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自邸に戻り自室に入ると、レンブラントはそのままベッドに沈んだ。
頭では彼が間違っていないと分かっている。だが気持ちがついていかない。
クラウディウスとエルヴィーラは政略的間柄ではあったが、幼馴染であり仲も良くこれまでクラウディウスはエルヴィーラをとても大切にしてきた。言葉を話せない彼女を王太子の婚約者には相応しくないという輩も正直少なく無い中、クラウディウスはそんな事は物ともせずに彼女の盾となり護ってきた。
二人共に二十歳を過ぎ、そろそろ正式に結婚しエルヴィーラは王太子妃になる筈だった。それなのにも関わらずここに来て急に婚約解消などと……。
だが聖女の存在は政治において利用価値も影響力も絶大な筈だ。もしも聖女が政敵に奪われる様な事があればこちらとしては致命的だ。クラウディウスはそれを見越し先手を打ったのかも知れない。
それにエルヴィーラの事も将来的には側妃に召上げると言っているんだ。別に彼女を蔑ろにしている訳ではない。
(そうだ……。クラウディウスは間違ってなんかない)
ーーそれから程なくしてクラウディウスとエルヴィーラの婚約解消と、クラウディウスと聖女フローラの婚約は瞬く間に社交界を駆け巡った。
想定の範囲内だが、やはりクラウディウスの事を悪く言う輩が続々と現れた。主に第二王子側の人間だ。逆にこれまで中立の立場だった者達の中からは聖女を支持する者達が現れ王太子側に加わる動きも見られ王族や貴族は混沌とした状態になっている。
「レンブラント様」
城内の廊下をヘンリック達と歩いていた時だった。
背後から呼び止められ振り返るとそこには、彼女がいた。いる筈のない彼女がいた事にレンブラントは目を見張る。
「お久しぶりです」
彼女の少し後ろに視線を向けるとミハエルが立っていた。その事に即座に納得をする。多分彼にお茶にでも誘われたのだろう。だがそれと同時に苛っともする。
言い訳になるが最近クラウディウスの件もあり、中々ティアナと会う事が出来ていなかった。
婚約者である自分は彼女と会う事すら出来ていないのに、幾ら同級生でも他の男とお茶をしていると思うと腹が立ってくる。
「やあ、ティアナ。こんな所で奇遇だね」
「あの、クラウディウス様はご一緒ではないんですか」
レンブラントの背後にチラチラ視線を向けながら訊ねる彼女は愛らしいと思う。理由はどうあれ久しぶりに彼女の姿が見れて内心浮かれていた。だが、彼女はどうやら自分ではなくクラウディウスに関心がある様でミハエルの事もあり更に苛々が募る。
「今日は早目に仕事が終わってね。彼は私用で出掛けたよ。何か彼に用でもあるのかい?」
「……いえ」
否定をするものの、煮え切らない態度のティアナにレンブラントは眉根を寄せた。
「エルヴィーラの件かな」
図星だった様で彼女はハッとした表情でこちらを見た。その姿に納得をすると同時に自分の時の事を思い出した。どうやらミハエルとはお茶をしていた訳ではなかった様だ。彼に頼んでクラウディウスに会いに来たのだろう。
元々人間関係に積極的ではない彼女が態々ミハエルに頼んでまでクラウディウスに会いに来た。そしてこのタイミングにだ。彼女がクラウディウスに用件があるとなるとそれは一つしかない。
「社交界でも様々な憶測や噂が飛び交っていて、君も色々と思う事があるかも知れない。だがこれは部外者である君が首を突っ込む話ではないよ」
言い方が少し厳しくなってしまったが、致し方がない。ティアナにとってはエルヴィーラは友人でありその彼女の婚約話は身近なものだと捉えるのは当然なのだという事は分かる。大切な友人が突然婚約解消されてしまい、相手側であるクラウディウスに文句の一つでも言いたいのかも知れない。だがこれは政治の話だ。更に言えばこの国の将来を揺るがし兼ねない程の事柄であり、一貴族でしかないティアナに出る幕はない。
「分かっています、でも」
「ならもう用は済んだだろう? お帰り」
唇を噛みこちらを睨む彼女に苦笑する。
普段は大人しくて頼りなく儚さすら感じる彼女だが、たまにこんな風に芯の強さを垣間見せる。本当に彼女は面白いし不思議で魅惑的だ。出会ってからずっと彼女から目が離せない。
「レンブラント様は……お二人の婚約解消をどの様に考えていらっしゃるんですか」
「僕は妥当な判断だと思うよ」
間髪入れずにハッキリと答えると、彼女は暫し黙り込んだ。静まり返る中、暫くしてティアナは呟く様に小さな声で「……エルヴィーラ様が不憫です」と言った。
「ティアナ。僕は彼が間違った選択をしたとは思えない。エルヴィーラの代わりにクラウディウスの婚約者になったフローラ嬢は聖女だ。彼女は今や民衆に愛され絶大な支持を受けている。それに今後彼女が政治的に与える影響力は計り知れない。他国との関係などに変化を与えると期待も出来る。様々な理由からやはり聖女である彼女が王太子妃に相応しいと僕も思う」
「でもレンブラント様、以前仰っていましたよね。不穏なものを感じるからと彼女には近づいてはダメだと」
「前言撤回だ。僕はどうやら見誤った様だ」
「そんな……」
「ティアナ、貴族や王族の結婚などそんなものなんだよ。謂わば打算や利益、政治的駆け引きの為にある制度と言っても過言じゃない」
彼女が息を呑むのが分かった。縋る様な目と視線が交差する。
「それは私達も、ですか」
「どうだろうね」
そんな事ある筈ないと思いながらも口では曖昧な返事を返す。こんな時に素直になれない自分が子供染みて情けない。本当は彼女にこんな風に言いたくなどない。
ヘンリック達からの冷たい視線に気が付きレンブラントはハッとして我に返りティアナを見ると、彼女は穏やかで底の見えない笑みを浮かべていた。最近では彼女と距離は縮まり見る事もなくなっていたが、またあの時と同じだった。
スッと背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
「分かりました」
ティアナは丁寧にお辞儀をしてから踵を返し去って行く。
「ティアナ!」
慌てて彼女を追いかけ様と足を踏み出すが、彼女を追う事は出来なかった。何故ならミハエルに道を遮られたからだ。
「確かにお前やクラウディウス兄上は正しい。だが俺は、ティアナの気持ちを分かってやりたいとも思う。お前も本当に彼女を大切に思っているなら頭ごなしに突っ撥ねるだけでなく寄り添ってやれ。それとレンブラント、彼女に当たるな」
ミハエルの言葉が突き刺さる。
久しぶりに彼女に会えて嬉しかった。本当は「僕に会えなくて寂しかったかい?」ただそう聞きたかった。「僕は寂しかった」そう言って彼女を抱き締めたかった。クラウディウス達の事を不安気に思う彼女の頭を撫でて「心配いらないよ」と言って安心させてあげたかった。ただそれだけだ。だがそれだけの余裕が今の自分に無かった。
『……エルヴィーラ様が不憫です』
あの瞬間、クラウディウスだけでなく自分までも非難されいる様に感じた。無意識だったがミハエルの言う通りティアナに当たってしまった。
「クラウディウスは間違っていない。昔から彼は何時だって責任感が強く彼は曲がった事が嫌いで正義だった。だから彼は正しい筈なんだ……」
レンブラントの呟きにヘンリックやテオフィルは気不味そうに視線を落とし、ミハエルは無言のままその場から立ち去った。