彼の目の前で目を閉じるのは〈キスして〉という合図。幸季さんはキスするとき私の右の頬に手を添える。それは彼が左利きだから。彼の手が私の頬に触れたとき、今でも電流が流れたように体が熱くなる。私は彼のするキスが大好きだ。
「愛してます」
照れ屋の彼はそれには答えず、にっこりと微笑むだけ。でもそれがいい。
朝、起きがけのキスと〈愛してます〉は結婚以来十五年間続けている習慣。
昨夜愛し合ったばかりだけど、今日の夕食はうなぎにしようと決めた。ちなみに昨夜の夕食のおかずはカキフライととろろだった。
夕食に精力のつく食事を出すのは過労気味の夫の体をいたわりたいのもあるけど、〈今夜ほしい〉の合図でもある。照れ屋の彼が自分から求めてくることはない。だから誘うのはいつも私の方。
それが私たち夫婦の約束、愛の形――
私の旦那様は左利き。もちろん左利きは短所ではなく、ただの特徴。でも私の父の見方は違う。
「幸季君の左利きが孫たちに遺伝しなくてよかった。ああ、私がそう言ったからといって、君が左利きを直す必要はないからね。君から短所がなくなれば、舅として君に指導することがなくなってしまう。それは寂しいからね」
父は毎日のように夫との会話で左利きのことに触れる。夫は何も言い返さず、ニコニコと笑いながら受け流す。定例の儀式のようになってきた。
父は夫の勤務する東洋工業株式会社の社長。私と夫が結婚した当時は私から見て祖父に当たる前社長が存命で、父の肩書は専務だった。ただその頃から父が将来社長の座につくことは決定事項だった。
だから将来の社長令嬢の私の結婚相手は婿養子になることが条件と、中学生の頃からずっと聞かされていた。聞かされてはいたけど、のんびり屋の私は婿養子がどんなものかも幸季さんとの結婚が現実味を帯びてくるまで実は知らなかった。
夫が妻の姓に改める結婚のことかなとずっと思っていた。まさか夫が結婚と同時に妻の両親と養子縁組するなどという、そんな大げさなものだとはまったく想像もしなかった。
私は父が見つけてきた見合い相手と結婚した。でも婿養子でなく通常の結婚。
幸季さんが婿養子を嫌がったわけじゃない。私が嫌だった。今どき婿養子なんて古臭くて大げさなことはしたくない、というのが表向きの理由。本当は違う。幸季さんの名字に変わりたかったから。
幸季さんは三人目の見合い相手。すでに二人、一度会っただけで私の方から交際をお断りしていた。私はずっと父の言いなりに生きてきたけど、結婚相手くらい好きになった相手としたいと思っていた。でも幸季さんの名字を見て運命を感じた。
私の旧姓は冬野、名は蛍。
子どもの頃から、
「冬の蛍って死んでるんだよね」
という心ない質問をされ続けてきた。
実際は、幼虫の姿で冬眠しているだけで、ちゃんと生きている。真面目にそう答え続けてきたけど、途中から面倒になった。そんな経緯があったから、三人目の見合い相手の名字が〈夏川〉だと聞いて、大げさでなく運命を感じた、というわけ。
幸季さんと結婚して、本名が夏川蛍に変わると、案の定、名字に合ったいい名前ですねと初対面の人に言われるようになった。少しモヤモヤした気持ちはあるけど、素直にありがとうございますと答えている。
私の反対で婿養子の件はナシになったけど、父の意向で結婚と同時に幸季さんが私たちの家に引っ越してきた。つまり、いわゆるマスオさん。
幸季さんが窮屈な思いをしないように私は気を配っている。幸季さんの給料は手取りで月50万円ほど。そのうち生活費と貯蓄のために30万円だけもらって、あとは自由にさせている。
幸季さんは42歳にしてもう部長。社長令嬢と結婚できたからとか、出世目的の結婚だとか、陰口を叩く人も少なくないらしい。でももともと幸季さんは優秀な社員だった。独身時代に若手のホープと噂されていたのは、当時違う部署にいた私の耳にも入っていた。
父が三人目の見合い相手として連れてきたのが彼だった。それまでの二人はどちらも同業他社の社長の御曹司。政略結婚みたいで嫌だと私に言われたから三人目は社内から見つけてきた、と父にドヤ顔で言われたときは内心腹を立てたものだけど、こんな素敵な旦那様と結婚できて今は素直に感謝している。
私は結婚が決まり退職して、ずっと専業主婦。母とともに家事をこなしながら、激務の夫の帰りを自宅で待つ日々。
子どもの頃に新築した自宅は当初から二世帯住宅として設計されていた。私は一人娘。最初から私の夫となる人をわが家に迎える仕様になっていたわけだ。
いっしょに住んでいても平日の夕食は私たちと両親で別。父は社長で勤務時間などあってないようなものだけど、夫はたいてい残業で遅くなるから。
かといって子どもたちを遅くまで待たせたらかわいそうだから、平日の晩ごはんだけは両親といっしょに食べさせている。両親も喜んでくれるし、子どもたちも祖父母と食べる方が贅沢な食事ができるから心待ちにしている。
でも小中学生に松茸やブランド和牛はさすがにやり過ぎではないだろうか。私がいくら文句を言っても、この子たちには本物の味を覚えてもらいたいと両親も一切譲らない。
その日、幸季さんの帰宅は夜の八時。私は朝決めた通り、食卓にうな丼とお吸い物を並べた。
うなぎはもちろん国産。安物の中国産うなぎを幸季さんの胃袋に入れるわけにはいかない。
「ありがとう。でも僕は産地にこだわらないよ」
そう言って幸季さんは笑う。
そう。幸季さんは無頓着だ。
私たちには娘が二人いる。二人とも幸季さんが名前を考えたけど、秋に生まれた長女の名前が菫。春に生まれた次女の名前が桔梗。
菫は春に咲く花で、桔梗は夏から秋に咲く花。名字が冬野なのに蛍と名づけられた私は名前で苦労した。自分の子どもたちまで名前で嫌な思いをさせたくないと意見したこともあったが、幸季さんの回答は見事だった。
「蛍さん、君は知らなかったかな。菫も桔梗も多年草。花は枯れてもずっと生きてるんだ。僕らは花の美しさに目を奪われがちだけど、僕は花が咲かない時期の植物には目に見えない美しさがあると思っている。君はそう思わないかい?」
そう言われたら、思いますと答えるしかない。
実際、わが家の庭の花壇は幸季さんの方針で菫と桔梗ばかり。よほど好きなんだなと微笑ましく思いながら、私は毎日水やりをしている。
今は九月だから桔梗が見頃。白い花と紫の花があり、それぞれ暑い夏を乗り越えてけなげに咲いている。そういえば今月末は菫の誕生日。プレゼントはどうしよう?
「君の方で見繕って両親からということにしてプレゼントしてあげればいいよ」
相変わらず幸季さんは無頓着。細かくグチグチ言われるよりはマシだと自分に言い聞かせている。すべて私に一任されていると思えば腹も立たない。
幸季さんは黙々と私の手作りのうな丼を平らげた。深夜、ベッドの上の私を何度も絶頂に導く精力を蓄えるために。幸季さんがうな丼をかき込むのを見ながら、その夜の愛の儀式への期待が高まって思わず笑みがこぼれた。
私は父の方針で大学までずっと女子ばかりの環境に身を置いていた。だから社会人になるまで恋人どころか男友達だっていたことがなかった。
私の男性経験は幸季さん一人だけ。当然、初体験の相手も幸季さん。幸季さんは紳士だった。たぶん私を安心させるために結婚式を挙げるまで清い関係でいましょうと言ってくれていた。
でも結婚前に一度は冒険をしてみたいと思っていた私は、彼と婚約する直前、彼が彼の家族と一週間旅行に行く前日に彼の住むワンルームマンションに押しかけて、尻込みする彼に女に恥をかかせないでと迫り、そして抱かれた。
幸季さんとしか経験ない私でも、私たちの営みがちょっと変わっていることは分かる。照れ屋の幸季さんは行為中の顔を私に見られるのが恥ずかしいそうだ。だから行為はいつも後背位だけ。一度の例外もない。まず私が下半身だけ裸になり四つんばいになって、それから彼がズボンを下ろし両手で私の腰を押さえながら後ろから突く。
「たまには幸季さんの顔を見ながらしてみたいです」
とリクエストしたことも何度かあったけど、どうしてもできないと言われてあきらめた。後背位は男性にとってもっとも征服感を得られる体位だとネットの記事で見たことがあるが、彼にとって後背位は唯一の選択肢だったというだけの話だ。
行為は後ろから挿れて出すだけ。それ以外は何もしてくれない。いっしょにお風呂に入るのも恥ずかしいそうだ。だから結婚して十五年になるのに、私はいまだに彼の性器を見たことも触ったこともない。
「その代わり、君も自分の体を僕に見せたり触らせたりしなくていいからね」
と彼は言うけど、むしろ私は自分の体を彼に見せたいし触らせたいと思っている。行為中に不可抗力で私の性器が見えてしまったり手が触れてしまうこともあるらしい。そういうとき彼は必ず生真面目に謝ってくるけど、そのとき私が内心この上なく喜びを感じていることを彼は知らない。
だから行為中に事故でそうなってしまったことはあったようだけど、彼が故意に私の性器を目で見たり手で触れたりしたことはない。性器どころか、何もつけてない状態の私の上半身でさえ彼は知らないはずだ。彼の前で着替えしようとすると、彼はそそくさと違う部屋に行ってしまう。私の胸がたいして大きくないから見たくないのだろうかと劣等感を感じたこともあったけど、ここまで徹底されるとかえってあきらめがつく。
その代わり、行為中もっとほしいと言えば彼は何度でもそれをしてくれる。彼は四十歳の私より二歳年上。今年で四十二歳の厄年になった。そろそろ精力も衰えてくる頃かもしれない。だから彼の食事には最大限の配慮をしている。いつまでも私との愛の儀式を続けられるように!
子どもたちが寝静まってからが私たちの時間。ダブルベッドの上で私はお尻を幸季さんに突き出している。彼は後ろから激しく性器を出し挿れして、私を着実に絶頂に導いていく。彼の動きが加速する。射精間近らしい。
「今日は安全日です」
「いや、万が一ということもあるからね」
「いや! 中に出して」
「君がそう言うなら」
二人目の出産後、幸季さんは避妊具を装着するようになった。二人のあいだに壁を作るようで嫌だと私が抗議すると、幸季さんは膣外射精するようになった。
私は幸季さんの子なら何人でも産むつもりだったし、それができるだけの財力がわが家にはあった。父が子どもは二人作れと口癖のように言っていたから、幸季さんは二人作ればいいと考えたらしい。それから幸季さんが危険日に腟内射精することは一度もなかった。
照れ屋の幸季さんは私に促されなければ愛してると言ってくれない。だから私から言う。愛してると彼も言ってくれるまで、ずっと。
「幸季さん、愛してる。愛してる。愛して――。ああっ」
私が絶頂に達して、まもなく彼も私の中で射精した。手を伸ばして自分の性器に触れてみると、確かにぬるっとしたものが手にまとわりついた。
二人目の出産後は避妊具装着だけでなく、射精してないのに射精した振りをされて行為を終わりにされたこともあった。だから行為直後に本当に射精したかどうかを確認することが習慣になった。
また、理由をつけて行為を拒んでくることもしばしばあった。セックスレスの予兆かと私は戦慄した。思わず母に相談してしまったくらい。幸い、しばらくすると彼が行為を拒むことはなくなった。ただの杞憂だったようだ。
夫婦ゲンカをしたことはほとんどないけど、小さな亀裂は幾度もあった。私たちは愛の力でそれを乗り越えてきた。
十五年前から変わらない、いつもと同じ夫婦の営み。でもその一回一回は私にとって特別なもの。今夜も愛する人から愛を与えられて大満足! 彼からもそんな雰囲気が伝わってくる。でもまだ愛してると言われていない。
「幸季さん、もっとほしいです」
「分かった」
夜は長い。私たちの愛の儀式はまだ始まったばかりだ。
夫婦の営みがワンパターンなことなど、この際どうでもよかった。幸季さんはいつだって私の意見を尊重してくれるし、何より浮気される心配がないのが心強い。愛する女の裸も見られない男が浮気なんてできるわけがないのだから。
彼が私以外の女の体を知っているかは定かではない。知っていたとしても一人か二人だろう。軽薄な男が不倫に走ったという相談を今まで星の数ほど目にしてきた。不倫されるくらいなら、行為に多少不満はあっても誠実な男の方がいい。
そういえば、遊ばれていただけなのに不倫に本気になってとうとう夫に家から追い出された、あの愛理という女は元気だろうか? 実家に帰されたけどどうしよう、という相談を書いたのを最後に姿を見かけなくなった。
私が誰か? 幸季さんには絶対に打ち明けられない! 幸季さんの留守中、不倫経験豊富な男の振りをして、人妻キラーというハンドルネームでネット掲示板に書き込みしまくっているなんて――
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