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第2話
『見える位置に立つ』
入学式のマイクは、少し割れて聞こえた。
講堂に響く拍手は、振動だけが先に届く。
小鳥遊蒼空は、前の席の人の肩越しに、壇上の口元を見ていた。
ゆっくり話してほしい。
でも、そんなことは言えない。
高校までと同じように、
“ちゃんと聞こえている顔”をしていればいい。
それが癖になっていた。
⸻
介護実習、初日。
「同性で身長順に並んでください」
蒼空は列の後ろへ移動する。
そして、影が落ちた。
振り向く。
高い。
思わず見上げる。
京極海。
背が高くて、無口で、表情が薄い。
正直、少し緊張する。
「……隣、いい?」
蒼空は口元を見る。
「どうぞ」
低い声。
でも、はっきりしている。
言葉の形がきれいだった。
それだけで、少し安心する。
⸻
三人ずつグループが決まっていく。
最後に残ったのは、二人。
170センチと190センチ。
「そこ、二人で組んで」
余りもの。
でも、なぜか嫌じゃなかった。
⸻
車椅子実習。
蒼空が利用者役になる。
海が後ろに立つ。
「押す」
短く、区切って言う。
聞き取りやすい。
段差の前。
「上げる」
ぐらり、と揺れる。
視界がぶれる。
蒼空は反射的に、海の腕を掴んだ。
掴んだ瞬間、思う。
——聞き取れなくても、怖い。
音が割れて、距離感がずれる。
その一瞬が、一番不安だ。
「大丈夫」
海は、蒼空の正面に回った。
ちゃんと口元が見える位置。
「段差、終わった」
ゆっくり。
はっきり。
蒼空は一瞬、驚く。
偶然?
それとも。
「……ありがと」
「別に」
海は目を逸らす。
でも、距離は離れない。
⸻
次は海が利用者役。
座っても、やっぱり大きい。
「重くね?」
「平気」
蒼空はハンドルを握る。
段差。
少し力が足りない。
体が前に傾く。
海が自然に手を伸ばす。
掴むのではなく、支える。
「焦るな」
低い声。
「ゆっくりでいい」
その言葉が、胸に残る。
あの日のホーム。
動けなかった自分。
焦って、何もできなかった自分。
でも今は。
隣にいる人が、焦らなくていいと言う。
⸻
実習の終わり。
ロッカーが勢いよく閉まる。
金属音が割れて届く。
蒼空の肩が跳ねる。
視界が揺れる。
聞き取れない空間は、怖い。
その瞬間。
海が蒼空の視界に入る。
「ただのロッカー」
口の動きが、はっきり見える。
「びびるな」
少しだけ口角が上がる。
蒼空は小さく笑う。
「聞こえてる」
「ならいい」
短いやりとり。
でも。
置いていかれていない。
音に置いていかれそうになっても、
海はちゃんと、見える位置に立つ。
⸻
帰り道。
蒼空はふと聞いた。
「海ってさ」
「ん?」
「なんで、俺の正面に立つの」
一瞬の沈黙。
海は視線を外し、少し考えてから言う。
「見えないと困るだろ」
当然みたいに。
特別扱いでも、同情でもなく。
ただ、自然に。
蒼空の胸の奥に、波が立つ。
——この人は、知ってる。
たぶん、気づいてる。
でも、何も言わない。
それが、ありがたかった。
強くなりたくて来た大学で。
初めて。
“強くなくてもいい場所”ができた気がした。