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「ったく、何をしているんだ」
不機嫌そうに携帯を置いた遥。
どうやら萌夏ちゃんと連絡がつかないらしい。
よほどのことがなければ仕事中に連絡をすることのないおばさまもわざわざ電話してくるくらいだから、みんなで心配しているってことだろう。
「帰った方がよくありませんか?」
「ああ」
返事はするものの腰を上げる様子がない。
たまたま打ち合わせで同席していた社長も気にはしていたけれど、会食の時間が迫っていて部屋を出て行ってしまった。
この後急ぎの仕事は入っていない遥は、このまま帰宅することもできる。
「おばさまも随分心配そうでしたし」
遥が帰ってあげるのが一番いいと思う。
遥だってわかっているはずなのに・・・動く気配はない。
「帰らないんですか?」
デスクの前まで行って見下ろした。
「まだ詰めておきたい仕事があるんだ」
「それは今しなければいけないことですか?」
「あぁ?」
ギロリと睨む遥。
でもね、多少睨まれたからって私は怯まない。
遥なんてまだ学生服を着ていた時から知っていて弟みたいな存在。凄まれたって怖くはない。
大体、子持ちのアラサー女をなめるんじゃないわよ。
「今は萌夏ちゃんの所在を確認するのが先決だと思いますが?」
「礼、お前・・」
何か言い返したそうに口を開いたものの、遥は黙ってしまった。
***
「帰るべきですよ」
「たまたま電話が繋がらないだけかもしれないじゃないか」
遥も萌夏ちゃんが心配なはず。誰よりもやきもきしているに違いない。
それでも自分の責任を全うしようとする遥を、上司として経営者として立派だと思う。
でも、恋人としては最悪。
「たとえそうでも、それを確認するべきです」
「はあぁー」
大きなため息とともに、やっとデスクを片づけ始める遥。
「何かわかったら知らせてください」
「ああ、礼ももう帰れ」
「はい」
言われなくてもすぐに帰る。
ただでさえ大地のことが心配で仕方ないんだから。
「すみません、川田さん」
いきなり秘書室から声がかけられた。
「はーい」
遥が帰り支度を進めているのを確認して、私は専務室を出た。
専務秘書室には秘書課の田中さんがいて、私を待っていた。
「ごめんなさい。何かあった?」
各取締役にはそれぞれの執務室に隣接する秘書室があり、専属秘書たちはそこで業務に就く。
それ以外に専属を持たない一般秘書達の詰める秘書室があり、田中さんもその一人。
「小学校から電話が入っていまして」
「え?小学校?」
「はい。専務とお話し中でしたからご用件を伺って折り返しますとお伝えしたのですが、待つとおっしゃいまして」
えー、どうしたんだろう。
よっぽど急ぎってことよね。
「で、まだつながっているの?」
「ええ」
「ああ、そう。出るわ」
不安な気持ちしかないけれど、出ないわけにはいかない。
***
「お待たせしました、川田です」
「青葉小学校の森です」
「いつも大地がお世話になっています」
森先生は大地の担任。
まだ若いけれど優しくてきちんとした先生で、私もいい印象を持っている。
「あの、携帯をご覧になりましたか?」
「え、あぁ、すみません。今日はお昼も忙しくて、携帯を見る暇がなくて・・・」
鞄に入れたまま一度も見ていなかった。
「そうですか。お母さんもお忙しいですよね」
「ええ、すみません」
「実は、今日大地君が登校していませんで」
「はあ?」
そんな馬鹿な。
朝はちゃんと朝食を用意して、支度をさせて『忘れ物はないわね』って声をかけた。
仕事が溜まっていて早めに出たから大地が家を出るところまでは見ていないけれど、学校には行ったはず。
「おうちに電話したら大地君が出まして、『朝から熱が出て今日はお休みした。お母さんが学校に電話するって言っていた』と言うので連絡を待っていましたが」
「そんなぁ」
大地が嘘をつくなんて・・・
ガタッ。
体の力が抜けて、膝から崩れた。
「礼、どうした?」
物音を聞きつけた遥が駆け寄ってくれた。
「大丈夫、大丈夫だから」
何とか立ち上がり、数回深呼吸。
「先生すみません。至急確認して連絡させていただきますので」
「わかりました。突然職場にまでお電話して申し訳ありませんでした」
電話を切っても私の動機は止まらない。
それでも、今は大地に話を聞かないといけない。
「すみません、私これで失礼します」
「落ち着いたら、連絡しろ」
バックを持ち駈け出そうとした私に遥が声をかける。
私はウンウント頷いて走り出した。
***
子供の頃に両親と別れ身寄りのいない私は、唯一の家族である大地を大切に育ててきた。
父親がいなくて寂しい思いをさせたかもしれないけれど、2人分の愛情を注いできたつもりだし、血はつながっていなくても、平石のおじさまとおばさまは大地のことを孫のようにかわいがってくださっている。
親の愛情を受けた記憶のない私からすれば、大地は幸せ者だと思う。
「もう、何考えているのよ」
自宅へ向かう電車の中でつい愚痴が出てしまった。
そういえば、最近大地の態度に気になる点があった。
食事や服や休日の予定など、今までだったら「それがいい」「それは嫌」とはっきりと言ってくれたのに、何も言わず明らかに不満そうな顔をすることが増えた。
「ごめん、嫌だった?」と聞いても帰ってくる返事は「別に」だけ。
「別にじゃわからないでしょ?」と言うと、プイと自分の部屋に消えてしまう。
そんなことが何度かあったが、ママ友に聞くと「早めの反抗期ね。放っておくのが一番よ」と言われ私もしつこく言わないようにしていた。
ああそうだ。
先生からメールが来ているはずだと思い出し、携帯を確認する。
えっ。
そこには今日が参観日だったと書いてある。
もしかして大地が学校を休んだ理由はこれかもしれない。
大地は私が参観日に来るのが嫌だったのか、最近忙しくしている私に気を使ったのか、どちらにしても私のせいだ。
悔しい。
絶対に寂しい思いも肩身の狭い思いもさせないってそう思って必死に育ててきたのに。
これじゃあ何のために8年頑張ったんだかわからない。
電車に揺られながら、鼻の奥がツンとする感覚と戦った。
泣かない、絶対に泣かない。8年前大地を生むときにそう決心したんだから、頑張らないと。
***
急ぎ足で自宅マンションに帰ると、大地はいなかった。
部屋の電気も消えていて、人のいた気配もしない。
時刻は7時過ぎ。
小学3年生にしては遅い時間だろうと思う。
今までこんなに遅くまで帰ってこないことはなかった。
外も大分薄暗くなっているし、こんな時間に行くところもないはず。
困ったなと頭を傾けながらマンションを飛び出そうとした時、
ブーブーブー。
携帯の着信。
あれ、高野君?
意外な人からの着信に驚いた。
「もしもし」
「高野です」
「お疲れ様」
「どうも」
ん?
なぜか不機嫌そう。
「どうしたの?高野君が電話なんて珍しいわね」
「そうですか?」
昨年一年は営業部にいた高野君。私は教育係として親しくしていた。
この春、実はうちの社長の息子のような人だと聞かされHIRAISIの企画室に移動になった時には少しショックだった。
「で、どうしたの?」
「大地君がうちにいます」
「はああ?」
なぜ?
大地と高野君に面識があるはずないのに。
「俺の部屋、5033号室なんで迎えに来てもらえますか?」
「わかった。すぐに行くから」
そこで待っていなさいと念を押し、部屋を駆け出した。