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#ミステリー
鬼霧宗作
686
46
みおん
5,211
記者会見を終えて会社に戻った勇太は、そのまま全社員に向けた演説をはじめようとしていた。
吾妻グループの全社員が、記者会見に続いてモニターを注視している。
テーブルもなく、司会者もいないステージ。
ヘッドセットマイクをつけた勇太が、ひとりで立っていた。
機材の準備に手間取っているのか、勇太は身振り手振りでスタッフに何かを指示している。
記者会見を自宅で見たあと出社したポジティブマンは、ぼんやりとその姿を見つめていた。
何度見ても、兄が持っていた優しい印象は薄れている。
残っているのは、鋭さだけだった。
——さっきテレビにでてた人。あれ……パパじゃない。
さくらの言葉が、頭から離れなかった。
コンコン。
玲奈が常務室の扉をノックした。
「どうぞ」
「常務。どうなさいましたか」
「魚井秘書。そこに座ってくれ」
「えっ? もうすぐ中継がはじまりますが」
「ここで一緒に見よう。社員たちの反応も聞きたい。さあ、座って」
「あ、はい」
玲奈はソファに腰を下ろした。
「今朝の記者会見を見た社員たちの反応を聞かせてくれないか」
兄が生きて戻ったという現実が、まだ夢のようだった。
だからポジティブマンは玲奈に頼み、社員たちの反応を集めてもらっていた。
「みなさん、緊張した様子で発表を待っています」
執務室のソファに座った玲奈は、モニターを注視しながら言った。
「具体的に教えてくれないか。それは困惑か、混乱か。あるいは、副会長が生きて戻ったというミステリー小説を読むような好奇心か?」
「正直にお伝えしますと……恐怖です、常務」
「恐怖。副会長が戻ってきたことと、恐怖がどうつながるんだ?」
「恐ろしく思っても、仕方のないことだと思います。副会長が戻られたのは喜ばしいことです。でも、何かこう……強い決意を秘めていらっしゃるような印象があって。これまでのような温和な笑みがなくなったことも、影響しているのかもしれません」
玲奈は、少し言葉を選ぶように続けた。
「今朝の記者会見でおっしゃったように、会社を揺るがすような衝撃的な発表があるのではないかと、みなさん心配しています。常務は、それについて何かご存じですか」
「いや、何も聞いていない。まだ副会長とは話せていないんだ。しかも執務室には誰も入れないよう、警備まで配備していると聞いた。携帯電話にメッセージも送ってみたが、既読にすらならない」
「……そうでしたか」
「魚井秘書も怖いのか?」
ポジティブマンは、ソファに座る玲奈を見つめた。
ふと、その場にそぐわない考えがよぎる。
——美しい。肯定的な美しさだ。
丸みのある額からはじまるすべてのラインが、適切な角度で伸びている。
アメリカ留学時代に知り合ってから長い年月が経ったが、変わらず彼女は美しかった。
「正直なところ、人事異動を恐れています」
玲奈が本心からそう言っていないことはわかっていた。
ただ、辞令は出ないという言葉を聞いて安心したいのだろう。
「心配しなくていい。魚井秘書は明日からも魚井秘書だ」
「ありがとうございます」
玲奈は笑顔を見せた。
一応の確認事項を済ませたような、小さな笑みだった。
「ところで、今朝の記者会見を見ていたときに、姪っ子が言ったんだ。あれはパパじゃないって」
「えっ、そんなことを……」
「ああ。とても不安そうに」
「子どもというのは、ときに本質を見抜くことがあります」
「本質?」
「もしかすると、副会長の心に根本的な変化があり、それを見抜いたのかもしれません……。あ、私また余計なことを。忘れてください」
ポジティブマンは何も聞こえなかったように、玲奈の隣へ座った。
そしてモニターを見つめる。
「俺もしっかり見ておかないとな。副会長がいったい何をしようとしているのか」
ステージの準備が終わったようで、勇太がようやく第一声を発した。
『親愛なる社員の皆さん。吾妻勇太です。昨日の副会長就任式でも少し触れましたが、我が吾妻グループの将来について、またそのための基本方針をお伝えするために、今日この場を設けさせていただきました』
「挨拶からして刺々しいな」
ポジティブマンがつぶやいた。
『今朝の記者会見をご覧になった方も多いと思います。私は長く記憶を失い、とある療養施設にいました。つまり、自らのアイデンティティを失った状態で、しばらくの時間を過ごしたことになります』
勇太は、ステージの中央で静かに歩き出した。
『施設で心と体を休めるあいだに、私は変わりました。まるで、家にある家具をすべて交換するような感覚だとでも言えばいいでしょうか。私は、私を構成する細胞にまとわりついていた雑多な異物を取り除くことに成功しました。そして、これから作るべき未来を見つけたのです』
玲奈が、無意識にこぶしを握りしめた。
意外にも緊張しているらしく、唾を飲み込む音が聞こえてきそうだった。
一般社員にとって、経営者の方針変更は恐怖の対象でしかない。
ポジティブマンは、その現実を目の当たりにした。
『私はこれまで、皆さんの努力に対し、あまりに無頓着でした。吾妻グループのために日々努力する社員たちの血と汗を、ちゃんと理解できていなかったのです』
勇太の声は、穏やかではなかった。
冷たく、硬く、それでいて熱を帯びていた。
『なぜ我がグループの時価総額が国内トップ10付近で停滞しているのか。ようやく私は、その理由に気づきました』
モニターの中で、勇太は深く息を吸った。
『私は今日、皆さんに謝罪するためにこの場に立っています。グループの崇高な理想を現実のものとできなかったこと。利益を十分に拡大できなかったこと。皆さんにより多くの幸せを提供できなかったことを、深く反省しています』
勇太はその場で深く頭を下げた。
「副会長……」
玲奈がつぶやいた。
執務室の外から、拍手の音が聞こえた。
勇太の言葉に対する、社員たちの激励の拍手だった。
『親愛なる社員の皆さん。これからは、皆さんの努力に報いるため、私も力を尽くします。正しい判断のもとで進められる計画を積極的に支援し、チャレンジ精神を非難せず、旧体制の中に埋もれた悪しき習慣や腐敗を一掃する』
勇太は、わずかに声を強めた。
『我々吾妻グループは、変化のときを迎えたのです』
再び大きな拍手が鳴り響いた。
しかし、それは先ほどのような歓迎の拍手ではなかった。
「どうしたんだ、兄さん……」
ポジティブマンがつぶやいた。
モニター上では、勇太が力強くこぶしを突き上げている。
これまで一度も見たことのない兄の姿だった。
『社員の皆さん。変化はいつだって具体的であり、また即効性がなければなりません。今日この場を借りて、その成果をお見せしましょう。カメラをあちらへ』
勇太の指示を受けたカメラが、横へとスライドした。
ステージの端には、4人の社員が立っていた。
3人の男性社員と、1人の女性社員。
年齢はばらばらだった。
みな緊張した面持ちで、勇太にちらりと視線を向けている。
「魚井秘書。あの端に立っているのは、堀口さんじゃないのか」
「えっ? ああ、本当ですね。吾妻建設企画部の堀口ミノル課長です」
静岡県にいるはずの堀口ミノルが、硬い表情でそこに立っていた。
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