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――では、見つかった死体は一体誰のものなのでしょうか?
カメラのフラッシュが記者会見場を強く照らした。
中央に座るのは、吾妻グループ副会長、吾妻勇太。
隣には川尻弁護士、榊原秘書室長、その他側近たちが鋭い目をしたまま座っている。
「それについては存じ上げません。どうして私の衣服が断崖絶壁の下で発見されたのか。遺体は海の深くに沈んで見つからなかったそうなので、となると遺伝子検査の結果、私が死んだと判断せざるを得ないでしょう」
――以前に比べかなりお痩せになったようですが、事故の後遺症でしょうか?
「はい。先ほど申し上げたように、偶然にも私はとある場所で療養をしておりました。どこかはお伝えできませんが、とにかく私はちゃんと生きていました。
今でも多少記憶が曖昧であり、感情をコントロールするのに苦労はしていますが、これからは家族と医療スタッフの力を借りながらしっかりと回復させたいと思います」
――記憶が曖昧となると、吾妻グループのトップとして業務に支障をきたしませんか?
「これがまた不思議なことに、職務の遂行においてはまったく問題ありません。むしろこれまで以上に頭が冴えているとでも言いましょうか。具体的な話は省きますが、今後吾妻グループは大きな変革をむかえることになるでしょう。
もちろん未来志向的であり、また良質な変化です。近いうちに、グループの将来に対する不安を一掃できるような発表をさせていただければと思っております」
――お父さまである吾妻和志会長は現在植物状態であり、長男の勇太副会長も行方不明になっていました。そのため陰謀論はさることながら、吾妻家が悪質な遺伝子をもっているといった説まで流れました。その点についてはどう思われますか。
「父は少しずつではありますが回復しています。また私はこのとおり健康な姿でこの場で会見をしています。そして何より、弟である吾妻勇信は健康そのものです。陰謀論はさておき、悪性遺伝子説は容易に否定できるでしょう。
まぁ、しょせんは我がグループに恨みをもつ誰かがでっち上げた話でしょうね」
――グループ全体の株価が大幅下落しました。株主の方々に一言お願いします。
「私はこうして生きております。早急にすべてを正常な状態に戻しますので、どうか心配せずにあと少しだけお待ちください」
――昨日行われた就任式で、勇太氏が式場に乱入したとの話が流れてきています。式順からすると、弟である勇信氏がすでに副会長に就任した後ということになりますが、それについてはどう思われますか?
「私と勇信との間に派閥争いなど一切ございません。単に私がより副会長の職に向いているため就いているといったところです。
ああ、うーん……この表現だと誤解を招きかねませんね。いずれにせよ、弟と私との信頼関係には一点の曇りもありませんのでご安心ください」
――遺体が勇太氏のものでないことが明らかになったとなると、警察は汚点を残すことになるでしょう。名誉毀損で訴える考えはおありですか?
現警察庁長官の菊田盛一郎氏は、吾妻和志会長の旧友として知られていますが。
「現時点で何かを判断して決めるのは時期尚早かと思います。まずは警察の公式発表を待ってから、弁護士と相談の上対応したいと思います」
吾妻勇太はそう言い終えて、川尻弁護士と短いアイコンタクトを取った。
川尻弁護士が立ちあがり、マイクを手にとった。
「弁護士の川尻です。現在勇太氏はまだ治療中にあります。肉体的にも精神的にも疲労が溜まっていますので、本日の記者会見はここまでとさせていただきます。お集まりくださったメディアの皆さま、感謝します」
「ああ、川尻弁護士。ちょっと待ってください。最後に一言よろしいでしょうか。
昨夜緊急の業務があったため、家族は今テレビで私の無事を知りパニックに陥っているかもしれません。だから一言……私は無事だから心配しないで、夜まで待っててください」
吾妻勇太はそう言って立ちあがり、深々と頭を下げた。
カメラフラッシュが勇太の全身を燦々と照らした。
*
約20分の短い記者会見だった。
「え……もう終わりなのかい?」
吾妻恵はティッシュで鼻をかみながら、CMに入ったテレビを見つめた。
「お母さんとおねえさん。会見内容はちゃんと理解できましたか」
会見中、母と義理の姉とがあまりにすすり泣くため、記者の質問が聞こえないほどだった。
「ふたりとももう泣きやんでください。兄さん夜には帰ってくるんですよ。腫れた顔で迎えるつもりですか」
「勇太さんが生きていたなんて、本当に夢のようです」
「美優ねえさん、これは現実です。これからすべてが元通りになるんです」
「はい。すごく幸せです」
吾妻美優は娘のさくらを見つめながら言った。
「嬉しすぎて、今すぐ祝杯したいくらいだよ」
「お母さん、まだ療養中ですよ。アルコールなんて飲んだら倒れてしまいます」
「息子が帰ってきたのに、それくらいの自由もくれないのかい?」
「主治医の許可があれば、好きなだけ飲んでください」
「ああ、もう! わかったよ、わかったから」
吾妻恵が不満そうにお粥に手をつけた。
「お母さま。コーヒーをお飲みになられますか? 今晩のことについて、いろいろと相談もしたいですし」
吾妻美優が言った。
「そうしようかね」
ふたりは立ちあがり、リビングルームを離れた。
「勇信おじさん。もうおしごといっちゃうの? さくら、あそびたい」
吾妻さくらはポジティブマンの手を取りながら言った。
「ごめんね、今から会社に行かなきゃならないんだ。夜になったらちゃんとパパを連れて帰ってくるから待っててね。それとパパにあとで電話するように言っとくよ」
ポジティブマンの明るい声を聞いた吾妻さくらの表情が曇った。
「あのね、パパがね……。あ、ううん、なんでもない」
「どうした? 何か心配事があるんだったら、言ってごらん。何でも聞いてあげるから」
「なにもない……」
「さくら、何かあるね。いいから言ってごらん」
吾妻さくらの表情がさらに曇っていく。
「あのね……んとね」
「おじさんが全部聞いてあげるから、遠慮しないで。さあ」
吾妻さくらはうつむきながら言った。
「さっきテレビに出てた人。あれ……パパじゃない」