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『第十四話 夏のカレー』
──午後五時五十五分。
夕暮れが近づく駅前。
千夏は約束通り、生花店の前に立っていた。
「いらっしゃい」
花村さんは店先で花束をまとめながら微笑む。
「すみません、お邪魔します……」
「ほら、これ着てみて」
そう言うと花村さんはお揃いのエプロンを手渡した。
「似合うわよ」
「そうですか?」
それからしばらく、簡単な手伝いを頼まれた。
お客さんが来たら、店先で「いらっしゃいませ」と声を出す。
最初は恥ずかしくて声が出なかった。
慣れてきても大きな声は出せない。
花村さんは店の奥のレジで、お客さんと笑い合いながら接客をしている。
大人って、毎日こんなふうに仕事してるんだな。
千夏はそう思った。
お客さんが引き始めたころ、花村さんは時計を見て小さく言った。
「そろそろね」
「え?」
その時だった。
駅の方から仕事帰りの悠真が歩いてくる。
「佐藤さん!」
花村さんが声を掛ける。
悠真が驚いたように足を止めた。
「花村さん?……え、千夏ちゃん?」
思いがけない顔合わせに、二人とも驚く。
花村さんはそんな二人を見ると、わざとらしく肩をすくめた。
「佐藤さん、晩ご飯はお決まりですか?」
「え?いえ……まだ」
「なら、今夜は二人でカレーでも作ったらいかが?」
「えっ?」
二人の声が重なる。
「一人暮らしなんだから、カレーくらい作れるでしょう?」
悠真が苦笑した。
「まあ、それは……」
「決まりね」
花村さんは軽く背中を押す。
「行ってらっしゃい」
「あの、エプロンお返しします」
「お料理するのにエプロンは必要でしょ?今度でいいわ」
──
スーパーは夕方の混雑のピークこそ過ぎていたが、賑わっていた。
買い物カゴを持ち、二人とも初めは黙々と材料を集める。
「人参と……じゃかいも」
「玉ねぎもいりますよ」
「ナスって入れる?」
「え?初めて聞きました」
少しぎこちなかった空気も、買い物をしているうちに、少しずついつもの調子へ戻っていった。
「ルー、どれにします?」
「俺は辛口派」
「私は甘口です」
二人とも困ってしまう。
「二つ作る?」
「鍋二つは大変ですよ」
「じゃあ間を取って中辛」
「うーん……私には辛いです」
悠真は笑って腕を組む。
「じゃあ甘口にして、俺だけ後から味変するか」
「いいアイデアですね!」
千夏も手を打つ。
──
材料を詰めたビニール袋。なかなかの重さだ。
最初は「私が持ちます」と譲らなかった千夏だったが、持つ手の指が白くなっている。
「重くない?俺が持つよ」
「……大丈夫ですっ」
千夏は変なところで頑固だ。
「じゃあ、ほら」
悠真は二つある持ち手の一つを持つ。
「これなら楽だろ?」
「ありがとうございます……」
千夏は頬を染めて礼をいう。
寄り添って歩かないと袋が裂けてしまう。
それでも直接触れ合うことはない距離。
二人は夕暮れの道を歩いた。
──
キッチンではピスカが足元を歩き回る。
「今日は邪魔するなよ」
「にゃあ」
「返事だけは立派ですね」
千夏は笑いながら包丁を握る。
「指切るなよ」
「ちゃんとやってます。猫の手」
千夏は丸めたこぶしを見せて笑う。
並んで玉ねぎを切る悠真の目から涙がこぼれる。
「私の手際に感動しましたか?」
「玉ねぎだ」
「分かってます」
二人の笑い声が自然とキッチンに広がる。
鍋から立ち上る香り。
甘口のカレー。
悠真は皿に盛ってから一味唐辛子を振った。
「美味しいんですか?」
「やってみる?」
「遠慮します」
食卓には二皿のカレーが並ぶ。
「いただきます」
「いただきます」
しばらく二人とも黙って食べる。
やがて千夏が小さく口を開いた。
「……美味しい」
「うん。一味ちょい足しも悪くないな」
悠真も頷いた。
しばらく黙々と食べる。
時々、目線があって微笑み合う。
そんな時、千夏がスプーンを置き静かに言った。
「お兄様」
「ん?」
「この前は……ごめんなさい」
悠真もスプーンを置く。
「俺の方こそ」
「え?」
「ちょっと……急に変なことばかり言ったよな」
少し照れくさそうに笑う。
「図書館とかさ」
千夏も思わず笑ってしまう。
「全部変でしたよ?」
「やっぱり?」
「はい」
二人で顔を見合わせて笑う。
笑いが落ち着いた頃。
千夏が真面目な顔で改まって言った。
「お兄様」
「なに?」
「お兄様は……私のこと、女の子として見ていますか?」
「ぐっ…げほっ!ごほっ!」
悠真は飲んでいた麦茶が気管に入った。
「ご、ごめんなさい!」
「どうしてそんなこと……」
「お兄様はどうなんですか」
悠真はしばらく、言葉を選ぶように考える。そして少し真面目な顔になった。
「正直に言うと……恋愛という意味では思わない」
千夏は少しだけ笑った。
安心したような、少し寂しいような。
自分でも説明できない気持ちだった。
「でもさ。大切な存在なのは間違いない」
「え?」
「初めて会った日さ、もし俺じゃなくて他の男が声をかけてたら?」
「……たぶん、ついて行きません」
「それで正解」
悠真は食器を片付け始める。
「ここの大家さんに言われたんだ」
「おばあちゃんですよね」
千夏は静かに耳を傾ける。
「世間は事情なんて知らない」
「……」
「だから千夏ちゃんを守るためにも、少し考えた方がいいって」
千夏は俯く。
花村さんの言葉が重なる。
『佐藤さんはね、自分より相手を優先する人なの』
「俺さ、どうしていいかわからなくてさ……極端だったかな?」
「そんなこと……」
「いや、そうだった」
少し笑う。
「急に距離を置こうとして、結果、傷付けた」
千夏はゆっくり首を振る。
「私も、お兄様を困らせました」
少し照れながら笑う。
「私たち、どっちも不器用ですね」
「そうかもな」
しばらく沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは悠真だった。
「前と全く同じ、というわけにいかないかもしれない」
千夏の胸が少しだけ痛む。
「でも、同じじゃなくていいと思う」
悠真は穏やかに笑った。
「……え?」
「少しずつ変わるのは、大人になるってことだから」
千夏は静かにその言葉を受け止める。
「だからさ、これからは」
悠真は照れくさそうに頭をかきながら言う。
「これからは土日の昼間に来るとか……大家さんやアパートの人に会ったら、ちゃんと挨拶するとか……勉強は図書館も使うとか、そういうルールにしようか」
千夏は少し考えてから、小さく頷いた。
「はい」
それは距離を置く約束ではなかった。
二人の時間を、これからも大切に続けていくための約束だった。
その時。
「にゃあ」
ピスカが二人の間を堂々と歩き、テーブルへ飛び乗る。
「おい、そこはダメだ」
「ふふっ」
思わず二人が笑う。
窓の外では、夏の星空が街を照らしていた。
以前と同じではない。
それでも、変わらず笑い合える場所は、ちゃんとここにあった。
夏のカレーは、少しだけ甘かった。
──続く
#年の差
夏目萌*優しい彼~コミカライズ
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当麻月菜
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コメント
5件
千夏さんと悠真さんって、ちょっと似てるところがあるかもしれない、今回のお話でそう思いました☺️
やっぱ小説書くの上手で尊敬します………✨自分も小説書いてるけど上手になりたいなぁ…
うわあ、もう……胸がじんわりしました。第十四話、読み終わりました。 「前と全く同じじゃないかもしれない。でも、同じじゃなくていい」って悠真さんの言葉、すごく響きました。お互い不器用なりに、ちゃんと歩み寄ろうとする誠実さが好きです。カレー作りや買い物袋を一緒に持つシーンも、距離感が絶妙でドキドキしました。そして最後のピスカの登場で、全部が柔らかく包まれる感じ。甘口カレーのように優しい温かさが残るお話でした。続きが楽しみです🤍