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「じゃあ、しゅうちゃんのやつ貰いなよ。こっちの中身は袋に入れて持って帰る?」
「いや、液体やから!ぐちゃぐちゃなるし無理やから!」
「お、つっこんだ」
「関西人の血が騒いじゃったんだね」
ニヤニヤしながらしゅうとをからかうと、あいつは照れくさそうに椅子に座り直した。
「……しゅうとのはチワワね」
「え、俺、うさぎさんがよかったのに」
少し甘えたような声で、いつきが運んできたカップを受け取る。
「……さやちゃんと一緒がよかったの?可愛いから好きになっちゃった?」
あいつがニヤニヤと笑いかけると、しゅうとは顔を真っ赤にして「でも、いつきくんが一番やから!」と必死に訴えかけた。
「……待って、今さやちゃんって間接的に呼ばれましたぁ」
その流れに耐えきれなくなったのか、うさちゃんは「くたぁ」と力を抜いて机に突っ伏した。
いや、しゅうとも君の事好きって認めてんだから、そこも触れてやってよ。
「ダメだ、この空間、いつきくん色だ」
俺は立ち上がろうと椅子を引いた。もう十分だ。これ以上、この甘ったるい空間にはいられない。
「待って!いっちゃん、何飲む? コーヒー苦手だよね? りんごジュースかオレンジジュースならあるよ。俺のおすすめはりんご。青森から取り寄せてるやつで、めちゃくちゃうまいから」
「え、ああ……じゃあ、りんごで」
俺が返事をすると、いつきが食い気味に駆け寄ってきた。
さっきまで厨房でかっこつけていたくせに、俺を前にすると途端に早口になる。あのテンパった喋り方は、どう見ても普段の余裕あるあいつじゃない。
「なに? いっちゃん、ニヤニヤしてんじゃん」
「は? してねぇわ。それよりお前、食いすぎだろ。料理長さん大忙しじゃん」
あいつがドリンカーに回ったせいで、注文していた料理を不機嫌そうなおっさんが作っている。そんな呑気に優雅にりんごジュースを注いでいる場合か。
――……は?
ふと厨房の方を見ると、ホールのお姉さんがいつきの胸元を軽く触っていた。
あの馴れ馴れしい触り方。そして、触れられても平然としているあいつ。
「……やっぱ帰るわ。金、置いとくから」
テーブルに一万円札を叩きつけ、鞄を手に取る。ともやの「えっ、いっちゃん?」という驚くような声が聞こえたけれど、俺はすべてを無視して店を飛び出した。
「いっちゃん先輩! 私、自分の分出します!」
しばらく歩くと、後ろからうさちゃんの声がして足を止めた。振り返ると、彼女が息を切らして追いかけてきている。誘っておいて、見送りもせずにこんな形で帰るなんて、最低な先輩だ。
「いいよ。今日、楽しかったから。お礼に俺に奢らせて」
どうせ、これが最後だ。数ヶ月後には、君はこの街にはいないんだから。
「……じゃあ、今度奢らせて下さい。後悔、残したくないんです」
「……いい子だね、うさちゃんは」
思わず、彼女を抱きしめていた。
誰が見ているかもわからない。でも、彼女の真っ直ぐな想いが伝わってきて、心の奥にあったイガイガした何かが、すうっと霧のように消えていくのがわかった。
「……いい子じゃないです。頑固なだけで」
うさちゃんの小さな呟きが胸に刺さる。けど、もう何でもよかった。この数週間、俺の感情は乱高下しすぎて、すっかり摩耗してしまっていた。
「俺、今精神的に参っててさ。……『好き』って言ってくれない? 俺のこと、あいつだと思っていいから。それで、さっきの飯代の代わりにさせて」
「……そんな」
「お金より、そっちがいい」
「……はい」
うさちゃんの小さな身体に、ぎゅっと力が入る。小さな手が、俺の背中をあやすように優しくさすってくれる。
「……好きです。いつき先輩。本当に、大好きです」
同じ名前でも、それは俺に向けられた言葉じゃない。分かりすぎていて、もはや心臓がチクリともしなかった。ただ、その温もりだけが、空っぽの俺を満たしていく。
「……ありがとう。ごめんね、落ち着いた」
「いえ、私でお役に立てたなら」
身体を離すと、彼女はにこりと笑った。あと数ヶ月で、この笑顔も見納めなんだな。
「帰ろっか。送っていくよ」
「ありがとうございます。じゃあ……駅まで」
他愛もない話で笑って、不意に繋ぎそうになった手を引っ込めて。ああ、俺、今めちゃくちゃ青春してるな――。そんな実感が、無性に嬉しく、そして切なかった。
♢♢♢
「あー……来たわ、金曜日。昨日に戻りてぇ。木曜永遠ループでいいわ」
両手で顔を覆って現実逃避する俺。けれど、その手は無慈悲に引っ剥がされた。
眼前にあったのは、朝から不必要に綺麗なりゅうせいの顔だった。
「いっちゃん、今日フットサルね」
「行かないって言ったじゃん」
「大丈夫。いつきくん、急にバイト入ったから来ないって」
「あ、そうなの?」
あからさまにホッとした声を出すと、横にいたしゅうとが「わざとらしい」と言わんばかりの特大のため息をつき、俺を睨みつけた。
……だから! お前は俺にどうあってほしいんだよ!
それにしても、あいつ働きすぎだろ。高校生を週五で働かせるあの店、労働基準法とか大丈夫か?
「……やっぱり、何かあったの? いつきくんと」
心配そうに顔を覗き込んでくるともや。そうだ、こいつにはまだ何も話していない。というか、りゅうせいはどこまで知っているんだ?
「いや……あー、うさちゃんのこと。あの子、いつきくんのこと、めっちゃ好きだろ? だから俺が勝手にライバル心を燃やしてるだけ」
「まぁね、それはどうしようもないよな」
「だろ? どうしようもないんだよ」
よかった、ともやが単純で。こんな適当な言い訳に納得してくれるとは思わなかった。
だが、俺はとにかくあいつの腹の内が知りたかった。りゅうせい、お前はどこまで見抜いてるんだ。
俺の視線を受けたしゅうとが教室を出ていったのを見計らい、声をかけるとりゅうせいがトロンとした目で俺を見た。
「ん~。いつきくんがいっちゃんのこと、めっちゃ好きなこと。二人の間に、何かあったんだろうなぁってこと。あとは、しゅうちゃんが『絶対付き合ってる!』って言ってるけど、今の感じはそれっぽくないなぁ……って思ってる、感じかな?」
りゅうせいの言葉に、背筋に冷たいものが走った。
やっぱりこいつなんとなく全部知ってて楽しんでやがる。
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