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人物
女王
目覚め 侍女
象牙の椅子 王子
演じる者 俳優
老王
従者たち
兵士たち
場所
救いの手王国 王子の寝所
時代
後期王国時代 秋 夕方
第一幕
王子の寝所にて幕開く。下手に部屋を出入りする扉。中央に王子の寝台。
寝台には横たわる王子の遺体。遺体の左手に女王、遺体に覆いかぶさり泣いている。遺体の右手に侍女と従者たち、目を伏せている。
(女王、泣き止み、従者たちを睨み上げる)
女王 何ゆえに。何ゆえに、我が最愛の息子が、貴き王の子ゾーフェアが息をしていないのか。答えよ!
(従者たち、互いに目配せ。年長の者が進み出る)
従者 陛下のご心痛、いかばかりかと存じます。かかる悲劇、国史にも数えるほどの不運は避けようもなく、地の底に坐す分け隔てなき神の思し召しと申し上げる他ありませぬ。我ら従者一同、殿下のご用命を賜り、鹿追いにご同行致した次第でございます。我ら勢子として馬にまたがり、射手たる殿下の元へ鹿を追い込んでおりました。しかしながら待てど暮らせど、射たりとも外せりとも聞こえず、殿下の元へと馳せ参じましたところ、殿下は地面に倒れ伏してございました。おそらく落馬なさったのではないかと拝察いたします。
(女王、再び大声で泣く。エザス、従者たちに目配せ。従者たち、退場する。女王、従者の退場を確認し、泣き止む)
女王 (平気そうな声で)皆、出ていったか?
エザス はい、陛下。
女王 耳をそばだてている者はおらぬか?
(エザス、上手の様子をうかがう)
エザス はい、陛下。御手多き神の抱擁とその温もりに誓って、私の他には誰もおりません。
(女王、ゆっくりと立ち上がり、王子の遺体を見下ろす)
女王 これはまずい。エザス。とてもまずいことになった。
エザス はい、陛下。陛下の立場はとてもおまずい状況です。側妃であった陛下が老王に代わり女王に君臨されたのは老王の子を成したればこそ。老王はともかく、重臣どもがどのような気を起こすか分かったものではありません。
(女王、呆れた様子でエザスを見る)
女王 みくびるでない。我が地位など塵ほども惜しくないわ。それよりもあの人だ。我が王に何と申し開く。我が子が身罷ってなおわたしが案じるのはあの人のことばかりだ。冷淡な母だと思うか?
エザス 滅相もございません。(言いよどみながら)両陛下の夫婦愛を疑う者はおりません。
(女王はエザスの言いよどみに気づくが気づかないふりをする)
女王 あの人は老いでただでさえ弱っておられる。だというのに、これ以上の心痛はない。
エザス 心中お察しします。
女王 魔術師とて人は生き返らせられぬか。
エザス 元より私は落ちこぼれにつき、陛下のお側にてお世話させていただけるだけでも光栄の極みにございます。また、いずれにせよ、たとえ塩海の島々から分かつ河の大洋まで名高い魔法使いとて死者蘇生は叶いませぬ。
女王 ならば、わたしが何を考えているか、分かっておるな、エザスよ。
エザス はい、陛下。使命と予兆を司る神とて陛下の秘密とお考えを察することはできますまいが、私だけは己がことの如くお察し致します。しかしお勧めは致しません。あの者の使い道はいざという時の影武者と決めたはず。万が一。
女王 (エザスの言葉を制して)何を言う。今こそいざという時だ。何としても我が息子を蘇生させなくては。即刻ヒュポックを連れて参れ。
エザス (言葉を呑み込み)畏まりました。
(エザス、退場する。女王、苛立たし気に舞台を右往左往する。間。エザス、ヒュポックを伴って上手より入場する)
エザス 連れて参りました。
女王 よく参った、ヒュポック。話は聞いておるな。
ヒュポック ははあ、陛下。道中、エザス殿にしかと伺っております。要するに札に憑りついた霊である私が王子の遺体に憑りついて王子を演じろ、とそういう訳でございますな。
女王 その通り。あの人にも臣下にも国民にも愛され、その武勇に諸国も震え上がる我が息子ゾーフェアが身罷ったとなればこの国にどれほどの不幸がのしかかるか、想像に難くなかろう。この国を救うのだ、やってくれるな。
ヒュポック しかし陛下。私はいざという時に影武者として働くため重用してくださったのではありませんか? そのいざという時が来た際はいかがいたしましょうか?
(女王、思案する)
女王 (独り言のように)無論、優先すべきはわたしでも王子でもなく王。されど我が王と離れ離れになるわけにはいかぬ。(決心した様子で)言わずもがな我が身、我が地位、我が栄光を羨み、やっかむ者がいる。その時は適当な娘に乗り移ってわたしのふりをすれば良い。顔を血か煤で汚せば、お前の演技力に誰もが騙されよう。
(ヒュポック、気乗りしない様子)
ヒュポック しかし、果たして王を騙せましょうか。何より陛下のご寵愛を受ける殿下の中身が入れ替わって入れば、私の演技すらも看破なさるやもしれません。(自分のことのように自信ありげに)病によって床に臥せども、なおその瞳には鋭い知性の輝きを覗かせる賢王にあらせられます。
女王 (自分のことのように嬉しそうに)そのような懸念は当然のこと。しかしお前も演技にかけては世に並ぶ者なき才があろう。何を気弱なことを言う。お前の演技にかかれば、騙されるのは人ばかりではない。木々を演じればその腕に鳥がとまり、風車を演じれば大いに風が吹こう。お前が演じたならば世の果てまでをも見通す神々すらも欺こう。
ヒュポック お褒めに与り光栄至極にございます。しかしながら。
女王 (ヒュポックの言葉を制して)ええい! ぐだぐだと抜かすな! 長き封印から解いた恩を忘れたか! また長い年月を闇に捨て去りたいか!
ヒュポック 滅相もございません。とは言うものの。
(女王、目を伏せるヒュポックに疑いの目を向ける。そして再び王子に大袈裟に覆いかぶさり、泣き喚く)
女王 何が気に食わぬというのだ。お前にできなければ誰にできようものか。その流し目で女を殺し、その科で男を殺すお前以外に。ただ、王子を演じるだけだ。人気の俳優よりもさらに良い暮らしができるではないか。
(女王、はっと顔をあげてしおらしく振舞う)
女王 そうか。演劇が好きなのだったな。無論、俳優としての時間も作ってやる。一人二役はお手の物だろう。どうなのだ? まだ不満があるか? 大恩ある女王陛下にこれだけ頼まれてもできぬと申すか?
(ヒュポック、困った様子で侍女の方を見るが侍女は見て見ぬふりをする)
ヒュポック 畏まりました、陛下。やってみましょう。
(女王、喜びを隠せぬ様子で王子から離れる。ヒュポック、気の進まない様子で王子に近づき、札を懐から取り出し、王子の袖を捲り上げて腕に貼り付ける。ヒュポック、力を失ったようにその場にうずくまる。王子ゾーフェア、起き上がる。女王、母親のように心配する下手な演技で王子に縋り付く)
女王 ああ、愛する我が子よ。よくぞ古き死の褥より戻りました。魂を喰らう古の獣とて英雄の煌びやかな魂を喰らうは恐れ多かろうことでしょう。
ゾーフェア 母上。どうやら随分ご心配をかけた様子。しかしこれこの通り、貴き父母の子はこうして現世の空気を肺いっぱいに吸っております。どうかご安心めされよ。
女王 ええ、ええ、母はようやく安心しましたとも。
(女王、立ち上がり、侍女に目配せする)
女王 では、防腐の術、その他万事よろしく。
(エザス、深く頭を下げる。女王、下手の扉から部屋を出て退場せずに聞き耳を立てる。ゾーフェア、女王の足音が聞こえなくなったことを確認し、深いため息をつく)
エザス 女王は行ったみたいね。
ゾーフェア さて、まずいことになった。
エザス ええ、ヒュポック。とてもまずいことになったわね。
ゾーフェア どうして助けてくれなかったんだ。一人二役の時点で無理難題ではないか。
エザス 分かっているわ。だけどどうすれば良かったというの? 女王に全て話せと?
ゾーフェア まさか。だが、だが、どうする? 俳優は一時休業だ。こんな事態だからな。だが、それでも一人二役だ。王と王子、同時にこなすなど不可能だ。たとえ命令されてもな。元はと言えばあんたが。
エザス (ゾーフェアの言葉を制して)黙って。今考えているの。落ちこぼれがここまで来たのよ。私は危機を好機に変えてきた。王の死を知られぬよう、王子の死を知られぬようにするには。(はっと顔を上げる)いいえ、そうね。そうよ。やはり危機は好機に変わる。王の死を利用したように、王子の死を利用する必要はない。王の死を明かしてしまえばいい。
ゾーフェア 意味が分からない。あんたは縛り首、私は永遠に札の中の暗闇だ。
エザス 女王を殺しましょう。
ゾーフェア 正気か? 身の丈に合わない欲をかけば身を亡ぼすぞ。
(エザス、声量を気にしつつ笑う)
エザス 逆よ。身の丈に合わない幸福こそが真に価値のある幸福なのよ。己のせこい能力で己に見合わない栄光を得てこそ儲けものというものよ。
(ゾーフェア、呆れた風にしつつも受け入れ、頷く)
ゾーフェア だがどうする? 一人三役をやれと?
エザス 馬鹿ね。ゾーフェアさえ生きていれば、あとは王位を継ぐだけよ。
(ゾーフェア、渋る。腕を組み、悩む)
エザス 大恩ある女王は殺せない? そんなたまじゃないでしょう? 大体あなたの封印を解くのには私も協力したのよ。女王に恩を感じるなら私にも感じるべきでしょう?
ゾーフェア いや、自分で言うのも何だが私は恩知らずなんだ。
(エザス、噴き出すように笑う)
エザス なら都合がいいわ。
ゾーフェア だが、付き従うなら信頼できる者、有能で、何より正直な者が良い。
エザス 私は女王に相応しくない?
ゾーフェア いや、だが私に相応しくない。
エザス そう。なら仕方ないわね。
(エザス、ゾーフェアに近づき札を剥がす。ゾーフェアは意識を失う)
エザス ずっとただ女王に付き従っていただけじゃないのよ。あんたの封印を解くのを手伝って、あんたを意のままに操る方法を知ったのは私だけ。
(エザス、再び札をゾーフェアに貼る)
エザス 女王を殺しなさい。
(ゾーフェア、起き上がり、寝台を下りる。扉の裏の女王が逃げるように下手へと退場する。ゾーフェアは扉を開け、下手へと退場する。エザス、上手へと退場する)
暗転。
王と女王の寝所。寝台で一人眠る女王。そこへ短剣と燭台を持って忍び込むエザス。
エザス 命令できる、それだけとはね。女一人殺せない奴には命じても無駄ってわけね。
(エザス、女王の寝言に驚き、息を潜める。寝台に忍び寄ると短剣を振り下ろす。一斉に明かりがつく。兵士たち、松明を持って上手、下手から勢いよく入場する。女王、最後に入場する。エザス、勢いよく布団をどかす。老王の遺体が現れる)
エザス 確かに女王の声だった! 私は騙されたのだ!
(誰も聞く耳を持たない。エザス、兵士たちに連行される。女王、老王のそばに近寄る)
女王 そういえば、わたしは其方に相応しいのだとか。
老王 滅相もございません。演じる者を使いこなす者は正直者であるべきだと愚考する次第です。
(女王、小さく笑う)
女王 長らくわたしを欺いていた罪、しっかりと償ってもらうぞ。
老王 畏まりました、女王陛下。