戸籍を実際に管理するのは東王父と西王母だ。まさか実際に、個人的理由で戸籍を弄ったりはしないだろうが、それにしても性格の悪い。
「西王母様もまた悪趣味ですね。何故私が蟠桃会に参加したくないのか、よくご存知だと言うのに」
蟠桃会と言うのは、西王母が百年に一度主催する大規模な花見の宴。
西王母が管理する桃園の桃は特別で、百年に一度しか花をつけない。百年ごとになる実は味、香りが格別なのはもちろんの事、膨大な精気を含んでいる。
その実を百年、酒に漬けた蟠桃酒を桃の花を愛でながら、呼び集めた仙人達に振る舞うという催しだ。
上仙である自分もこの蟠桃会に毎回招待されそうになるのだが、頃合いを見ては俗世に降りて逃げてきた。
「もう何百年も昔のことじゃないの。そう怖がらなくたって、今の貴方を組み敷ける女仙などいやしないでしょ」
コロコロと笑っているが、こちらとしては冗談じゃない。
まだ俺が弟子入りして間もない頃の話。老君に付いて蟠桃会に参加したことがある。
西王母の屋敷は老君の屋敷と違い、品があるのに豪奢で華やか。そこここに花の咲く木が植えられて、なかでも宴の会場となっている桃園は息をのむ美しさだった。
もともと貧しい生れの身だった俺は、見るもの全てが新鮮で珍しく、つい老君の傍を離れて屋敷の中を見て回ってしまった。
道に迷ってどうしようかと悩んでいれば、瞬く間に女仙達に囲まれた。
この頃には既に女性に対して苦手意識が芽生え始めていた事もあって、どう逃げようかと思案しても、上級の仙達を前に為す術もなく。
当時はまだ確か7、8歳。
そんな男児になぜ女達が迫ってきたのかと言えば、神通力の使い方を極めてくると、身体の年齢すら思うがままに変えられる。
早々にその術を体得しつつあった俺は、当時の年齢に十歳ほど加えた姿で過ごしていたのがマズかった。
身体は大人の姿に出来ても、中身はまだまだ子供。
どうしたら良いものかとオロオロしている内に勝手に女達の間で言い合いがはじまり、「この中の誰と結婚したいか」などと迫られた。
両腕を双方から引っ張られ、挙句の果てに身ぐるみを剥がされそうになったところで、俺を探しに来た兄弟子に救われたのだった。
この出来事がきっかけで老君は俺を俗世で育てることを決心し、女仙達と一切関わることなく過ごすことになった。
蟠桃会は俺の、女嫌いを決定的にした出来事と言える。
「愛想良くできない私が参加するのは、西王母様としても宜しくないでしょう」
「いやねぇ。釣れない男ほど女の闘志に火がつくのよ。特に不老の身ともなれば、尚更にね」
仙となると往々にして暇を持て余しがちになる。
こうして西王母が無理矢理に俺を参加させようとするのも、ただ面白がっているだけとしか思えない。暇つぶしだ。
「そろそろ老君から受けた恩に報いてやりなさい。気に入る女がいないと言うなら、わたくしが相手をしてあげましょうか?」
「あー、いえ。自分で見つけます故、お気遣いだけで結構です」
「ほほほ。断られたのは初めてよ。女ごころを傷つけた罰として蟠桃会に参加すること。いいわね?」
「分かりました」
最初から他の返答など用意されていない。
「それから」
まだあるのかと、顔をしかめそうになった俺とは対照的に、楽しげに西王母は続ける。
「新しい女弟子も準備に貸してちょうだい」
「明明をですか?」
「そう。あの子が彼女と知り合いだって言うから。入りなさい」
手を鳴らす合図と共に扉が開く。
「そういう事でしたら、断わる訳にはいきませんね」
扉の向こうから入ってきた女性を見て、明明を貸すことを了承した。