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再び、十三階層。
雲ひとつない快晴だった。草原は陽を受けて明るく、遠くの空気が揺れて見える。
その先に山が立っていた。二千メートル級。頂はかすんで見え、稜線が薄く伸びている。
斜面は岩が多い。緑が濃く、ところどころ道が切れている。登りが長いと分かる顔をしていた。
四人は装備を少し軽くした。新調したマントの留め具を一つずつ確かめ、紐を引いて、余りを結び直す。
無言のまま、山を見上げる。
風が吹く。マントが同じ方向へはためき、布がぱたぱた鳴る。オットーの腹のあたりの留め具が一度だけきしんだ。
「……さぁ、 行くか」
山頂を見つめたまま、ダリウスが短くそう言った、その時。
「ちょっと待って」
ミラが顎に指を当ててダリウスを制した。目だけが忙しく動き、口が先に開く。
「ん? どうした」
オットーが気の抜けた声で振り向く。首の後ろを掻き、ついでに肩を回した。
ミラはくるりと草原側を向き直り、両腕を大きく広げた。
「よく考えたらさ、 こんなに広い草原なんだよ?
“山を登れ”って、 誰も言ってないじゃない。
草原の奥に、 次の階層の入り口があるかもしれないでしょ?」
語尾が少し伸びる。視線が山を避ける。足先が草をこすって、つま先で線を引いた。
オットーは一瞬きょとんとしたあと、腹の底から笑い出す。
「はっはっは! こういうのはなぁ、 山の頂上か、 途中の洞窟か——その辺にあるって相場が決まってんだよ」
「むー……」
ミラは頬をふくらませる。鼻が膨らみ、眉が寄る。
ダリウスは向き直り、笑みを作った。声だけ柔らかい。
「ミラ、 ちょっとでいい。草原の方に向かって、 まっすぐ歩いてみな」
「??? いいけど……」
首をかしげながらも、ミラは草原へ歩き出す。
草が足首に当たり、さらさらと鳴る。背中が小さく遠ざかる。
十メートル。十五メートル。
「わっ!?」
二十メートルほど進んだところで、ミラの体が止まった。
次の瞬間、後ろにひっくり返る。手を振って受け身を取ろうとして間に合わず、尻から落ちた。
「いたた……!」
尻をさすりながら立ち上がると、ミラは目の前を両手でぺたぺた触り始める。
掌が止まり、指先が滑る。硬い感触が返ってくる。
「なにこれ……ほんとに、 何か壁がある!!」
透明な壁は山の方へまっすぐ伸びているらしい。ミラの手が左右へ動いても、同じ感触が続く。
ミラはダッシュで戻ってくる。息が切れる前に声が出た。
「ダリウス、 どういうこと!? ねぇ、 どういう仕掛けなの!?」
目がきらきらしている。山を回避したい顔から、謎解きの顔へ切り替わっている。
ダリウスは頷き、口調が講義になる。手のひらで空中に線を引く。
「転移型ダンジョンの特徴だよ。
広い空間に見えても、 実際に進める範囲には“限界”がある」
「見た目だけ広く見せて、 おあそびさせてくれるんですよ」
エドガーは肩をすくめて続ける。唇が一瞬だけ歪む。
「性格悪っ!」
ミラが顔を膨らませた。掌が握られ、指が白くなる。
「厄介なのはですね、 その透明な壁が——途中で曲がったり、 分岐したりすることなんです」
「だから、 エドガーの出番ってわけだ」
オットーがニヤリと笑った。顎を上げ、背中を反らす。
エドガーは胸を張り、羊皮紙を取り出す。
「えぇ、 “地図の魔法”を使います」
魔導書を広げる。虫眼鏡を取り出す。指先でページを押さえ、文字を追う。
詠唱が始まる。
「シェル……う……ドゥ……ん……」
ぼそぼそした声が風に流れる。そのとき。
パンッ、と小気味よい音が響く。
「よし、 じゃあお茶の準備でもするか」
ダリウスが手を叩きながら立ち上がる。肩を回し、腰を伸ばす。
「そんなにかかりませんよ!!」
エドガーの焦りと怒りが草原に響いた。虫眼鏡が指の間で震えた。
*
しばらくして。
折り畳み椅子が三つ並ぶ。ダリウスたちは腰かけ、少し離れた場所で詠唱を続けるエドガーを眺めていた。
ダリウスのコーヒーが湯気を上げ、香りが風で散る。
「ダリウスの入れたコーヒーって、 本当に美味しいね」
ミラはカップを両手で包み、指先を温める。頬が少しだけ緩む。
「本当だぜ。これにアルコールが入ってりゃなぁ」
オットーは真顔でつぶやいた。
「おいおい」
ダリウスは呆れつつ肩をすくめる。口元は少しだけ上がっている。
少し離れた場所で、エドガーの声が高まった。
「……<地界記章>!」
羊皮紙の上に淡い光が走る。
半径三十メートルほどの地形が線と記号で描き出され、見えない壁の位置も示された。
「よし……ちゃんと出ましたね」
エドガーは額の汗をぬぐい、息を吐く。膝が一度だけ伸びる。
「おつかれ、 エドガー。コーヒー飲むか」
ダリウスがカップを差し出す。
エドガーは少し息を切らしながら受け取った。指先が熱さに一瞬びくりとする。
「……お、 お願いします」
声の端が引っかかる。悔しさを飲み込むみたいに喉が鳴った。
こうして四人は、登山前からしっかり休むことになった。
椅子を畳む音、荷を持ち直す音、マントの留め具を締める音が重なる。
山肌をなめる風が吹き抜け、岩の表面のざらつきが見える。
「——さぁ、 今度こそ行くか」
ダリウスが腰の剣に軽く触れながら、山頂を一度だけ見上げて言った。
エドガーは羊皮紙を広げ、位置を確かめる。目を細め、指で線をなぞる。
「ひとまず、 まっすぐですね。ここから先は……登りが続きますよ」
四人は山道へ足を踏み入れた。
岩が多い。土の柔らかさがない。
一歩ごとに脚へ負荷が溜まる。足首が角に当たり、靴底が滑りそうになるたびに止める。
ダリウスは歩きながら腰を落とし、剣が抜ける位置に手を置いた。呼吸が短くなる前に整え直す。
「……そして、 前方七体。来るぞ」
その言葉と同時に、上方から影が跳ねて近づく。
岩から岩へ、軽い。甲高い声が混ざる。
エドガーはページをめくり、視線で追う。
「レッサーモンキーですね。投石が得意な小型種です」
「オットー、 シールドバッシュ」
ダリウスの短い号令。
「はいよ」
オットーは大盾を前に構え、一歩出る。淡い光が盾を走る。
「<シールドバッシュ>!」
力場が盾の前面に張り付くように展開された。
レッサーモンキーたちは距離を詰めず、高い位置から一斉に腕を振りかぶる。
カンッ、カンッ、カンッ。
石が弾丸のように飛来し、盾に雨あられとぶつかる。
盾は動かない。石が弾かれ、地面へ転がり落ちる。
「やっぱり、 そう来るか……」
ダリウスは小さく息を吐く。
「昔やった“あれ”で行くか」
「やれやれ……」
エドガーは肩をすくめ、すぐに頷いた。
「今の私たちには、 最善手ですね」
側面から回り込もうとする個体が斜面を駆け下りてくる。小石が落ち、かさかさ音がする。
ダリウスは振り返らず、声だけで指示した。
「ミラ。左右からの攻撃に対して、 簡易結界を張ってくれ」
「了解!」
ミラは一歩前へ出てネックレスを握る。指がきゅっと締まり、手首が一度止まる。
「女神の息吹よ、 罪なき者を囲い守れ——《聖遮のヴェール》!」
左右に薄い光の幕が立ち上がる。石の軌道がわずかに逸れ、威力が削がれる。
それでも突撃してくる個体がいる。
「来たな」
ダリウスは低く呟き、剣を抜いた。
剣筋は深く入れない。腕を弾き、足を払って転ばせる。追わない。
盾の前面に近づける前に押し返す。前に出て、戻る。呼吸を一つ入れて、また一つ。
「はっ、 はっ……!」
息は上がる。だが体幹は崩れない。足の置き方だけが淡々と正確だ。
その横でオットーが盾を出したままじりじり動く。
真正面から角度を変え、斜面を横切る。上を取る位置へ少しずつ。
「……はぁ、 疲れた」
ダリウスが額の汗を拭い、ぼそっとこぼした。
「しかし、 これで勝ちですね」
エドガーは冷静に言う。胸元が薄く上下していた。
「え? ただ場所を変えただけじゃないの?」
ミラは首をかしげる。
ダリウスは片手を伸ばした。
「まぁ、 ミラ。これを持ってくれ」
「え?」
拳を三つ分ほど合わせた大きさの岩だった。ずしりと重い。
「え、 これで殴るの?」
「投げるんだよ」
ダリウスは片手で岩を持ち、しなやかに腕を振った。
ひゅっ。ごつん。
岩が弧を描き、一体の肩を直撃する。悲鳴。転倒。
慌てた仲間がよろめき、巻き込まれる。
エドガーも岩を拾う。表情を変えず、仕事みたいに投げ始めた。
ひゅっ、 こつ。
ひゅっ、 こつ。
一投ごとに一体ずつ数が減る。派手さはない。だが確実だ。
「え、 えっと……こう?」
ミラも投げるが、石は前へ飛ばず坂を転がった。
「あ、 下に行っちゃった」
外れ玉が頭上から落ちる。
ごつん。
「きゃっ!?」
脳天直撃。ひっくり返る。転がった岩が別の足元に当たり、滑る。避け損ねてぶつかる。
悲鳴が連なり、転げ落ちていく。
「……なんか、 当たった」
ミラがぽかんと呟く。
「結果オーライだ」
ダリウスは苦笑し、次の岩を手に取った。
突進してくる数体がいる。
それはオットーの前へ飛び込む動きだった。
「ほらよ!」
オットーが力場を前へ押し出す。突っ込んだ個体が弾かれ、地面を転げる。
投石は盾と結界に止められる。突撃は盾で潰される。
高所からの投石が淡々と数を削り、やがてレッサーモンキーたちは悲鳴を上げて下方へ逃げていった。
静寂が戻る。
ダリウスは岩を地面に置いた。肩が一度落ちる。
「……よし、 一息入れよう」
岩に腰を下ろし、額の汗をぬぐった。
「なんか、 地味だったね」
ミラが肩透かしを食らった顔で言った。頬が少しだけふくらむ。
「……あぁ」
ダリウスは苦笑する。
「でも、 これが一番消耗が少ない。派手にやった分だけ、 あとできっちりツケが回ってくるからな」
エドガーが視線を遠くに漂わせた。言葉がゆっくり出る。
「……これを初めて使った時は、 ペース配分なんて言葉すら知らない若造でしたよ」
オットーが顔をしかめ、苦笑混じりに続ける。
「みんなヘロヘロでよ、 最後の方なんてエドガー、 魔法どころかその辺の木の枝振り回して魔物殴ってたからな」
「……やめてください。忘れたい黒歴史です」
エドガーは咳払いをひとつし、表情を少しだけ和らげた。
「生き残るためとはいえ、 あのときは本当に死ぬかと思いました。
まさか何十年も経ってから——今度は“体力温存のため”に同じ戦法を使うことになるとは、 夢にも思いませんでしたよ」
声は落ち着いているのに、最後のあたりで息が一つ抜けた。吐息が短く笑いに混ざる。
「へぇ~」
ミラは目を丸くし、三人の顔を順番に見つめる。
「みんなもいっぱい失敗とかしてたんだ。なんか……“百戦錬磨おじさん”って感じで、 最初から完璧だったのかと思ってた」
「たくさんしたよ」
ダリウスがぽつりと言った。
空を仰ぐ。山の稜線の向こうに目を置いたまま瞬きをする。喉が一度鳴る。
「……たくさん失敗して、 たくさん怪我して。たくさん……仲間も、 失った」
言い終えたあと、口の中で奥歯が鳴った。
背中に大きな手がぽん、と乗る。
「しんみりすんなよ」
オットーだった。力は強いが、叩き方が雑じゃない。肩を確かめるみたいな触れ方だった。
「俺たちは“昔話をしに”ここに来たんじゃねぇだろ。生きて帰るために、 ここにいるんだろ、 リーダー?」
にっと笑う。歯を見せて、息を吐く。
「ついてくぜ。どこまでもな」
「……全く」
エドガーも照れくさそうに笑った。頬を掻いてから視線を外す。
「身体にはガタが来ていますがね。
その分——リーダーの知恵は、 昔よりずっと冴えてますよ」
「買いかぶりだ」
そう言いながらも、ダリウスの口元は自然とほころんでいた。
視線が改めて山の頂へ向かう。さっきより遠さが薄い。
「……地味でいい」
ダリウスは仲間たちの顔を一人ひとり見回した。ミラの手元、オットーの呼吸、エドガーの紙の端まで。
「派手じゃなくていい。ズルくたって構わない。
俺たちのやり方で——一歩ずつ、 登っていこう」
ミラが力強く頷く。
オットーは盾の柄を握り直し、エドガーは羊皮紙を胸に抱えた。
四人は立ち上がる。膝が鳴る者もいる。靴紐を結び直す者もいる。
それでも足は前に出た。
老いた脚で、一段一段。
山へ向かって歩き出した。、
#ハッピーエンド
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