|新藤《しんどう》|鈴々《りり》先生 著
俺たちを繋ぐ証が欲しい。
どこにいても特別だとわかるように。
「|貴瀬《きせ》部長。これ……」
「ああ。|森上《もりかみ》はいつも頑張ってくれていたからな。お礼だ」
俺とお揃いの腕時計。
森上は気づいただろうか。
時計を腕にはめて、照れ臭そうにうつむく。
この俺の気持ちを打ち明けるべきか?
「森上――」
「おい。森上、いるか」
直属の上司である課長が森上を呼びにきた。
森上はハッとして、腕時計を隠した。
それは一瞬のことだったが、俺の心を深くえぐった。
隠さなくてはいけない気持ちなのだ。
これは。
人に知られてはいけない。
「ありがとうございます。貴瀬部長。嬉しかったです、大事にします!」
微笑んで森上は課長と去っていく。
今はそのお礼の言葉がなにより嬉しい。
せつなさより喜びが勝るのはこの瞬間だけなのにな――
【続】
タンッとエンターキーを押した。
ティシュの箱を抱えて、涙をふく。
「ううっ! 課長めー! 二人の間を邪魔して!」
貴瀬部長の好意に気付きながらも、森上|葵葉《あおば》はそれを聞けないんだよ!
勇気だけじゃなくて、常識や世間体を捨て去らなくちゃいけないから。
なんてせつないのだろうか。
葵葉ぁぁっー!
チーンッとティッシュで鼻をかんだ。
「あー、いい話だった」
泣いている場合じゃない。
さて出掛けよう。
今日は金曜日。
明日は仕事だけど半日だけの出勤だし、休日前のワクワク気分を味わいたい。
この最高な気分は今しかないんだよ!
――まだ十九時。夜はこれからだ!
近所の本屋は深夜まで開いている。
三階まである本屋は各階ごとにジャンル分けされていて、豊富な品揃えが魅力的。
一階部分にはコーヒーショップがあり、軽食を食べることができる。
良さげなBL小説片手に(ブックカバーはかけてもらいます)コーヒーショップでまったりするのもいい。
金曜ならではの過ごし方。
マンションを出て本屋へと向かう。
徒歩で数分の距離に本屋があり、利用しているのは私と同じような年齢の人か、大学生くらいの客が多い。
本屋の自動ドアがガッーと開く。
――この瞬間から、すでに私の戦いは始まっている!
ミニ鈴子達が貴族の狩猟スタイルで現れた。
手には猟銃を持っている。
ふぁさっと髪をかきあげ、キラキラしたオーラを放つ。
なに、その高貴ないで立ちは……
『紳士淑女の皆様。ようやくこの時間がやってまいりました!』
『本日の狩りが始まります』
『獲物(BL本)を追え!』
『逃がさないわよ! 私の兎(BL本)ちゃん!』
『定番の大先生のものから、埋もれがちな昔の作品まで探し尽くせ!』
『名作が必ず隠れていると信じて、さあ!』
視線を走らせる。
うむぅ。
結構、読んでしまってるなぁ。
最近のマイブームもあるからね。
ちらりと目の端に入ったイラスト。
『そこぉっ!』
スドーンと銃口が火を吹く。
『やったぁあああ!』
『これ、お気に入りのイラストレーターさんが挿し絵しているやつ。それも初期のだよー』
『超ラッキー!』
これぞ、本屋の醍醐味。
電子もいいが、本屋でしか味わえないこの狩人感。
出会った時の感動は言葉にできない。
「達・成・感……!」
ぎゅっと本を抱き締めていると、パンダ柄のエプロンをした店員さんの視線を感じて会釈をした。
――しまった。変態だと思われた。
気まずい空気を感じたけれど、店員さんもそれは同じだったのか、遠慮がtに向こうからも会釈された。
常連であると知っていそうだけど、BL本を抱きしめて目が合うこの状況はキツイ。
週末になるとBL売場に現れる女。
それが私。
早くレジを済まそうと、本をレジへ持っていき、カバーをかけてもらう。
店員さんはなにも言わずに、黙って会計をしてくれた。
――その優しさの半分はなにでできてますか?
受け取るまでの間がやけに長く感じた。
会計を済ませ、そそくさと一階のコーヒーショップへ向かう。
ゲットした獲物を手に、メニューを眺めた。
ソイラテとチーズケーキ、健康(?)を気遣ってレタスたっぷりのサンドイッチをチョイス。
うん。健康健康……っと。
ま、まぁ。金曜日だからね!
週末の理由にしながら、席について、熱いソイラテを一口飲む。
「はー、この一杯のために生きている」
外は春の夜。
大きな窓ガラスからは車道を挟んで一本だけ桜の木が見える。
まだ蕾で花は咲いてない。
片手にはソイラテ。
もう片手には小説(BL)。
なんて知性的な絵面だろうか。
「チーズケーキも美味しいし、大正解の金曜日スタイル!」
もぐっと口の中にチーズケーキを放り込んでスマホを見ると、メッセージが入っていた。
「う、うぐっ!?」
メッセージを確認した瞬間、チーズケーキが喉につまりかけ、慌ててソイラテを飲んだ。
「な、なぜ、|一野瀬《いちのせ》部長が私のスマホの番号を知ってるの!?」
両手でスマホを持ち、メッセージ画面を食い入るように見る。
『お疲れさま。一野瀬です。休みの日に出勤させてしまって本当に申し訳ない。明日、仕事が終わったらおわびに昼食をご馳走したいと思っている。時間をあけてもらえないかな?』
な、な、なんだってー!
ズザッとテーブルにうつ伏せた。
いや、上司としては完璧よ?
部下へのフォローという面では――
『なんて気がつく上司! なにをご馳走してくれるのかな? わくわく!』
こうなるのが普通よね。
でも、私は違う。
早く仕事から解放されたい。
あの自由な空に飛ぶ鳥のように。
空を見上げたけど、夜なので鳥は飛んでいなかった。
残念。
「これをどう解くか」
私へのお誘い?
それとも上司として部下に対するねぎらいを見せただけ?
どっちだろう。
あのイケメン部長の顔を思い浮かべた――そして、ロレックス。女子社員にモテモテ。超エリートの出世株。
はい、後者だ! 後者に間違いない。
――私はただの部下!
一番の謎である葉山君とお揃いの腕時計の謎もまだ解けてない。
濃厚な二人の恋人説。
――ぐはっ! た、たまらん!
ニヤニヤしながら、今日の二人を思い出す。
ペアルック、二人の近い距離、目と目で会話をしているような空気。
ああ、知りたい。
知りたくてたまらない。
まるで恋心に似た苦しさよ……
いや、恋なんてしばらくしてないな。
そこまで考え、ふと頭の中に|遠又《とおまた》課長の言葉が浮かんだ。
『ちやほやされるのもあと一年くらいだぞ。どんどん若くて可愛い女子社員に追い抜かれていくんだからな』
わかっている。
周りがそういうふうに、私を見て思っていることくらい。
だからって、私が遠又課長のお誘いに乗るかどうかはまた別の話よね。
二十八歳の春。
私の恋はまだ始まっていなかった。
まだ咲かない夜桜を静かに眺めながら、温くなったソイラテを口にしたのだった。
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