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いつだったでしょうか、君と海へ行ったのは。去年の十ニ月か、十年前の八月か、はたまた行ったことはないのか。記憶が鮮明で無いほどに、君は遠い存在になってしまったのでしょうか。人間は記憶の整理のために夢を見るそうです。そんな、夢だったのでしょうか。
人間が最初に忘れてしまうのは「声」だそうです。顔は覚えていても、声は忘れてしまう。君はどんな声をしていたのでしょうか。私の耳に残るのは、君の笑い声だけです。君の笑い方は、小さな波のようでした。心地のよい、笑い声でした。
人間が次に忘れてしまうのは「顔」だそうです。君の肌は、青色のシャツがよく映える色をしていました。私が会いに行くと、君はいつも白い壁の窓から、外を眺めていました。葉の色と陽の色に照らされた横顔が、とても綺麗でした。私の中に残る君は、いつも綺麗でした。
人間が最後まで覚えているのは「香り」だそうです。私は君の香りを一番覚えていません。君は自分の香りと言うのが、なかったのだと思います。ですが、海へ行くと君に会えたような気持ちになります。波の音を聞くと、潮風が吹くと、君に会えたような気持ちになります。私は、君と海へ行ったことがあった のでしょうか。
五日ほど思い出を掘り返してみても、君と海へ行った記憶はありません。君と見た思い出に青色があるのは、君の肌の色と、 シャツの色と、空の色しかありません。君は、一度だけ海へ行きたいと言っていたでしょうか。私も、君と離れるまでは一度も海に行ったことはありませんでした。なぜ、私は海の青色を知っていたのでしょうか。なぜ、私は潮風の香りを知っていたのでしょうか。君を連れて行けなかった悔しさなのでしょうか。
君はいつか、私に香水を勧めましたね。自分はつけられないから、と。君が選んだ香水の香調を調べてみると「マリンノート」 と書かれていました。君に会う時だけつけて行きました。
今思えば、私は君より先に海を見てしまっていたようです。君と別れたあとに見た海より、綺麗な海を。もう見ることは叶いませんが、次に君と会う時に教えてあげますね。
夢に見た耳に残りし漣が
私を海へ引き寄せようと