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第68話:高級ホテルと、カップラーメン〜港区の夜景と、四十歳の貧乏性〜
「……なんだこれ。王族の寝室かよ」
夜の九時。
スタプロ本社での地獄の3Dリハーサル(黒タイツ羞恥プレイ)を終えた俺は、神崎プロデューサーに手配されたホテルの部屋のドアを開け、その場で硬直していた。
港区の一等地にある、外資系の超高級五つ星ホテル。
その上層階の部屋である。
フカフカの分厚い絨毯。
俺のボロアパートの四畳半が丸ごと三つは入りそうな、無駄にだだっ広い空間。
部屋の中央には、大人三人が川の字で寝ても余裕がありそうなキングサイズのベッドが鎮座している。
そして何より、壁一面の巨大な窓からは、オレンジ色に輝く東京タワーと、宝石箱をひっくり返したような大都会の夜景が一望できた。
「す、すげえ……。これが、スタプロの経費(チカラ)……」
俺は、ドン・キホーテで買った三千円の黒いキャリーケースを引いたまま、靴を脱いでいいのか迷い、入り口で五分ほど立ち尽くした。
「ルシフェル様、お疲れ様でした! 本日はこちらの部屋でゆっくりお休みください。明日の本番に向けた英気を養うため、ルームサービス等もご自由にお使いください。もちろん、全て弊社の経費で落としますので!」
別れ際に神崎が放った、眩しすぎる笑顔とセリフが脳裏に蘇る。
「ルームサービス、ねぇ……」
俺は恐る恐る部屋の中に足を踏み入れ、靴を脱いで(やっぱり絨毯の上を土足で歩く勇気はなかった)、窓際の高級そうな革張りソファに腰を下ろした。
グゥゥゥゥッ……。
静まり返った部屋に、俺の腹の虫が間抜けな音を響かせる。
昼からずっと全身タイツで跳ね回ったり関節を軋ませたりしていたため、体力は限界、胃袋は空っぽだった。
俺は、重厚なガラステーブルの上に置かれていた、革装丁の立派なメニュー表に手を伸ばした。
「せっかくスタプロのおごりなんだ。ここは一つ、インフルエンサーらしく、ガッツリと高級なメシでも食ってやろうじゃねえか。ステーキとか、キャビアとかさ」
俺はニヤリと笑い、メニューのページを開いた。
「えーっと、まずは夕食のページっと……」
『特製ビーフカレー:4,500円』
『クラブハウスサンドイッチ:3,800円』
『フレッシュオレンジジュース:1,800円』
『季節のフルーツ盛り合わせ:6,000円』
「…………は?」
俺の視線が、メニューに書かれた数字に釘付けになった。
「よ、よんせんごひゃくえん? カレーが? カレーライスが一皿、四千五百円!?」
俺は思わず、メニュー表をテーブルに叩きつけた。
「ふざけんな!! どんな牛の肉使ってんだよ!! その牛、生前ロレックスでも腕に巻いてたのか!? オレンジジュースが千八百円!? 帯広のスーパーなら、箱で買えるぞ!!」
四千五百円。
それは、俺が底辺時代に一週間を生き延びていた食費の総額である。
「だ、ダメだ……。落ち着け、ルシフェル。これは俺が払うわけじゃない。神崎さんが経費で落とすって言ってたじゃないか。俺はただ、内線で電話して注文するだけでいいんだ」
俺は震える手で、ベッドサイドにあるお洒落な電話機の受話器を握った。
だが、ダイヤルを回そうとした瞬間、俺の脳裏に『あいつ』の顔がフラッシュバックした。
分厚いバインダーを持ち、メガネを光らせた市役所の鬼教官、鈴木さんだ。
『ルシフェルさん。経費だからといって無駄遣いをしてはいけませんよ。四千五百円のカレー? もちろん、そこには10%の消費税が含まれています。四百五十円ですね』
脳内の鈴木さんが、冷酷な声でささやいてくる。
「ひぃっ!」
俺は受話器をガチャンと元に戻した。
「そ、そうだ……。経費で落ちるとはいえ、スタプロはその四千五百円を払うんだ。ってことは、明日の3Dコラボで俺がスベって数字を稼げなかったら……『カレー代も稼げない無能なおっさん』として、一生裏で笑い者にされるんじゃねえか!?」
俺の四十年間染み付いた『貧乏性』と『底辺の卑屈さ』が、完全に暴走を始めていた。
高級ホテルのルームサービスという『見えない圧力(プレッシャー)』に、俺のメンタルは完全に押し潰されてしまったのだ。
「む、無理だ……。こんな貴族の食べ物、俺の安い胃袋に入れちまったら、絶対に拒絶反応を起こして腹を下す。明日の本番前に腹を壊したら、それこそ大惨事だ……ッ!」
俺は革装丁のメニュー表をそっと閉じ、テーブルの端の、絶対に手の届かない場所へと押しやった。
「……コンビニ。コンビニに行こう」
俺は立ち上がり、ヨレヨレのグレーのパーカーを再び羽織ると、財布だけを握りしめて部屋を飛び出した。
エレベーターで一階に降り、キラキラしたロビーをコソコソとすり抜け、港区の夜の街へと出る。
高級車が行き交うネオンの海を、背中を丸めた四十歳のおっさんが、獲物を探す野良犬のように徘徊する。
五分ほど歩いて、ようやく見慣れた看板を見つけた。
全国どこにでもある、安心と信頼のコンビニエンスストアだ。
「あぁ……落ち着く……。この蛍光灯の白い光、最高だ……」
俺は逃げ込むようにコンビニに入り、真っ直ぐにカップ麺のコーナーへと向かった。
そこには、俺が帯広の四畳半でいつもすすっている、あの『限界みそラーメン』が、都会のど真ん中でも変わらぬ姿で陳列されていた。
「お前……東京にもいたのか。しかも値段、百五十円のままだ……!」
俺は感動のあまり涙ぐみながら、限界みそラーメンを二つと、特売の玄米おにぎり、そして缶のストロングチューハイをカゴに叩き込んだ。
お会計、しめて約六百円。ルームサービスのオレンジジュース一杯の、三分の一の値段だ。
ホテルに戻り、俺は再びあの王族のような部屋のドアを開けた。
「ふぅ……。やっぱり、俺にはこういうのが一番性に合ってるんだよな」
俺は、大理石のバスルームでお湯を沸かし、カップラーメンに注いだ。
三分後。
東京タワーの絶景を見下ろす、一泊数万円は下らない高級ホテルの窓際のテーブル。
そこに、百五十円のカップラーメンと、缶チューハイが並べられている。
「……いただきます」
ズルズルズルッ!
静寂のスイートルームに、四十歳のおっさんが麺をすする下品な音が響き渡る。
「……くぅぅぅっ! しょっぺえ! 化調の味がバチバチに効いてやがる! 港区の夜景を見ながら食う限界みそラーメン、五臓六腑に染み渡るぜぇぇ!!」
俺は缶チューハイをプシュッと開け、一気に喉に流し込んだ。
安いアルコールが、今日一日の緊張と、全身タイツの羞恥心、そしてインボイスの恐怖を、少しだけ麻痺させていく。
「あははは……。なんだよ俺、何百万も稼いでるはずなのに、結局やってること帯広のボロアパートと何も変わらねえじゃねえか……っ」
俺は、チューハイの缶を握りしめたまま、窓の外の煌びやかなネオンを見つめて自嘲気味に笑った。
稼いでも、稼いでも。
俺の魂は、この百五十円のカップラーメンの味に縛り付けられた『底辺』のままだ。
どんなに立派な3Dの体を手に入れようと、どんなにトップアイドルにチヤホヤされようと、俺の中身は、金と税金に怯える四十歳の情けないおっさんのままなのだ。
「……上等だ」
俺は、カップラーメンのスープを最後の一滴まで飲み干し、ドンッとテーブルに容器を置いた。
「底辺には底辺の、戦い方がある。俺はこのカップラーメンのエネルギーで、明日のコラボ、絶対に大成功させてやるからな……ッ!」
東京タワーの赤い光が、パーカー姿の四十歳の顔を妖しく照らし出している。
明日はいよいよ、星乃宮アリスとの本番3Dコラボライブ。
税金と貧乏性を背負った男の、一世一代の大勝負の夜が、静かに更けていくのであった。
コメント
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いやあ、読み終わって思わず笑っちゃいましたよ(笑)。高級ホテルのスイートルームで「限界みそラーメン」とストロング缶チューハイって、そのギャップがもう最高すぎます。ルシフェルさんの「貧乏性」が脳内の鈴木さんまで召喚しちゃうところ、細かい心理描写がリアルでめっちゃ好きです。でも「底辺には底辺の戦い方がある」って開き直ったラスト、なんか胸熱でした。明日の本番、楽しみですね!
ゆうき あきや
1,642
厚揚げ衣
20
なんたろ
1
いちご@ホロオタ×ぴちりす
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