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後半
「はじめまして、やんな?」
四月の光が差し込む教室で、初兎くんは少し照れたように笑った。
あのときと同じ関西弁。あのときと同じ笑顔。
だけど、彼の目には、私のことは映っていなかった。
「……うん。はじめまして、初兎くん」
私の声は震えていなかった。でも、心の奥は嵐のようだった。
世界は“終わらなかった”。
奇跡のような科学的回復劇で、地球の自転は回復し、地球環境も時間をかけて元に戻りつつあった。
けれど副作用として、「終末の眠り」に落ちた人々の中には、記憶に損傷が残った者もいる。
──彼もその一人だった。
あの春の日、私の隣で手を握ってくれた人。
あの光のなかで「またな」と微笑んでくれた人。
その人は、今ここにいる。でも、私を知らない。
時間は、それでも流れていく。
私は新しいクラスの中で、彼と再び“友達”として出会い直した。
最初はほんの些細な会話だった。
「その参考書、使いやすい?」
「放課後、購買行こや」
「ちょ、りうらちゃんの弁当うまそうやん、交換してくれへん?」
──でも、私には分かっていた。
それが、また「始まっている」ってこと。
私が彼を好きだったように、
彼も、また私を好きになろうとしていた。
六月のある日、私は屋上で空を見ていた。
薄く雲が流れていて、あの日のように、風が髪をくすぐっていく。
「なあ、またここおったんか」
後ろから聞こえた声に、振り返ると、やっぱり初兎くんがいた。
あの頃と同じように、手に飴玉を握って。
「なんか、元気なさそうやったからな。ほれ、甘いもん」
私は笑ってそれを受け取った。
「ねえ、初兎くん」
「ん?」
問いかけたくて、でもずっと言えなかったことが喉元まできて、私はぎゅっと手を握った。
「もしさ、前に、誰かを好きになったことがあって──その記憶が、全部消えちゃったとしても」
「……」
「もう一度、同じ人を好きになると思う?」
初兎くんは、少し驚いた顔をして、それからふわりと笑った。
「なると思うで」
「……どうして?」
「記憶なんて、ただの記録やん。でも気持ちは、体が覚えてる。うち、そんなん信じてるタイプやし」
「……ありがと」
私は俯いたまま、小さく呟いた。
──もう一度、恋をしてくれて、ありがとう。
夏が来て、彼は私に告白した。
「なあ、りうらちゃん。うち、今な……君のことが好きやと思う」
放課後の廊下、誰もいない西日差す階段の踊り場。
彼は真っ直ぐ私を見ていた。
あの日と、同じ目で。
私は、涙をこらえきれなかった。
「……遅いよ、ほんと」
「え、なんか泣かせるようなこと言うた?」
「バカ。好き。……ずっと、好きだったよ、あんたのこと」
初兎くんの顔が、一瞬で真っ赤になる。
「ま、マジで? え、ほんまに……!?」
「うん。嘘じゃないよ」
「う、うち、絶対りうらちゃんを幸せにするからな。もう絶対、記憶なんか飛ばへん。絶対にや!」
「……うん。じゃあ、これからも一緒に、恋しよっか」
夏祭り。
浴衣姿で歩く帰り道、初兎くんは金魚すくいで取った小さな金魚を指さして言った。
「こいつらも、終わらへん世界で生きてくんやなぁ」
「うん。ちゃんと続いてく」
「あのとき、ほんまに“終わる”って思ってたやんか。せやけど、うちら、ちゃんとここまで来れた」
「……うん。来れたよ」
私たちは手を繋いで歩いた。
この手はもう、放さない。絶対に。
秋。
ふたりで文化祭の準備をした。
冬。
こたつに入りながら映画を観た。
春。
新しい学年を迎えて、桜の木の下で並んで写真を撮った。
そして──また、春が来た。
「卒業、おめでとう、初兎くん」
「りうらちゃんもな。ようここまで付き合ってくれたな、感謝してるで、マジで」
卒業式のあと、ふたりで歩いた校舎の裏。
桜が咲きはじめていて、風がふわりと吹いた。
「なあ」
「ん?」
「この世界が終わる前に恋をして、また始まった世界でも、同じ人を好きになって……」
彼は、私の手を握った。あのときと同じ強さで。
「これはもう、運命やと思わん?」
私は笑った。
こんなに優しい春は、人生で初めてだった。
「うん。運命、だね」
そして、彼の肩に頭を預けた。
この世界が、終わらなくてよかった。
もう一度、恋をしてくれてありがとう。
私は、何度でもあなたを好きになる。
コメント
2件
あー恋っていいですねぇ!運命ですねぇ!