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拓真の帰りを心待ちにする 青 の元には数日置きに警察官が訪れた。インターフォンの画面に映る見慣れた警察官の顔に辟易した。


「蒼井 青 さん、任意同行にご協力頂けないでしょうか」

「ーーー任意、行かなくても罪には問われないのよね」

「まぁーーーそうですが」

「なら行かないわ」

「そうですか、また来ます」


ピンポーーーン


「また来たの、今日は二回目じゃない」


無視を決め込んだがその呼び出し音は二度、三度と続き、 青 は苛ついた声で通話ボタンを押した。


「いい加減にして!夫が帰るまで家からは出ません!」


そう声を大にした 青 の眼球は血走り目の周りは黒ずんでいた。


「お忙しいところ申し訳ございません」

「はい、どちらさまでしょうか」


そこには名刺を差し出した女性の姿があった。マンションの住人ではない、見覚えのない面立ちに 青 は怪訝な顔をした。


「週刊ヴィヴィの九重 百合香《ここのえゆりか》と申します」

「週刊誌、ですか」

「一度お話しさせて頂きたいのですが宜しいでしょうか」

「なんのお話でしょう」

「ヴィヴィのグラビアフォトを《《佐原 青 》》さんにお願いに参りました」

「グラビア、ですか」

「私、お隣の珈琲店で18:00までお待ちしております」

「は、はぁ」

「それでは、失礼致します」

青 は久しぶりにベランダのカーテンを開けた。陽射しが差し込むリビングは雑然と散らかっていた。フォトグラファーAOの写真集は床に散乱し、トロフィーや盾は棚の上でなぎ倒されたまま、 青 の時計は拓真が家を出て行った朝から秒針を止めている。


「ーーー喉、渇いた」


冷蔵庫を開けてミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。冷蔵庫内はタッパーウェアに小分けにされたビーフシチューが整然と積み重ねられ、拓真の名前と日付がラベリングされている。冷凍庫の引き出しの中にも凍ったビーフシチューが夫の帰りを待っていた。


「拓真の好きなビーフシチューよ」


青 は笑いを堪えて冷蔵庫の扉を閉めた。ふと視線を横に遣ると食器棚に見窄らしい自分の顔が映った。


「やだ、こんな顔、拓真に見せられない」


風呂場でシャワーヘッドを握りカランを回した。足の爪先に冷たい水が流れ出し 青 は思わず飛び上がった。やがて44℃の湯が身体を叩き付け、感覚が研ぎ澄まされてゆく。石鹸の泡で鬱陶しい感情を包み込んで排水溝へと洗い流した。


「ふぅ」


バスタオルで髪の毛を拭きながら壁掛け時計を見上げると14:30、あの九重と名乗った女性記者は日が暮れても珈琲店のテーブルで待っているのだろうか。気が付くと 青 はクローゼットの中から白いワイシャツと黒い膝丈タイトスカートを選び、ドレッサーの鏡の中で口紅をひいていた。自宅に帰らぬ夫を待ち侘びて泣き暮らしていた哀れな妻が、妖しげな美しさを纏った女性へと変化した。




平日の昼下がり、珈琲店には昼休憩のサラリーマンが二人、その他にはマンションの自治会で顔を合わせた事のある女性が会話に花を咲かせていた。 青 が会釈すると微妙な面持ちで声を潜め始めた。連日のように訪ねて来る警察官の噂話でもしているのだろう。週刊誌の記者を名乗った九重百合香がどの人物であるかは一目で分かった。面長で黒髪のワンレングス、紺色のオーバル型フレームの眼鏡を掛けていた。九重は 青 の姿を見付けると席を立ち、椅子に腰掛けるようにと手を差し出した。


「ご足労頂きましてありがとうございます」

「はい」

「私、週刊ヴィヴィの企画編集をしております九重と申します」


青 は霞色《かすみいろ》に白いアザミが捺された名刺を受け取った。


「早速ではございますが弊社ではフォトグラファー《《佐原青》》様とのグラビアフォトコラボレーションを企画しております。佐原様には是非ともご検討して頂きたくこの度お伺い致しました」

「佐原、青、ですか」

「はい」

「私は10年前から撮っていません、今更、無理です」


九重は数枚のゲラ刷りの紙を取り出した。そこには黒いバックスクリーンの中に横たわる見覚えのある女、転がる柘榴の果実があった。


「これはなんですか」

「ご主人様が撮られた写真のゲラです」

「どこでこんな物を」

「同じ業界ですから入手方法は幾らでもあります」


赤い、赤い写真。 青 が忌み嫌う赤い写真を拓真が撮っていた。


(赤、ドス黒い赤、赤、赤、赤、赤、赤、赤)


青 の目はそれらを次々に手に取り凝視していたが、最後の一枚で目が忙しなく泳いだ。スクープ記事と思われるゲラ刷りの見出しには<人気フォトグラファー(28)とモデル(20 )の熱い夜!>という文字が踊っていた。 青 が記事に釘付けになった事を確認した九重はその原稿を取り下げた。


「あ、申し訳ありません。他部署のゲラが混ざっていたみたいですね」

「それは」

「《《来週》》発売のヴィヴィのスクープ記事として掲載されます」


拓真は 青 の知らぬ場所でカメラのファインダーを覗き、しかも赤い写真を撮り、その女優と深い仲になっていた。


(ーーー拓真が裏切った)


青 の形相を一瞥《いちべつ》した九重は、何人かの女優のプロフィールと企画書の内容を綴ったファイルを手渡した。


「あなたがフォトグラファーAOの代作者である事は明白です」

「代作者」

「虐げられて来られた佐原様の、うっ」


九重は突然口元を覆った。


「女性として許せません」


それは感極まって涙ぐんだようにも見え、 青 もそのような心持ちになった。


「少し、考えさせて下さい」

「はい」

「お返事の期限はありますか」

「明後日、明明後日に撮影に入れば《《来週》》の記事に間に合います」

「そのスクープ記事と同じ雑誌に掲載されるんですね」

「はい」


九重は拓真が撮った結城紅のゲラ刷りを残し、レシートを手に店を後にした。いつの間にか外は夕闇に包まれ、硝子窓に映った 青 は虚無感に打ちひしがれていた。




珈琲店を後にした九重百合香の口元は歪み笑いを堪えるのに必死だった。


(連絡が来るのも時間の問題ね)


九重百合香にとって泣き真似や蒼井拓真の熱愛スクープ記事をフォトグラビアに紛れさせる事は容易く、それらは青 を焚き付けるには充分な材料《ねた》だった。


(佐原 青 は必ずこの企画に参加する)


人気フォトグラファーAOこと蒼井拓真の代作者はかつての<週間フォトコンテストユース部門>で最優秀賞を獲得した佐原 青 であったというスクープ。蒼井拓真と佐原 青 は結婚。ところが蒼井拓真はモデルの結城紅と熱愛不倫のスキャンダル。


(こんな美味しいネタはそうそうないわ)


これまで形を潜めていた 青 が表舞台へと戻って来る。拓真の栄光は足元から崩れ始めていた。





翌朝、 青 は霞色《かすみいろ》に白いアザミが捺された九重百合香の名刺を前に悩んでいた。確かに拓真の仕打ちは許せない。


(ーーーでも、私のところに戻って来てくれるかも)


青 は拓真とのこの10年をそうあっさりと手放す事は出来なかった。



ピロロロロロ ピロロロロ



「た、拓真!?」


青 は拓真からの着信かと携帯電話に飛び付いたがLINE通話に表示された名前は友人の大崎 奏《おおさきかなで》だった。


「おはよう、珍しい」

「おはようじゃないわよ!YouTube見て!」

「どうしたのよ」

「オリコン ブロッサムで検索して!早く!」


その尋常ではない勢いに 青 は慌ててテレビのリモコンを握った。


(お、り、こ、ん、ぶ、)


すると化粧品会社のウェブサイトコンテンツが表示された。


「blos-som、これがどうしたの」

「秋の新作、右下にあるYouTube、それ押して!」

「秋ね、秋」

「5分10秒までスキップして!」

「どうしたのよ、もう」


そこで 青 は言葉を失った。


カシャカシャ


半裸に近い深紅の口紅の女性へと瞬くフラッシュ。


カシャ


1ヶ月ぶりに見る夫の姿はやつれて見えた。


「ーーーたく、拓真」


如月広報部長、紺谷信二郎、結城紅、蒼井拓真とテロップが映し出され、透明なカウンターチェアに座った四人が談笑している。


「ーーーなに、これ」


襟ぐりが大きく開いた白いノースリーブのロングワンピースを着た女性の左手の指にはプラチナの指輪が光っていた。


「その赤い石はルビーなのかな」

「いえ、彼女の誕生石がガーネットなんです」

「そうなんですか!」

「柘榴石とも言われるんだそうです」

「蒼井さんは物知りだねぇ」

「《《知人》》が色々と詳しいんですよ」


(ーーー知人)


「博学なんですね」

「そうですね」

「あぁそうだ、蒼井くん、花言葉」

「柘榴の花言葉は守護、宝物、子宝なんです」

「え、二人にはそんな予定あるの!」

「それはまだ」


青 が全身の力が抜けてゆくのを感じた。


(ーーーこ、子ども)


「あれ、蒼井さんには奥さまが」

「あーー、それはですね」


そこでアシスタントディレクターが<略奪の赤>のボードを持って画面の端から飛び出した。


「な、なんだ!そういう意味ですか!ドッキリしました!」


インタビューは続く。これは化粧品会社blos-som秋の新作化粧品のCMと、店頭ポスター公開に向けての前振りYouTube配信だという。然し乍ら 青 は拓真と結城紅からただならぬものを感じた。青 が呆然とカーペットに座り込んでいると奏が 青 に畳み掛けた。


「 今から言う事を聞きなさいよ」

「うん」

「朝一番に市役所の戸籍住民課に行って!」

「戸籍、住民課」


青 はリビングテーブルの上でダイレクトメールの封筒を裏返した。


「ちょっと待って」


震える指でボールペンを握る。


「蒼井先輩が勝手に離婚届を出さないようにするのよ!」

「ど、どうやって」

「《《離婚不受理申請》》の手続き!」

「私に黙って離婚なんて出来るの」

「馬鹿な男は後先考えないからね!」



ピロン



数十分後、 青 は拳を握りしめて戸籍住民課の椅子に腰掛けていた。怪訝そうな男性職員が 青 のマイナンバーカードを手にパソコンを検索していたが埒が明かないらしく後ろの席の複数人の職員と話し合っていた。


(ーーーまさか、拓真が)

「蒼井さん」

「はい」

「あちらで申込用紙を書かれて戸籍謄本と住民票を取り寄せて下さい」

「戸籍謄本」

「はい、その後もう一度こちらにいらして下さい」


(ーーーまさか、勝手に離婚届を)


青 は心臓の激しい鼓動を押さえながら戸籍住民課の椅子に腰掛けた。


「蒼井さん、これまで《《離婚届受理通知》》を受け取られたご記憶はございませんか」

「いい、いいえ」

「そうですか」


男性職員は困惑した表情で 青 に向き直った。


「こちらをご覧下さい」

「はい」

「蒼井さんは2年前に離婚されていらっしゃいます」

「ーーーーえ、だって名前が」

「《《婚氏続称》》、蒼井姓を引き継がれていらっしゃいます」

「まさか、そんな」

「弁護士ー務所かー庭裁判所のーー相談さーーーいーーか」


男性職員の助言は 青 の耳には届かなかった。


(ーーー2年前)


それは拓真が 青 とのセックスに拒否反応を起こし始めた頃と一致する。拓真の中で、二人の結婚生活は既に終わっていた。


(ーーーだから)


青 は写真を撮る代わりに社会保険料や光熱費の支払い手続きは全て拓真に任せていた。


「俺の銀行口座からまとめて引き落とそう」

「ありがとう」


それが拓真の優しさ、気遣いだと信じて疑わなかった。


(ーーー違ったのね)


それは離婚した事を青 に悟られない為のカムフラージュだった。


(ーーー私はただの同居人でしかなかったのね)


10年前、手に入れたと思っていた籠の鳥《拓真》は気付かないうちに逃げていた。空になってしまった鳥籠《結婚》を後生大事に抱えて来たこの数年間を思うと 青 の心にはやるせなさと憎しみが満ち満ちていた。


(ーーー許さない)

復讐に花束を 睡蓮の花言葉は滅亡

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