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──六月。
雨の季節がやってきた。
校舎の屋根を叩く音は、まるで遠い音楽みたいで、
それを聴いていると、胸の奥が少し落ち着いた。
放課後の図書室。
今日は人が少ない。
窓の外では、細い雨が静かに降り続いている。
「やっぱり、紬は今日もここにいると思った」
顔を上げると、水森先輩が立っていた。
制服の袖が少し濡れていて、髪の先から小さな雫が落ちる。
「先輩も…雨の日、好きなんですか?」
「好きってほどじゃないけど、悪くない。静かで、誰も急がないだろ?」
「たしかに」
ふたりで笑った。
その笑い声が、雨音にやわらかく溶けていく。
先輩は自分の席に座ると、ノートを開いて何かを書き始めた。
私はその向かいで、本を開く。
だけど文字はなかなか頭に入らない。
ペンが紙を走る音が、どうしても気になってしまう。
「なぁ、紬」
「はい?」
「このあと、傘ある?」
「ありますよ。折りたたみですけど」
「よかった。じゃあ一緒に帰ろう。俺の、さっき強風で壊れた」
「しょうがないですね」
そう言ってくすっと笑った
「しょうがなくない。助けてくれるの、嬉しいんだけど」
そんな言葉が軽やかに返ってきて、心臓が一瞬止まった気がした。
──帰り道。
雨はまだ続いていて、アスファルトには水たまりがいくつもできていた。
同じ傘の下に入り、並んで歩く。
「近いな」
「そっちが寄ってきてるんですよ」
「違う違う、風のせい」
言葉のやり取りが、雨音にまぎれて笑いに変わる。
その何気ない瞬間が、心の奥に静かに染みていく。
信号の前で立ち止まる。
赤い光が、雨粒をきらりと照らしていた。
「先輩」
「ん?」
「こうして帰るの、なんか変な感じですね」
「そうか? 俺はけっこう気に入ってる」
そう言って微笑んだ。
その仕草が、雨よりもやさしかった。
ふたりの肩に落ちるしずくの音が、少しだけ近づいた気がした。
六月の雨は冷たいのに、心の中はあたたかい。
この季節のことを、きっと私はずっと覚えてる。
あの日の雨の匂いも、隣を歩く人の息づかいも。