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ウールウォード邸の周囲は、朝から落ち着きがなかった。
正門の前を行き交う人の数も、普段より明らかに多い。
王城で、若き貴族らの集い――デビュタントが開催される日。
それは何も、主役の屋敷だけの話ではない。
仕立て屋、装身具の商人、花売り。
今日という日を当て込んで、商いの匂いを嗅ぎ取った者たちが、あちこちをうろついている。
(……いるわね)
ダフネは、通りの端に立ち、視線だけで周囲を探った。
しばらくして、花籠を抱えた少年が目に留まる。
ほかの者たちのように豪奢ではない。
明らかに裕福とは言い難い身なりで、それでも今日という日を当て込んで、必死に客を探している様子だった。
常日頃ならそれほど売り上げにはならないだろうが、あるいは今日ならば、常より需要があるだろうことを期待している雰囲気の、流しの花屋だ。
ダフネは迷わず、その少年に声をかけた。
「そこの花屋さん、少しよろしいかしら?」
花屋の男の子は一瞬だけ驚いた顔をしてから、すぐに愛想のいい笑みに切り替えた。
「はい、お嬢さま。――どの花にいたしましょう?」
少年が花かごを差し出してくるのを、片手をあげて軽く制すると、
「私ね、そのかごごと買い取ってもいいと思ってるの。でも……そのためにひとつ、お願いを聞いて欲しいんだけど、どうかしら?」
戸惑う少年に畳みかけるみたいに、ダフネは手早く小さな袋を差し出した。
中身を確かめるまでもなく分かる量の、金。
それを男の子のポケットへ滑り込ませながら、続ける。
「そこのお屋敷。ウールウォード伯爵家のご令嬢、リリアンナ・オブ・ウールウォード様に、お届け物を言付かっていると伝えて欲しいの。もちろん、あなたから買う予定のそのかごのお花よ? 私がそのかごを持っていてあげるから、屋敷の外で直接お渡ししたい、と伝えて、彼女をここまで連れて来ていただける?」
花屋は一瞬、言葉を失った。
「……あの、でもそれは……」
明らかにおかしな申し出だ。ダフネにだってそのくらいは分かっている。
「私ね、理由あってリリアンナ様と引き離された、彼女の腹違いの妹なの。本当はお義姉様にお会いするのは禁じられているのだけれど……今日はお義姉さまの晴れの日だって聞いて、いてもたってもいられなくてお屋敷を抜け出して会いに来たの」
――本当は、腹違いでも何でもない。
だが、真実なんて、今はどうでもいい話だ。
「……それは……」
「気の毒だと思ってくださるなら、お願い。私の願いを聞き届けてくださる?」
声を震わせて、涙を浮かべてみせる。男は、女の涙に弱い。
それはきっと、幼い少年にしても同じだろう。
「あなたには迷惑はかけないわ。呼び出してくれれば、それで十分だから」
潤んだ瞳で少年を見つめ、彼の荒れた手をぎゅっと握ったら、その手にぐっと力が込められたのが分かった。
少年は自分の手を取るダフネの白い手指と、ポケットに入れられた袋のふくらみとを視線で交互に確認すると、やがて小さく頷いた。
「……俺が、必ずあなたのお姉さんを呼んできます!」
「ありがとう。――お義姉様を無事連れ出してここまで連れて来てくれたら、今渡したお金に、花代も付け加えるわね」
それだけ言って、ダフネは一歩引く。
そうして花屋の少年が、ちらちらとダフネの方を振り返りながらも、正門へと向かうのを花かごを手に物陰から見送った。