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――どうしても忘れられない。彼女のことが。
ミステリアスな女子社員―――|新織《にいおり》|鈴子《すずこ》。
俺にしては珍しく、自分から特定の女性に興味を持ったと思う。
彼女に興味を持った理由は、はっきりしている。
俺に向けられる彼女の熱い視線を感じるからだ!
「あの熱い視線はなんだ……? 恋? いや、恋というより、ごちそうを眺める目というか……」
ホラーな表現をしてしまったが、それくらい俺に向ける彼女の視線は熱い。
俺の気のせいだろうか。
新織は美人な上に仕事ができ、淑やかで知的だ。
密かな人気を集めているが、誰も彼女を誘うことに成功していない。
そのため、私生活は謎に包まれたままである。
最初は俺に好意を持っているのだろうと、図々しくもそんなことを思っていた。
戦術『動かざること山のごとし』!
戦術を発動させて待つ。
だが、いつまでたってもなんのアクションもなかった……
向こうも同じ戦術なのか、食事の誘いも仕事以外の会話をすることもない。
――ふむ。俺に本心を悟らせないとは、彼女はなかなかの策士のようだな。軍師の才能がある。
俺に興味がないという可能性を考えるべきなのだろうが、熱い視線を感じる限り、興味がないということもなさそうだ。
かといって、新織に声をかければ、淡々とした口調で冷たい態度。
謎だ。謎すぎる。
はぁっとため息をついた。
「ヒッ! ため息!? |一野瀬《いちのせ》部長。なにか不手際でもありましたか!?」
「いやなにも」
部下の|奥川《おくがわ》がおびえた目で、俺を見る。
まるで、ゾンビかモンスターのような扱いだ。
頭の中で、奥川のステータス情報がピコンと音をたてて表示された。
【|奥川《おくがわ》|塁登《るいと》】
【二十八歳独身】
【営業部】
気が弱いところがあるが、人がいいため顧客からの評判はまあまあ。
ただし、その人がいい性格のせいで足元をみられ、不利益な契約を結ばされることも。
そのため、出世が遅れている。
好きなものは散歩とスイーツ。
嫌いなものは辛いもの。
先日、散歩コースで可愛い犬に出会ったが、おしっこをひっかけられた。
――どうでもいい情報しかないな。
特に犬のくだりなんか消去しても、なんら問題ない。
だが、俺の脳は無駄な情報まで記憶してしまう。
記憶力が良すぎて困ることもある――ゲームのように『セーブしますか?』と聞いてくれたら便利なのだが。
頭の中で、奥川のステータス画面をシュッと閉じた。
「あ、あの、部長。なにも問題がないようであれば、会議を進めますね」
「ああ。頼む」
今日の会議の進行役である奥川。
俺の返事にホッとしたようで、胸をなでおろした。
奥川が配った会議資料は、これからの会社方針と売り上げ目標、先月の営業成績が記されている。
営業成績は俺が一位。
そして、|晴葵《はるき》が二位。
あいつもふざけた態度のわりに、なかなかやる奴なのである。
会議資料を確認した社長が絶賛した。
「さすが一野瀬君! いつも一位じゃないかね?」
「本社に戻ってからの成績ですので、これからはわかりません」
社長の手前、謙遜したが、挑んだゲームのレベルカンストは当たり前。
攻略不可能と言われたクエストを攻略し続ける男。
それが俺!
営業も戦略と攻略。
そして、レベルアップ――すべてがゲームである。
「いやいや。成績だけではないぞ! 一野瀬君の訪問先は、お客様に軒並み契約していただけている。まったくもって素晴らしい!」
攻略するための下調べは念入りなほうだ。
弱点を調べあげ、得意技、攻撃パターンを記憶する。
――これで成功率は格段にあがる。
数字で見る達成感がたまらない。
資料を眺め、ニヤリと笑った。
「部長が微笑んだわよ!」
「余裕がある男って、かっこいい!」
「なにを考えているのかわからないけど、きっと私たちには理解できないような高尚なことよね」
社長がいるというのに、完全に無視で営業部の女性社員が騒いでいた。
「一野瀬君。君の手腕に期待してるよ」
「ありがとうございます」
俺が働いているのは、お菓子から冷凍食品、健康特殊食品まで幅広い食品を取り扱っている大手製菓会社の|乙木《おとぎ》ホールディングス。
明治から続く老舗製菓会社で、地域貢献はもちろん、緑化活動やスポーツ選手のスポンサーとなり、その育成にも力をいれている。
業界一位の製菓会社だけあって、給料も待遇もいい。
「一野瀬君が海外支店から戻ってきてくれたおかげで助かったよ。最近の本社の営業成績ときたら、情けないものだったからね」
社内は古い考えを持った上層部で固められ、企画がまったく通らない状態だった。
本社を変えるためには、社長の信頼を得て、人事を掌握しなければならなかった。
少しずつ変化してきているとはいえ、完全制圧するまで、しばらく時間がかかりそうだ。
相手はなかなかの防衛力をもっている。
だが、戦略ゲームだと思えば大したことはない。
すこしずつ自分の領土(影響力)を広げ、敵の守りが薄いところをつく。
砦(派閥)の防御力が高いところは後回しにし、兵力(部下)を充足させるまで地形(派閥内)の厳しい場所の攻撃は控える。
相手が弱ったところで、派閥のボスを討ち取れば、俺の勝ちだ。
戦略ゲームとたいして変わらない。
そうやって俺はじりじりと本社を掌握してきた。
今では社長の信頼も厚く、意見もすんなり通る。
出世のため?
いや、違う。違うぞ!
これは出世狙いというよりは俺の平和な日常のため。
残業は最低限、休日出勤はお断りだ。
全ては俺の趣味である――
「ゲームですか。ゲームなら、一野瀬部長が得意でしたよね?」
ドキッとして、会議資料を落としそうになった。
――あのやろう。
晴葵がニヤニヤしながら、動揺する俺を見ていた。
それで俺の弱みを握ったつもりか?
俺はお前の秘密を知っているんだぞ。
「ほう。一野瀬君、意外だな。ゲームが得意なのかね?」
「ええ。まあ。チェスや将棋、ポーカーなどですが」
「ほう!なるほど。私は将棋を嗜むんだ。どうだ。今度一局?」
社長が嬉しそうな顔で誘ってきた。
――くそ! 社長の誘いを断れねえ……。覚えてろよ。晴葵め!
しかし、俺もこのままやられたままではいられない。
カウンター攻撃を繰り出す。
「子供向けのゲームなら葉山が得意ですよ。子供の心が理解できる大人ですからね」
「それはどういう?」
晴葵が俺をにらんだが、社長には愛想笑いを浮かべる。
その変わり身の早さは、手品師が鳩を出すより早かった。
「社長。俺には年の離れた妹がいて、それで日曜朝のアニメに少し詳しいだけですよ」
「葉山君には妹がいたのかね」
「はい。よくお世話を頼まれて。いやぁ、困っちゃいますよ~」
妹なんかいねーよ。
お前は一人っ子だろうが!
火花をバチバチ散らした。
俺と晴葵がにらみ合って牽制し合っていることに誰も気づいていない。
「失礼します」
会議室にふわりと甘い香りが漂った。
入ってきたのは|新織《にいおり》|鈴子《すずこ》。
長く艶やかな黒髪、目鼻立ちのはっきりした顔立ち、すらりと伸びた手足。
美人だが、どこか甘さのある雰囲気がいい。
俺が持っているステータス情報を頭の中で表示する。
【|新織《にいおり》|鈴子《すずこ》】
【二十八歳独身】
【総務部】
まさかの彼氏なし。
頼まれた仕事は完璧にこなし、きっちり定時に終わらせる。
無駄なおしゃべりはしないクールな美人。
社長も仕事ができる彼女のことは気に入っている。
「おっ! 新織さん。よくきてくれた! では、私から社員旅行の話をしよう」
張り切って社長は俺と新織さんを並んで座らせた。
「実は、一野瀬君と二人で、去年の社員旅行のアンケート結果を見たのだが、一ノ瀬君から『満足度が足りてない。これは由々しき問題だ。我が社の士気にかかわる』と指摘されてね」
「社長が社員のことを気にされていたので、進言させていただきました」
「いや、確かに一野瀬君が言う通りだ! 社員が満足できない会社は効率の低下が考えられると……そうだったな? 一野瀬君」
「はい。そのとおりです」
俺の受け売りを社長は堂々と語る。
うん、それでいい。
営業部の俺が、自然な流れで彼女と接触するチャンスは限られる。
社内イベントが一番だと俺は考えた。
社内旅行――これは新織捕獲大作戦だ!
まずは彼女を誘き寄せ、親しい関係になるところから。
そして、彼女のプライベートな情報を手に入れ、攻略法を考える。
――俺の目的はただひとつ!
新織鈴子を攻略すること。
美人なのに、会社の男は誰も付き合ったことのないレア中のレア。
しかも、恋人どころか食事に誘っても断られるという話だ。
そんな難易度の高い存在をゲーマーとして見逃せるか?
いや、それはできない。
俺はこの社員旅行の企画から実行までの間に、新織鈴子を攻略してみせよう。
そう――ゲーマーの意地とプライドにかけて。